1 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:44:40.80 ID:sFFUNv8Z0
【序】
会場が割れんばかりの拍手と歓声に包まれ、観客の誰もが皆、新たなトップアイドルの誕生を祝福する。
その時、ステージに立っているのは俺達じゃなかった。
孤独こそが人を強くする、というのは黒井のおっさんの口癖であり、俺達も散々言い聞かされてきた言葉だ。
実際、その通りだと思った。
今でこそ俺達はユニットを組んでいるが、突き詰めるとこの業界は個人の実力が全てであり、甘えは許されない。
だから、俺は北斗や翔太に対して、常に厳しい姿勢で臨んだ。
ダンスの振りを間違えたり、時間に遅れたり、ここ一番って時に体調を崩したりしようものなら、容赦なく責めた。
逆に、俺にも至らない所があれば、同じように責めてもらった。
馴れ合おうなどとは一切考えなかった。
たとえ仲間同士だろうと、緊張感が無ければ個人の成長なんて望めるはずがない。
他の二人も、同じように考えていたと思う。
だから、765の連中を見ると、俺は虫唾が走って仕方がなかった。
仲良しこよしでオシゴトしてりゃ、そりゃあ楽しいだろうさ。
だが、少なくとも俺はあいつらを認めなかった。
あいつらは互いに馴れ合うばかりで、トップアイドルになるのを目的としているのではないと感じたからだ。
お遊びしてぇなら他所でやれ。心底そう思った。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1364039080
2 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:46:26.30 ID:sFFUNv8Z0
実際、オーディションで顔を合わせれば、俺達の圧勝だった。
当然だ。こっちは真剣なんだ。あいつらとは違う。
だが、そんな中でも、対決が終わればあいつらは互いに「良くやった」、「そう気を落とすな」、「次は頑張ろう」などと慰めあっていやがる。
自分の実力が不足している現実を認めようとしないのだ。
とことん腹の立つ連中だぜ。
その中で一度、際どい勝利を収めた時があった。
いや、アクシデントが無ければ、あれは俺達が負けていたのかも知れない。
だが、それも含めての実力だ。
当日に合わせ、万全の準備を整えることができなかった奴が悪いのだ。
しかしそれ以降、765との対決で楽に勝てるケースは少なくなっていった。
俺達を脅かした当人は出てこなくなったが、あの日から、他の奴らの目つきがハッキリと変わったのが見てとれた。
敵討ちのつもりなのか知らねぇが、逆恨みも甚だしいぜ。
こいつらにだけは負けたくない。こいつらにだけは。
だが今日、俺達は負けた。
もし万が一今日という日が来るとしたら、どんなにか悔しいことだろうと恐れていたが、これだけハッキリとした敗北だと逆に清清しい。
それに、あいつらの強さがどこから来るものなのか、良く分かった。
結局俺達は、俺達が否定し続けたものに負けたのだ。
悔しがる筋合いなど、元々俺達には無いのだろう。完敗だ。
こうなったら、とことん見せてもらうぜ。
俺達を負かしたものが、どれだけ観客をワクワクさせられるのかを。
盗めるものは何でも盗んでやる。次は負けねぇ。
北斗と翔太が俺を笑っている。黒井のおっさんが何やらうるせぇ。
構うものか。
観客の一人になって、俺は声の限り合いの手を叫んだ。
3 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:48:34.43 ID:sFFUNv8Z0
【1】
さっきから電車内の騒がしい声を我慢していた律子の鼻先に、タバコの煙が漂ってきた。
煙の元は、優先席に座っている三人組みの男達だった。
京浜東北線の電車内で大声で話すだけでもマナー違反なのに、喫煙までするなどもってのほかだ。
挙句、目の前に老婆がいながら、その男達は彼女に席を譲ろうともしないのだった。
周囲の乗客は、彼らに対し無視を決め込んでいるようだった。
しかし、律子は男達を睨みつけた。
アイドルのプロデューサー、すなわち指導者という職業的な立場もあったが、それよりも一人の乗客として許せなかったのだ。
隣にいた雪歩は、不吉な予感を察知し、何とか律子の気を逸らそうとするが、あまり良い方法が浮かばずにうろたえている。
やがて、彼らの一人が律子の視線に気がついた。
男達は互いに目配せをした後、タバコを床に捨てて席を立ち、ニヤニヤしながらゆっくりと律子達の方へと近づいてきた。
4 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:50:25.65 ID:sFFUNv8Z0
「どうしたよ、姉ちゃん?」
男の一人が律子に声をかけた。
下劣な視線に、律子は決して動じる素振りは見せまいと思った。
「電車の中は公共の場であり、禁煙です。
自分達の行いを振り返って、人として恥ずかしいと思わないんですか?」
男達は、律子の言う事にまともに取り合う様子も無く、ただニヤニヤしている。
だが、すぐに律子の後ろに隠れているボブヘアーの少女の存在にふと視線を向けた。
「お嬢さん、かわいいね」
声をかけられた雪歩は小さく悲鳴をあげ、律子の服を掴んで肩を震わせている。
「こっちの気の強そうな眼鏡も良いけど、俺はこっちの子の方が好みだなぁ」
「良いじゃん、二人とも俺達とどっかお茶しに行こうぜ」
男が雪歩の肩に手を伸ばした時、律子がその手を掴んだ。
「ウチの子に手を出さないで。駅員さんを呼ぶわよ」
男達は目を合わせ鼻で笑うと、突然その一人が律子のブラウスの胸元を掴んだ。
後ろで雪歩が、きゃあと悲鳴を上げた。
「欲求不満なら俺達が相手してやるってんだよ、下手に出てるからって調子乗ってんじゃねぇぞ」
男がそう言って律子の胸ぐらを揺さぶると、ブラウスのボタンが一つ飛んだ。
他の二人が、ゲラゲラと下品な笑い声をあげる。
律子は、恐怖で涙が出そうになるのを堪えた。
「止めて下さい――お願いですから」
雪歩はそう口に出したつもりだったが、体が震えて思うように声が出ない。
唇を噛み締めている律子の顔を見て、男達はなお満足げにニヤニヤ笑っている。
5 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:53:19.42 ID:sFFUNv8Z0
その時、電車はいつの間にか浜松町に着いたようだった。
扉が開き、一人の少女が乗り込んできた。
「あふぅ、何か変な人だったなぁ」
少女は、喧嘩沙汰で騒然とする車内の空気などお構いなしに、ブツブツと独り言を呟きながら、先ほどまで男達が座っていた優先席に腰を下ろした。
「あれっ、お婆ちゃん何で立ってるの? 席、こんなに空いてるよ?」
呆気に取られている老婆に対し、少女は自分の隣の座席をパシパシと叩き、手招きするのだった。
自分達の座席を横取りされ、男達は露骨に不愉快そうな表情を見せたが、すぐにその顔色は変わった。
ウエストまで伸びるブロンドの髪。
幼さは残るが端正な顔立ち。
良好なスタイルとそれを際立たせるファッション。
男達は、自分達が座っていた席で物憂げに携帯を弄る少女に目を奪われていた。
恐怖感が薄らぎ、憮然とした表情で見つめる律子を他所に、男達は再び互いに目配せをした。
そして、律子を乱暴に突き放すと、ゆっくりと金髪の少女の下へと歩み寄った。
少女は男達に気づいていないようである。
6 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:54:26.74 ID:sFFUNv8Z0
「よぉ、そこの彼女。何それ、あぁ、かわいい携帯だね~」
男の一人が、少女の携帯を見て声をかけた。
少女は顔を上げ、不思議そうに男達の顔を順番に見た。
「でもさ、知ってた? 優先席って、携帯使っちゃいけないんだよ」
さっきまでタバコを吸っていたくせに何を!
律子は、今にも男達を怒鳴ってやりたい気持ちでいっぱいになった。
「えっ、そうなの? ごめんなさいなの」
少女は、素直にそう返事をすると携帯を閉じ、ポケットにしまおうとした。
その瞬間、男の一人が少女の持っていた携帯をサッと取り上げた。
「あっ、何するの!」
「教育的指導ってヤツさ。あんたのように悪い子の携帯は、お兄さん達が没収しとくぜ」
パッと手を伸ばす少女をあざ笑うかのように、男は携帯を高々と上げてみせた。
少女は、いつの間にか自分が男達に囲まれる位置に立っていることに気づいた。
「今日一日、俺達と一緒に遊んでくれれば、携帯も返してやるよ」
一人の男がそう言うと、残りの男達は少女を威圧するように顔を近づけてきた。
だが、少女の返答は、誰もが予想するよりも短く単純なものだった。
「ヤ」
一瞬、何を言われたのか分からず、男達はもう一度少女に聞いた。
「ヤ、って言ったの。ありえない」
7 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:56:03.70 ID:sFFUNv8Z0
「だってミキ――あっ、ミキっていうんだけどね?
ミキ、あまりお兄さん達みたいな人って好みじゃないもん。
タバコ臭いし、服も顔も何か汚いし、ちょっと一緒に歩きたくないって思うな。
だから、携帯返して」
歯に衣着せぬ物言いで、ミキと名乗る少女は男達をバッサリと切り捨てた。
あまりの言い草に、男達はしばし呆然としていたが、やがて一人が激昂し少女に掴みかかった。
「なめてんのか、このクソガキ!」
「ヤ! ちょっと、離してよ!」
「いい加減にしろ!」
男達が少女に乱暴する様子を見るに見かねて、乗客の一人が声を上げた。
男達は咄嗟にその乗客の方を睨んだが、その一声に端を発し、周囲から次々と男達を非難する声が上がった。
「そうよ、嫌がってるじゃない!」
「自分達の方からけしかけといて、何様のつもりだ!」
「その子だけじゃない、皆も迷惑してるんだぞ!」
まさか、さっきまで傍観していただけの連中にここまで言われるとは。
一人二人ならまだしも、同じ車両にいたほぼ全ての乗客が一斉に少女に味方し、男達を取り巻いた。
予想外の展開に、男達は途端に戦意を喪失した。
ちょうど、電車は田町に着くところだった。
扉が開くや否や、男達は少女の携帯を乱暴に投げ捨てると、逃げるように電車から降りて去って行った。
8 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:57:10.42 ID:sFFUNv8Z0
少女は、男が投げ捨てた携帯を手に取った。
そして、角についてしまったキズを見てガッカリした後、再び元の席に腰を下ろした。
「お嬢ちゃん、ありがとうねぇ」
つまらなそうな顔をしていた少女に、隣に座っていた老婆が優しく声をかけた。
「あの人達、騒いだりタバコ吸っていたりして、皆迷惑していたんだけれど、いざってなるとなかなか注意する勇気が出なくて」
「ミキ、ありがとうって言われるような事した?」
「えぇ、そうね。私達が注意しようって思うきっかけを作ってくれたわ」
「んー、良く分かんないけど、こちらこそ助けてくれてありがとうなの!」
少女は元気良く老婆に返事するとその場に立ち上がり、車両の端まで届くよう他の乗客に向かって再びお礼の言葉を述べた。
その後、車両に拍手がポツポツと鳴り響いたのだった。
9 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 20:59:00.57 ID:sFFUNv8Z0
少女は品川で降りた。
二駅分しか電車に乗っていなかったが、その短い間に彼女が他の乗客に与えたインパクトはあまりにも強烈だった。
律子と雪歩も同様だった。
自分が絡まれた時に助けが無かったことを思い出し、少しムッとしたが、今はそれよりも、律子は天真爛漫な少女の事で頭の中がいっぱいだった。
雪歩は、少女に終始見とれていた。
大勢の乗客からの拍手を受けるその姿は、アイドルの自分よりもずっとアイドルらしかった。
蒲田で東急多摩川線に乗り換えてからも、二人の脳裏にはずっと少女の事が頭から離れなかった。
彼女の金髪が眩しかったせいだろうか。
今も何となく、太陽を直接見た時のように目がシパシパしている。
10 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:01:00.16 ID:sFFUNv8Z0
翌日、新しいアイドル候補生をスカウトしたと、プロデューサーが鼻息を荒くして律子に話した。
その名前に聞き覚えがあったため、律子はどんな子なのかと問いかけた。
「金髪ロングでスタイル抜群、でもあどけなさが残る顔が印象的だったなぁ。
昨日、浜松町を歩いてたところを見かけてさ」
やはりあの子だ。
昨日の出来事をプロデューサーに話すと、プロデューサーはひどく驚いた。
「何とも運命的だな。
今日、午前中にここに来てくれる予定だから、もし時間が合えば律子も同席してくれるか?
昨日の話題を出せば、彼女も食いついてくるだろうし」
今日は、午後から春香と伊織、雪歩のレッスンに付き合うので、それまでで良ければと律子は答えた。
プロデューサーは、今からあの少女に会うのが待ち遠しいようで、何度も事務所の壁にかかった時計に目をやっている。
素っ気無く返事をしたものの、内心は律子も知らず知らずのうちに胸を高鳴らせていた。
まさか再会する日が来ようとは。それもこんな早くに。
思えば、あの電車に彼女が来てくれていなければ、自分はあの後どのような目に遭っていたか分からない。
昨日の話題を出した際に、お礼を言っておくのも良いだろう。
だが、約束の時間が過ぎ、午後になっても少女はやってこない。
レッスンがあるので、律子は候補生の三人を車に乗せ、事務所を出た。
結局、その日のうちに少女が事務所を訪れることはなかった。
少女が事務所に来たのは、その翌日のことだった。
11 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:02:49.56 ID:sFFUNv8Z0
「先生に会いに行ってたの」
星井美希は、昨日事務所に来なかった理由を律子が聞くと、そう答えた。
学校の先生かしら。
「ううん、違うよ。カモ先生なの」
カモ先生? 加茂、賀茂――?
いずれにせよ、彼女にはお世話になっている先生がいるらしい。
律子は、深く追求するのは止めておいた。
「まぁ、用事で来れなくなったら電話なりで連絡をくれると嬉しいわね。
こちらが招いた手前、強くは言えないけれど」
「うん、分かったの。ごめんね」
今度からは気をつけるように、と律子は念を押した。
言葉遣いも、今後直していく必要がありそうだ。
プロデューサーはこの日、あずさとやよいを連れて営業に出ていた。
だから、美希の面接は律子が担当した。
なぜ私が―――。
プロデューサーがスカウトしたのなら、彼が責任を持つべきだとも思ったが、律子自身も彼女に会いたいと思う気持ちはあった。
おあいこという事にしておこう、と無理矢理自分を納得させ、律子は質問を続けた。
「何か音楽に関する経験は? 例えば、ピアノを習っていたとか」
「カラオケは皆とたまに良く行くよ?」
「運動は得意かしら? この業界、ダンス以外にも割と体力勝負な側面もあるのだけれど」
「えー、疲れるのはヤなの」
「ずばり聞くけど、やる気はある?」
「良く分かんない」
質疑を繰り返しても、なかなか前向きな答えが返ってこない。
律子はめまいがしてきた。
12 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:05:13.38 ID:sFFUNv8Z0
美希はおそらく、アイドルという職業に興味があった訳ではないらしい。
一昨日プロデューサーに声を掛けられ、たまたま暇だったから今日来たということだろう。
律子は、15分程度の面接を経てそう解釈した。
ならば、興味を持たせてやろうではないか。
それに、アイドルとしての適正をはかる手段は質疑応答だけではない。
春の陽気に誘われ、まぶたが半分落ちかけている美希を連れて、律子は事務所を出た。
765プロの事務所は、たるき亭ビルというオフィスビルの4階にある。
エレベーターは故障しているので使えないため、屋内の階段を上り下りしなくてはならない。
階段を下りる間、美希は欠伸を繰り返していた。
13 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:07:19.52 ID:sFFUNv8Z0
タクシーを捕まえて向かった先は、地元の自治会館だった。
既に事務所の車が駐車場に停められている。
ちょうど、あずさとやよいの出番が始まる時間であった。
受付を済ませ、美希の手を引き、律子は庁舎内の2階にある大会議室へと向かった。
扉を開けると、パイプ椅子に座った老人や親子連れの前に設けられたステージに、二人が立っていた。
ステージの後ろの壁には、『自治会館会議室改装記念ステージ』と書かれた看板が架かっている。
下の余白には、小さく『765プロダクション 三浦あずさ様、高槻やよい様』とあった。
およそ60名ほどの観客からは概ね好評のようであり、やよいが『おはよう!!朝ご飯』を、あずさが『9:02pm』を歌うと、大きな拍手が沸いた。
子供達はやよいの歌が、大人達はあずさの歌が特に気に入ったようである。
期待通りの仕事を終えた二人を、プロデューサーと律子は暖かく迎えた。
「あら~、律子さんも来てくれていたんですか~」
右頬に手を当て、少し恥ずかしげにあずさは言った。
小さなライブを終え、興奮気味のやよいがそれに続く。
「うれしいですー!
あっ、これ自治会館の人たちからもらった、しょ、しょれい? ――しょれい金です!」
茶封筒に入れられた謝礼金を、やよいはプロデューサーに差し出した。
「あぁ、これはやよいがもらって良いんだよ。しかし、君も良く来てくれたな」
プロデューサーは、茶封筒を丁寧にやよいの手元に返すと、律子の後ろにいる美希の顔を上から覗き込んでみた。
美希は、まだ何となく眠そうな顔をしている。
14 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:09:34.02 ID:sFFUNv8Z0
「あふぅ。この人に連れられたから来ただけなの」
それはそうなんだけど―――。
何か言い返したくなるのを我慢して、律子は美希にライブの感想を聞いてみた。
「うーん、ちょっと想像してたのと違うってカンジかな」
それはどういう意味なのか、プロデューサーや律子が聞くよりも先に、美希が続けた。
「アイドルって、もっと大っきな会場で、たくさん人がいる前で歌ったりしないの?
子供やおじいちゃんおばあちゃんの前で歌うのって、テレビの1chを見てるみたいで眠くなっちゃったの」
あずさとプロデューサーは、困ったような顔をして笑っている。
やよいは、言い返す言葉が無くて、黙って俯いてしまった。
765プロがまだまだ弱小のアイドル事務所であることは自覚していたが、こうも面と向かって言われると穏やかならぬ気分になる。
悔しさに耐えかねて、律子は再度美希の手を引いた。
「ちょっとレッスンに連れて行きます」
そういう生意気な台詞は、ウチの子達が身を置いている世界がどれだけ厳しいものなのかを知ってから言ってほしいわ。
律子は、昨日の礼を言うのも忘れ、いつの間にか美希を何とか見返してやりたいという気持ちに支配されていた。
15 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:11:46.73 ID:sFFUNv8Z0
プロデューサーから半ば強引に事務所の車の鍵を受け取り、律子は第二京浜を北へ向かった。
五反田駅を過ぎ、品川にある衆議院の議員宿舎へ向かうよう交差点を右折すれば、通り沿いに765プロ御用達のレッスンスタジオがある。
およそ10分ほど車を走らせ、ダンスレッスンが行われている部屋の扉を開けると、春香と雪歩、真が休憩しているところだった。
真の姿を見て、律子はしめたと思った。
今日のこの時間は、確か別の部屋で千早がボイストレーニングを行っているはずである。
ダンスとボーカルそれぞれで看板を張るアイドル達の実力を目の当たりにすれば、美希も765プロを見直すのではないだろうか。
「あっ、律子さん、お疲れ様です! その子は誰ですか?」
真っ先に声をかけたのは、天海春香だった。
765プロに在籍するアイドルの中でもその経歴は長く、メンバーの中心的存在である。
首元にタオルをかけ、ペットボトルを片手に近づいてくる。
「この子はウチの新しい候補生よ。星井美希さん。さっ、自己紹介してもらえるかしら?」
律子は簡単に紹介を済ませると、美希の背中をポンと押した。
「あふぅ。星井美希なの。ここってどこ?」
車の中でウトウトしていた美希は、いまいち自分がなぜここにいるのか分かりかねているようだった。
「ここはウチの事務所が良く使ってるレッスンスタジオだよ。ボクは菊地真、よろしくね!」
黒いタンクトップを着たボーイッシュな少女が美希に握手を求めた。
「うわー、カッコイイの! 男の子もいるんだね」
「ボクは女の子だよ!」
美希がいくら真の容姿を褒めたところで、褒めるベクトルが違うために真は憤慨するのだった。
16 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:14:01.79 ID:sFFUNv8Z0
「ダンスの練習風景をこの子に見せてあげたいの。一度、通しでやってみせてちょうだい」
律子の目線は、真と美希の方へ交互に向けられていた。
三人は元気良く返事をすると、音源をセットし、配置についた。
「真を良く見ていなさい。あの黒いタンクトップの子」
律子は、美希の耳元にそう告げた。
美希は曖昧に返し、ボーッと三人のセンターに立つ真の方へ目を向けた。
曲が始まり、アイドル達のダンスに律子は腕組みをして目を光らせる。
春香は、昨日言われた事がまだ直っていない。半拍遅れている。
雪歩は、どうしてもターンが苦手のようだ。
あと、突然の来客に萎縮しているのか、手の振りもいつもより余計に小さい。
その一方で、真はさすがの切れを見せていた。
比較的背は高い方だが、ダイナミックなダンスでそれ以上に体が大きく見える。リズム感も良い。
持って生まれた資質だけでなく、たゆまぬ努力に裏づけされた実力であることは、プロデューサーも認めるところであった。
約3分程度のダンスを終えると、律子は三人にそれぞれの課題を告げた。
だが、その時の表情がなぜか勝ち誇っているようにも見えたため、アイドル達は少し不思議そうに首を傾げながら返事をした。
「さて、どうだったかしら? ウチの子達のダンスは」
律子は、美希の方へと向き直り、きっと得られるであろう賞賛の言葉を待った。
「すごかったの。特に真クンって人のダンス、すごくカッコ良かったの」
だから君付けで呼ぶの止めてってば―――素直に喜べない真を尻目に、美希は続けた。
「今のダンス――えぇと、こうきて、こうなの?」
突然、美希はその場でステップを踏み始めた。
アイドル達のダンスを見て、少し気が乗ってきたのかも知れない。
しかし、律子が次の瞬間驚いたのは、美希のそのセンスであった。
17 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:15:58.07 ID:sFFUNv8Z0
少したどたどしくはあるが、美希は一度見たダンスの振り付けの前半部分を、ほぼ間違えることなく踊ってみせた。
765プロ関係者以外の誰かに披露したのは、今回美希が初めてのダンスである。
「えっ!? す、すごい! 今の見ただけでもう覚えちゃったの?」
春香は動揺を隠せなかった。
雪歩や真も、信じられないと言った表情で互いに顔を見合わせている。
「うーん、間違ってたらごめんなの」
「バッチリ合ってるよ、すごい! ちなみにさ、後半はどう?」
真に促され、美希は首を傾げながらも後半部分を踊った。
その振り付けも、概ね正しいものであったため、アイドルの三人はいよいよ悲鳴にも似た歓声をあげた。
「天才ですよ、天才! 律子さん、良くこんな子を見つけてきましたね!」
春香は律子の方を向き、抑えきれない興奮を露にした。
そして、もう一度美希の方へ向き直ると、一度一緒に踊ってみないかと誘った。
「えー? でもミキ、靴持ってないし」
「あ、あのぅ―――良ければ、私の靴を使って下さい。ちょっと、小さいかもだけど」
渋る美希を促すように、雪歩が自分の靴を差し出した。
美希は、断ることもできなくなったことを理解し、雪歩の靴を受け取ると上着を脱ぎ、春香や真と一緒に立った。
まさか―――不安と期待が入り混じっていたが、曲が始まるとすぐに律子の気持ちから不安が消し飛んだ。
真には一歩も二歩も譲るが、美希は一度も止まることなく、他の二人と一緒にダンスを踊ってみせたのだった。
18 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:17:39.09 ID:sFFUNv8Z0
しばし呆然としていたが、すぐに我に返り、律子は美希を素直に賞賛した。
「まさか私の方が驚かされるなんてね」
美希は、もう動きたくないと言った様子でその場に座り込みながら、めんどくさそうに律子の顔を見た。
「アイドルって、大変だね」
その実力をつけるまでが大変なのよ、と言い返そうと思ったが、律子は止めておいた。
ダンスの実力は申し分無い。では、ボーカルはどうだろうか。
律子は、三人に労いの言葉をかけると、もう帰りたいと言う美希の手を引き、別の部屋へ向かった。
765プロが誇る歌姫、如月千早のいるボイストレーニングルームである。
19 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:20:02.18 ID:sFFUNv8Z0
扉を開けると、千早はコーチと共に熱心に発声練習を行っていた。
来室にしばらく気づいていない様子だったが、コーチが律子達に挨拶すると、ようやく千早も向き直り丁寧にお辞儀をした。
「お疲れ様です、秋月さん」
「律子で良いと言っているでしょう? 敬語とかも、別に気を使わなくていいわよ」
「そうだったわね」
千早はフッと笑うと、律子の後ろにいる金髪の少女に目をやった。
「ミキも律子って呼んでいい?」
「あなたは、しばらくさん付けで呼びなさい」
えーっ、とわがままな表情を浮かべている美希を見て、千早は手を口元に添えて忍ぶように笑った。
「如月千早です。よろしく」
お互いに簡単な自己紹介を済ますと、律子は真達にそうしたように、千早に一曲通しで歌ってみるように言った。
「曲は―――じゃあ、『蒼い鳥』で良いかしら」
コーチにお願いをして音源をセットしてもらい、千早はマイクの前に立った。
20 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:23:03.52 ID:sFFUNv8Z0
『蒼い鳥』は、まさしく千早のためにある曲だと律子は感じていた。
十分な声量に加え、ビブラートを利かせた伸びのある千早の歌声は、765プロでも随一である。
それに加え、どことなく悲壮感を漂わせるこの曲は、時折影を見せる千早のイメージにも合っており、ある種の完成形に達しているとさえ思った。
通しで歌い終えて、千早は少し首を捻っていた。
自分で納得できない箇所がいくつかあったようで、手に持った譜面に何やら細かく書き込んでいる。
ストイックな性格も、千早の良い所であると律子は解釈している。
律子は、美希に感想を聞いた。
やはり、千早の歌唱力は美希も認めたようであり、しきりにすごいと連呼していた。
「普段もずっとこういう練習してるの?」
「えぇ。そうね、レッスン以外にも、例えば自宅で腹筋をしたりだとか」
「えっ、腹筋!? 何で、ちょっと触っても良い?」
突然、美希にお腹をさすられて、千早はかなり戸惑った。
律子が慌てて止めに入る。
「すごいなぁ。ミキには絶対マネできないの」
「あなたも、何か一曲歌ってみない?」
突然の律子の提案に、美希は「えっ」と間の抜けた声を上げた。
美希を連れてきた目的は、765プロの実力を見直してもらうだけでなく、彼女の実力を見るためでもあった。
「歌える曲あるかなぁ」
「最近の曲は、こっちの棚にあるわよ」
千早に案内されると、美希はしばらく曲を探した後、一枚の音源を手に取った。
「カラオケで良く歌う曲なの」
『蒼い鳥』とは趣向の違う、若い女性アーティストのアップテンポで華やかな曲だ。
律子は頷いた。
21 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:25:21.04 ID:sFFUNv8Z0
何となく予感はしていたが、すぐに律子のそれは的中した。
美希は、ボーカル面でも抜群の歌唱力を見せた。
声の質も歌い方も、聞いている人を楽しませ、高揚させる不思議な華がある。
先ほどのダンスも、練習こそ十分でないためにたどたどしかったが、もし十分な練習期間を設けて磨き上げたダンスに、この歌唱力が合わされば――!
「お疲れ様。良い歌声だったわ」
千早は、賞賛の言葉を述べながら、美希に水を渡した。
「そういえば、さっき踊った後も水飲んでなかったから、喉がカラカラなの」
美希は、千早から手渡されたコップを持つと、一息に飲み干し、ふぅと息をついた。
「でも、アイドルって大変だね」
ダンスを終えた時と同じように、美希が疲れた様子で言った。
「そんな事無いわ。あなたは十分やれるわよ、自信を持って」
こんな所で、金の卵をみすみす逃す訳にはいかない。
律子は、何とか美希を引き止めようと必死になった。
「ううん、別にやりたくないって言うんじゃないの。
でも、ミキ的にはもうちょっとのんびりアイドルやりたいって思うな」
どうやら、レッスンに連れて来たのは間違いではなかったらしい。
見返してやる事はあまり出来なかったが、アイドルに興味を持たせる事には成功したようだ。
欠伸をしながら答える天才を見て、律子は何とかしてこのじゃじゃ馬をトップアイドルへと導かなくてはと思った。
22 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:27:42.17 ID:sFFUNv8Z0
【2】
突然、律子がレッスン室に連れてきた少女を見て、雪歩の心臓は大きく高鳴った。
星井美希と名乗るその少女は、つい先日、電車の中で雪歩達を助けた子であった。
二日ぶりの再会でも、彼女の姿は雪歩の瞳の奥にまぶしく映った。
あの日のお礼を言わなくては―――
そう思いながら、掛けるべき言葉が思い浮かばずにまごついていると、律子から一度ダンスを通しで行うようにと言われた。
今日レッスン室にいたアイドルの中で、自分だけまだ自己紹介も済んでいない。
雪歩は言われるがまま配置についたが、とてもダンスに集中できる心境ではなかった。
案の定、踊り終えると、律子から振りが小さく縮こまっていることを指摘された。
いつも言われる事なのだが、どうしても直らない。
普段の自信の無さが、ダンスにも現れてしまうのだった。
そして驚いたのが、美希の才能である。
何せ、自分が練習によってようやく通しで踊れるようになったダンスを、あの少女は一度見ただけで覚えてしまったのだ。
一緒に踊ろうという春香の提案に渋る美希へ、雪歩は自分の靴を差し出した。
私も、美希ちゃんのダンスをもっと見てみたい。
普段は真のダンスに見とれるのだが、今日の雪歩は美希のたどたどしいダンスに終始目を奪われていた。
23 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:29:45.87 ID:sFFUNv8Z0
千早の様子も見に行くと言って、律子達が部屋を出てからも、残った三人は美希という少女の話題で持ちきりになった。
「雪歩は、あのダンスを通しで踊れるようになるまでどれくらいかかった?」
春香にそう聞かれ、雪歩は頭の中のカレンダーを一枚ずつめくり直してみた。
「い、一週間―――ううん、えっと、十日間、くらいかな」
「だよね、やっぱそれくらいかかったよね!
それがえぇと、5分? 大体5分、すごくない!?」
幾分大げさな仕草で美希のすごさを興奮気味に話す春香に、雪歩は少しおかしくなって笑った。
「真ちゃんは、初日からほとんど止まらずに踊れてたよね」
「いや、それは言い過ぎだよ雪歩。
それにしても、あの美希って子、ちゃんと練習したらどうなるんだろう」
うーん、と唸りながら、真は腕組みをした。
「ダンスだけは、誰にも負けない自信があったんだけどなぁ」
「でも、あれだけすごい子が本当にウチに入ったら、きっとプロデューサーさんも喜ぶよ」
春香はまだ興奮が冷めないようだ。雪歩も同調してそれに続く。
「すごくキラキラしてたなぁ。同い年――いや、少し下かな」
「もしそうなら、ますますボク、負けてられないよ」
雪歩達の話に感化され、真が立ち上がった。
「ほら、練習再開しよう!」
その後の練習中も、雪歩は美希の事をずっと考えていた。
千早ちゃんの所に言った後、もう一度ここに寄るのかなぁ。
だとしたら、今度はちゃんと自己紹介して、お礼を言わないと。
春香ちゃんが事務所の中を案内したいって言ってたから、私も一緒について行こうかな。
結局、律子達が雪歩達のいる部屋に再度立ち寄ることは無かった。
しかし、美希は歌唱力も並外れたものを持っていたらしい。
後日、律子からそれを聞いて、雪歩は何だか嬉しくなった。
24 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:32:18.68 ID:sFFUNv8Z0
翌日から、美希は事務所の話題の中心にいた。
水瀬伊織は、真と同様に美希に対してライバル意識を持った一人だった。
「ちょっと実力があるからって、まだ一花咲かせていないのはあんたも一緒なんだからね!」
ソファーに寝転がっている美希の前に立ち、ウサギのぬいぐるみを抱きながら人差し指を突きつけ、伊織はすごんで見せた。
「うーん、そんな事言われても、ミキ、昨日来たばかりなの。
それに、そんなに急がなくても、皆ももっとのんびりすれば良いんじゃないかな」
「私はあんたと違って、見返さなきゃいけない人がいるからモタモタしてられないのよ!
あんただって、そうやって悠長に構えていられるのも今のうちだってこと、覚えておきなさい!」
「ふーん。頑張ってねデコちゃん、あふぅ」
「なっ―――デコちゃん言うな!」
自身の特徴的な額からおかしな愛称で呼ばれてしまい、伊織は赤面した。
双子のアイドルである双海亜美、真美は、すぐに美希に懐いたようだった。
初日から、タバスコ入りツナマヨおにぎりを食べさせられた美希が、亜美と真美を追いかけている。
彼女達の悪戯には、さすがに美希も黙っていられないようだ。
「寝起きになんてもの食べさせるのー!」
「ミキミキがソファーを独り占めしてたのが悪いのだよん!」
「んっふっふ~、ケーザイセーサイってヤツっしょ!」
やれやれと呟きながら、事務所の事務員である音無小鳥が、美希がテーブルにこぼしたおにぎりを雑巾で拭く。
25 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:34:36.98 ID:sFFUNv8Z0
雪歩は、美希と他のアイドル達とのやり取りを、少し離れた所から見ていた。
春香の焼いてきたクッキーを美味しそうにほおばり、あずさの胸に飛び込んで甘えた。
やよいが来れば逆に頭を撫でてあげたし、真が拳骨を突き出せばパーを出して見せた。
なぜ、嫌がる千早のお腹をさすっていたのかは分からないが。
自分がお茶を出せば、「ありがとうなの!」と言って飲んでくれもした。
プロデューサーだけでなく、律子も口では何か小言を言っているが、彼女の事を嫌う様子は無い。
いつか、ちゃんとあの日のお礼を彼女に言いたいと思っているが、またしてもタイミングが合わない。
今日も雪歩は、昨日と同じレッスンスタジオでダンスの練習があり、午後はそれに費やされた。
今日は、プロデューサーが一緒について見てくれていたが、なかなか彼に進歩した姿を見せられず、申し訳無いと思っていた。
26 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:36:29.41 ID:sFFUNv8Z0
家の用事があるからと、先に帰ったやよい達を見送った後、プロデューサーも雪歩に練習を切り上げようか聞いた。
「いえ―――まだ全然、ダメダメだから、もう少しだけ残って練習しますぅ」
意外にも根性があるなと、プロデューサーは事ある毎に思っていた。
しかし、雪歩のそのメンタリティがどこからくるものなのか、彼には分からなかった。
自分を変えたいという思いだけで、ここまで頑張れるものなのか。
自分も一緒に残る旨を伝えると、雪歩は申し訳無さそうに断った。
「プロデューサーに、これ以上迷惑はかけたくないんですぅ」
「迷惑だなんて―――」
「――分かった。じゃあ、俺は事務所に戻るよ。
鍵は、管理人さんによろしく言っておくからな」
無茶するなよ、と言い残し、プロデューサーは部屋を出て行った。
27 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:37:59.68 ID:sFFUNv8Z0
一人残ったレッスン室で、雪歩は黙々と練習を続けた。
だが、どうしてもターンがうまくいかない。
時々、それらしく決まる時もあるが、どうしてなのか自分でも分からない。
何より、鏡に映る自分のダンスは、自分の目指す真のそれとは似ても似つかないものだった。
美希は、一回目から自分よりも上手に踊れていた。
本来は、ああいう才能のある人間がトップアイドルを目指すべきなのかも知れない。
でも―――。
かぶりを振り、余計な事を考えるのは止めて、雪歩はもう一度同じ所を繰り返そうとした。
その時、レッスン室の扉が開いた。
驚いて振り返ると、美希が立っていた。
28 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:39:37.22 ID:sFFUNv8Z0
「あれ、まだ練習してたの?」
美希も、まさか誰かがまだ残っているなどと思っていなかったから驚いたようである。
「う、うん。えへへ」
予想外の来訪に何を言って良いのか分からず、雪歩は何となく笑ってごまかした。
どうやら、美希は昨日この部屋に来たときに忘れ物をしたらしい。
携帯につけていたストラップが見当たらないとのことだった。
「携帯から取れるなんてこと、普通無いと思うんだけどなぁ」
ブツブツ言いながら、美希はその場にかがんで床をくまなく調べ始めた。
「あっ、ミキのことは気にしなくていいよ? 練習の邪魔してごめんなの」
そういう訳にもいかないので、雪歩も一緒に探すことにした。
結局、取れたストラップが美希のバッグの中にあったことが分かると、美希は何度も雪歩に頭を下げた。
しかし、元々怒るつもりもなかった雪歩は、笑ってそれを許したのだった。
29 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:41:23.45 ID:sFFUNv8Z0
「ううん、いいよ。美希ちゃんだって、この間律子さんと私のことを助けてくれたんだから」
雪歩は、これまで言えなかったことをようやく美希に言うことができた。
「何が?」
「この間、美希ちゃん電車の中で男の人達と少しトラブルになっていたでしょう?」
「あぁ」
一瞬、合点がいったという表情を見せた後、すぐに美希は首を傾げた。
「何でそれがありがとうなの?」
「美希ちゃんが来る前、律子さんと私が、あの男の人達とちょっと――」
「えーっ、ひどい!」
自分も携帯を乱暴にされた事を思い出したのか、美希は怒った様子を見せた。
「だから、美希ちゃんがあの男の人達を追い払ってくれて、ありがとうって」
「追い払ったのは他の人達だよ?」
「ううん、美希ちゃんのおかげだよ」
ふーん、と一応納得した様子を見せて、再び美希は雪歩に話しかけた。
「まだちゃんと自己紹介してなかったよね? 星井美希なの!」
「あっ―――は、萩原雪歩ですぅ。じゅ、17歳」
「えっ、17歳? ミキより三つも年上なんだ、じゃあお姉ちゃんなんだね」
予想外の呼び名に一瞬ドキッとして、雪歩はうろたえた。
「あっ、でも雪歩はあまりお姉ちゃんってカンジしないから、やっぱ雪歩でいいの」
どこまでも、この子は自由に物事を考えるんだなぁと雪歩は思った。
30 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:43:16.62 ID:sFFUNv8Z0
「雪歩も、トップアイドル目指してるの?」
美希が雪歩に問いかけた。
唐突な質問に、雪歩は少し戸惑いながらも返事をした。
ふーん、と少し視線を外した後、また雪歩の目を見て美希は尋ねた。
「何で?」
そう言えば、アイドルを目指す理由は、他の人にちゃんと話した事は無い。
特に隠す理由も無いのだが―――。
「私って、ダメダメだから、ちょっとでも自分を変えたいなぁって」
「ダメダメなの?」
うーん、と雪歩の顔をまじまじと見つめた後、美希は不思議そうに言った。
「こんなに練習してる人がダメダメなのかなぁ」
「ダメダメだから、練習しないといけないんですぅ」
「すごいなぁ」
何がすごいというのか。雪歩は美希の言葉の意味が分からなかった。
だが、美希は皮肉でも何でもなく、素直に雪歩の努力する姿勢を賞賛したようだった。
「ミキ、今まで何かに一生懸命になった事ってないの。
だから、雪歩や皆みたいに、一生懸命やってる人ってすごいって思うな」
何でもできちゃう美希ちゃんの方がすごいよ、と雪歩が言い返すよりも早く、美希は時計を確認して難しい表情を見せた。
「今日はパパとママが早く帰って来る日だから、ミキも早く帰ってきなさいってお姉ちゃんに言われてるの」
それじゃあね、と言い、美希は手を振りながら部屋を出て行った。
一人残された部屋で、雪歩は、そろそろ自分も帰らないといけない時間であることを自覚したが、もう少しだけ粘ることを決めた。
31 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:49:37.98 ID:sFFUNv8Z0
TBKテレビ局は新橋にあった。
品川へ向かう時と同様に第二京浜を北上し、虎ノ門の交差点を右折する。
翌日、プロデューサーはあずさと雪歩、美希を車に乗せ、オーディション会場である同局へ向かっていた。
今日は、あずさがエントリーした音楽番組のオーディション本番であり、雪歩と美希は付き添いである。
当初は雪歩だけが付いていく予定だった。
しかし、美希にも見せておいた方が良いという、事務所の社長である高木順二朗の一声もあり、昨日決まったとのことだった。
テレビ局に着くと、美希は番組のパンフレットを手当たり次第に手に取っていった。
テレビを見るのはそれなりに好きなようであり、美希は楽しそうに雪歩達に話した。
「この番組、ママが毎週録画しているの」
「この時間は、お姉ちゃんとリモコンの取り合いになって、いつもミキが負けちゃうの」
しかし、当のあずさは浮かない表情をしていた。
緊張もあるが、先日から体調を崩していたのだ。
昨日も、春香のクッキーにはあまり手をつけず、しきりに咳き込みながら辛そうにソファーにもたれていたのを雪歩は記憶していた。
「ミキ、悪いことしちゃったかな」
雪歩がその事を話すと、昨日無遠慮にあずさに抱きついてはしゃいでいた自分を思い出し、美希はうなだれてしまった。
「ううん、仕方ないよ。それに、そんな事で嫌がる人じゃないし、今日だって大丈夫、だと思う」
雪歩はそう言って美希を励ましたが、内心はなかなかトイレから出てこないあずさが心配だった。
32 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:52:21.95 ID:sFFUNv8Z0
オーディションにエントリーしたアイドルの中には、新幹少女の名も入っていた。
近頃、ローカル局を中心に数々のオーディションを勝ってきた実力者だ。
「チームでエントリーしても良いの?」
新幹少女がトリオであることを知り、美希は少しずるいと思ったのかも知れない。
何となく不満そうな顔を見せた。
やがて、オーディションが始まった。
プロデューサーと雪歩、美希は舞台袖からあずさを見守る。
あずさの曲目は、以前自治会館で歌った曲と同じ『9:02pm』だ。
本来の実力を発揮してアピールを重ねていけば、合格枠は勝ち取れるとプロデューサーは踏んでいた。
しかし、ダンスにもボーカルにも、今日のあずさには冴えが無い。
表情も、無理に作ったものであるのが審査員だけでなく雪歩達の目にも明らかだった。
アピールポイントは伸びなかった。
33 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:54:12.87 ID:sFFUNv8Z0
「呼ばれなかった方はお帰り頂いて結構です。お疲れ様でした」
審査員は合格者のエントリー番号を告げると、最後にそう付け加えた。
他のエントリーしたアイドル達は皆一様に肩を落とし、そそくさと会場から去っていく。
「あずささん、帰りましょうか。惜しかったですね」
そう言って、プロデューサーはあずさを労った。
本当は惜敗でないのは、あずさが一番良く分かっていた。
会場を出ようとした時、後ろから声が聞こえた。
「今時、あんなだっさいダンスでオーディションを戦おうだなんてねぇ」
声の主は、今日の合格者、新幹少女の一人であるひかりだ。
他の二人、つばめとのぞみも、あずさに対する嫌味を浴びせた。
「声も全然出てなかったし、ホント、何しに来たのかなぁ?」
「ま、どうせあんな年増がこの先はしゃいだ所でどうにもならないだろうけど」
34 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:57:47.91 ID:sFFUNv8Z0
風の噂で、新幹少女がオーディション敗北者に嫌味を言うのは、プロデューサーも聞いた事があった。
他のアイドル達が、合格者の発表を聞いてすぐに会場を去ったのは、彼女達の嫌味を避けるためだったのだと、ようやくプロデューサーは理解した。
「大丈夫ですよ、プロデューサーさん。私、気にしていませんから」
あずさはそう言ってニコッと微笑んでみせると、フラフラと会場の出口へと向かった。
だが、足元がおぼつかず、会場の機材につまづいて転んでしまった。
ビックリしてあずさの元へ駆け寄る雪歩達であったが、その様子を見て新幹少女はさらに意地の悪い言葉を投げかけた。
「迷惑なのよ。あんた達のような弱小がオーディションに来るだけで、こっちの評判まで下がっちゃうわ」
次々に降りかかる悪口に、プロデューサーは肩を震わせながらも何とかあずさを起こし、出口へとエスコートした。
しかし、まさにもう帰ろうと歩を進めようとした瞬間、プロデューサーはふと違和感を覚えた。
誰かがいない。
振り返ると、美希が新幹少女の前に立っていた。
雪歩の立っている位置からでは、彼女の表情を窺い知ることはできないが、嫌な予感がした。
雪歩の予感に応えるように、美希は突然ひかりの肩を手で突いた。
「あずさに謝ってよ」
35 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 21:59:40.73 ID:sFFUNv8Z0
「何するのよ!」
突然乱暴された事に憤り、新幹少女は一斉に見知らぬ付き添いの少女を睨み付けた。
「友達を馬鹿にするのは許せないの。
この間、自治会館で歌ってた時のあずさなら、キミ達だって全然相手にならないって思うな」
鼻で笑いながら、美希はさらに付け加えた。
「もちろん、あんな実力ならミキにも敵わないだろうけどね」
「止めろ、美希!」
今にも手を出しそうな新幹少女と美希の間に、慌ててプロデューサーが割って入った。
「ウチの者が大変な失礼を致しました。どうか勘弁して下さい、この通りです」
相手方のプロデューサーに何度も頭を下げ、どうにかその場を収めることができた。
相手も、新幹少女が行き過ぎた発言をしたと、理解を示してくれたようである。
36 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:01:53.64 ID:sFFUNv8Z0
あずさの自宅へと向かう車の中で、後部座席にいる美希は会場で起きた揉め事についてまだ愚痴をこぼしていた。
プロデューサーと、助手席にいる雪歩が美希をなだめている。
「あっちのプロデューサーさんも謝ってくれた事だし、もう止めよう、ね?」
「あの子達からは謝ってもらってないもん!」
「気持ちは分かるけど、次からはああいう事はしないでくれよ、頼むから」
「だって―――」
もっとプロデューサー達に言いたい事はあったが、隣に座るあずさにシィーッと注意され、美希は何も言えなくなってしまった。
口を尖らせ、つまらなそうに携帯を弄っている。
「美希ちゃん」
不意にあずさから声をかけられ、美希は顔を隣へ向けた。
「ありがとう」
あずさは口元だけ動かしてそう美希に告げ、ニコッと微笑んでみせると、車が自宅に着くまでの間、すぅっと目を閉じて眠りについた。
37 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:04:16.59 ID:sFFUNv8Z0
【3】
あずさのオーディションから二日後、美希が事務所に行くと、待ってましたとばかりに事務所のメンバーから一斉に出迎えられた。
どうやら、オーディションの翌日から、事務所ではあの日に起きた事件がちょっとしたニュースになっていたようである。
早々に律子が美希を呼び出し、先だっての軽率な言動を戒めた。
だが、アイドルの皆からは、美希の行動は概ね好評だったようである。
その中でも真は、最も美希の行動を評価した者の一人だった。
「良くやったね、美希。ボクもあの連中にはムカーッてしてたんだ」
やーりぃ、と喜びの掛け声を言いながら、真は右手の拳骨を美希の前に突き出した。
美希は、いまいちその意味が分からず、とりあえずパーを出してみたものの、真の意図は違っていたようである。
「だから、ボクが拳骨出したら美希も拳骨出してよ。それで、こうぶつけ合うんだ、良いね?」
「えー、それじゃああいこになっちゃうよ?」
「パーを出されたらボクの負けになるじゃないか」
「わぁ、なるほどなの」
良く分からないやり取りで意気投合する二人を見て、律子は目頭を指で抑えた。
今後ああいう子達を節度あるアイドルに育て上げなければならないと思うと、頭が痛い。
「あらあら~、何だか事務所が賑やかになっているわねぇ」
あずさは昨日一日休んで、すっかり体調を取り戻したようだ。
あなたの事で盛り上がっていたんですよ、と律子が言うと、「まぁ」と言った表情であずさは右頬に手を当てた。
どこか天然であることを感じさせる節が、あずさにはある。
38 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:07:27.80 ID:sFFUNv8Z0
「あれ?」
美希が不意に、キョロキョロと辺りを見回した。
「あの人は?」
「プロデューサーさんなら、オーディションに行ってるわよ」
社長室にいる高木へお茶を出していた事務員の小鳥が、お盆を持ち歩きながら美希に答えた。
「今日も誰かのオーディションなの?」
「ううん、他の事務所のアイドルが出ているオーディションを見に行っているの」
教えられても、その理由についていまいちピンと来なかったのか、美希はまだ首を捻っている。
横から、律子が補足した。
「平たく言えば、敵情視察って所ね。
最近、新幹少女がローカル番組のオーディションを荒らしてきてるから、対策を立てようって」
「あの子達、おとといあずささんの出たオーディションに勝って、また今日もオーディションに出てるんですか?」
春香が少し驚いた様子で聞くと、律子は頷いた。
「二日おきにオーディションだなんて、大変そうですー」
事務所のゴミ出しを終えて一息ついていたやよいが、感心そうに呟く。
「このスーパーアイドルの伊織ちゃんが出れば、あんな連中なんて敵じゃないわよ」
「あっ、あの子達をやっつけてくれるの? 頑張ってね、デコちゃん!」
デコちゃん言うな、という伊織の突っ込みは、765プロに定着しつつあった。
プロデューサーが事務所に戻ってきたのは夕方だった。
その表情があまりに険しかったため、何があったのかを律子が聞いた。
その返答は、先ほどまで新幹少女の話題で盛り上がっていた765プロのメンバーに衝撃を与えるのに十分だった。
「新幹少女がオーディションに負けた。違うグループに。完膚なきまでに」
39 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:09:28.48 ID:sFFUNv8Z0
「あんな奴らがいるのか、と思ったよ」
すっかり憔悴しきった顔で、プロデューサーは重い口を徐々に開き始めた。
「961プロのジュピターというグループなんだが、今まで見たどのアイドルとも違っていた。
毛並みも、実力も。何より、モチベーションがあまりにも違う」
961プロという名前に、高木がわずかに反応したように雪歩には見えた。
律子の表情も途端に曇りだした。
「知ってるの、律っちゃん?」
心配そうに、亜美が律子の顔を覗き込む。
「知ってるも何も、大手の芸能事務所よ。
ジュピターだなんてアイドルグループがいたことは初耳だけど」
律子は腰に手を当て、深くため息をついた。
「新しいオーディション荒らしが出てきた、ってことですよね」
律子の問いかけに、プロデューサーは唸るような声で曖昧に返事をした。
腕組みをしながら椅子にもたれかかり、厳しい表情で天井をじっと睨んでいる。
「正直言って、今の俺達が敵う相手かどうかと聞かれると、難しいな」
40 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:10:52.66 ID:sFFUNv8Z0
「へぇー。新幹少女って子達、負けちゃったの」
プロデューサーの言葉に事務所の空気が一様に重くなっていく中、美希だけは間の抜けた声を出していた。
「あんたねぇ、状況が分からないの?
あずさを負かした連中を上回る新しいライバルが、今後オーディションを荒らしていくのよ?」
「デコちゃんも皆も、なんか難しく考えすぎなの」
伊織の突っ込みには意を解さず、美希は淡々としていた。
「今勝たなきゃいけないの?」
美希からの予想外な質問に、伊織やプロデューサー、律子は一瞬言葉を失った。
「雪歩や皆だって、毎日すっごく練習頑張ってるの。
いつか必ずなれるって信じて、のんびりトップアイドル目指せばいいって思うな」
41 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:12:46.06 ID:sFFUNv8Z0
「美希君の言う事にも一理ある」
律子達の後ろで黙って話を聞いていた高木が、美希に賛同した。
「今の我々が961と張り合う必要などない。
これまで通り、地道にレッスンを重ね、着実にオーディションを受けていけば良いのだ。
最初から結果を求めてはいけないよ」
「だよね。さすが社長、良く分かってるの」
「無論、地道な努力無くして結果が伴うことは無いぞ、美希君」
のんびりしすぎるのも良くない、と重ねて高木に釘を刺され、美希は返す言葉を失った。
だが、美希の一言で事務所の空気が少なからず明るくなったことは、誰もが感じるところであった。
「そうそう、キミ達に素晴らしいニュースがある」
思い出したかのように、高木が話を続けた。
「我が765プロに、新たなアイドル候補生が二人やってくる。
明日の午前中に来るよう、彼女達にはお願いをしているよ」
突然の発表に、事務所内は再び驚きの声で埋め尽くされた。
プロデューサーや律子も知らなかったようであり、すかさず律子が高木に問い質した。
「まさか、社長がスカウトされたんですか? 私達には何も知らされていないのですが」
「知り合いから任されてね」
「一体どのような―――」
ドンドンと、ドアを叩く音がして、律子達は玄関を振り返った。
「ここだよなぁ、貴音―――おーい、誰かいませんかー?」
42 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:14:28.56 ID:sFFUNv8Z0
「響、明日でないと高木殿はいらっしゃらないのでは?」
「せっかくここまで来たんだし、事務所の人達に挨拶くらいしたってバチは当らないさー」
外で、何やら声が聞こえる。律子は玄関へ行き、ドアを開けた。
「おっ、開いたぞ」
「開きましたね」
玄関の外には、少女が二人立っていた。
長い黒髪を後ろで束ね、溌剌としている背の低いポニーテールの少女――。
そして、銀色に輝く長髪に加え、穏やかな表情ながらも威厳を感じさせる長身の少女である。
見た目だけで言えば、受ける印象はおよそ正反対の二人であった。
「あっ、いた! あの黒い人が社長でしょ? 皆、はいさーい!」
黒髪の方が、高木をはじめ事務所の皆に元気良く手を振った。
その横で、もう片方が銀髪を揺らして丁寧にお辞儀をする。
「えぇ、そのようですね、響。高木殿、そして皆さん、ご機嫌麗しゅう」
「あぁ、良く来たね。
皆、予定より少し早いが紹介しよう。我那覇響君と、四条貴音君だ」
後に、事務所のエースユニットの一員となる愉快な仲間を、高木は皆に紹介した。
43 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:16:04.22 ID:sFFUNv8Z0
沖縄生まれだという響は、美希の良い遊び相手になっていた。
もとい、おもちゃという表現が正しいのかも知れない。
響にその気は無いのだが、一方的に美希に振り回される事が多いようだ。
今日も美希は事務所のソファーに腰掛け、響の長い黒髪を撫でながら恍惚とした表情を浮かべている。
「ねぇ、美希ー。いい加減、自分の髪をいじるのやめてよー。
自分、ソファーから動けないぞ」
お茶を飲みに席を立ちたいのだが、美希に文字通り後ろ髪を引かれて、響は身動きがとれずにいた。
「いいの、減るもんじゃないし。それにしても響はちっちゃくてかわいいの」
「からかわないでよ! 自分、美希より二学年も年上なんだからね?」
「身長はミキの方が高いもん。響の髪はサラサラで気持ち良いのー」
いくら注意してもまともに聞いてくれない美希に、響は頭を抱えてしまった。
「大変ねぇ、あの子も」
良く分かるわ、とでも言いたげに、律子は響の様子を一瞥して呟いた。
雪歩はそれにどう反応して良いのか分からず、いつものように笑ってお茶を濁す。
44 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:17:40.67 ID:sFFUNv8Z0
「もし、萩原雪歩」
穏やかで丁寧な声に、雪歩は振り向いた。
見ると、貴音が湯のみと急須を持って立ちつくしている。
「響にお茶を淹れてあげたいのですが、お茶っ葉はどこにあるのでしょう?」
普段の厳かな立ち振る舞いから、まるでファンタジー世界の女王のような気品を感じさせる貴音に、雪歩は美希や真とは違う種類の憧れを抱いていた。
その貴音が、湯のみと急須を持ってウロウロしている姿はどことなくミスマッチであり、雪歩は思わず笑ってしまった。
「いえ、すみません。お茶はこっちの棚ですぅ」
私が淹れますからと、雪歩は貴音をソファーに案内し、急須と茶筒を持って給湯室へと向かった。
やかんに水を入れ、火に掛けると、ソファーの方から響の元気な声が聞こえてきた。
「貴音ぇー、助けてよー。美希のせいでお茶を飲みに行けなくて困ってるんだ」
「案ずる事はありません、響。今、萩原雪歩がお茶を淹れて下さいます」
「えっ、ホント? それは嬉しいさー」
「良かったね、響」
「元はと言えば、美希が自分の髪を放さないのが悪いんだぞ!」
「では、話がまとまったところで私も」
「止めろー、貴音ー! ていうか全然話まとまってないぞー!」
45 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:19:47.56 ID:sFFUNv8Z0
人数分の湯飲みを用意し、ソファーにお茶を持っていく時には、雪歩の顔は既にほころんでいた。
「あっ、雪歩、お茶ありがとう! でも何で笑ってるんさー!」
「あわわ、響ちゃんごめんね! つい――」
「雪歩もこっち座るの! 響の髪、半分あげるね」
「ふふっ、この指触りは真、癖になりますね」
「あなた達、そろそろレッスンに行くわよ」
律子が、ソファーではしゃぐ4人に声を掛けた。
今日は、4人共同じダンスレッスンに向かう日だったのだ。
結局、ゆっくりとお茶を飲めずに肩を落とす響と、それを労わる雪歩、満足げな表情をした美希と貴音を車に乗せ、律子は車を出した。
第二京浜を北へ向かい、大崎の郵便局前を左折して山手通りを北上する。
途中、初台で右折して甲州街道に乗り、新宿駅を通り過ぎた後で道を一本左手に逸れ、新宿通りを通った。
いつもと違うルートに違和感を覚え、美希は律子に聞いた。
「いつも使ってるダンススタジオ、今日は予約が取れなかったのよ。
だから、仕方なく新宿まで足を伸ばすことになってね」
品川のスタジオよりも単価が高いなどと、現地へ向かう間、律子はブツブツと愚痴をこぼしていた。
約40分ほどで、車は目的地に着いた。
単価が高いだけあり、スタジオのエントランスは普段のものと比べて広く清潔なイメージを与えた。
受付を済ませ、律子達は予定されたレッスン室の扉を開いた。
そこで律子は度肝を抜かれた。
961プロのジュピターが、コーチと共に既にレッスンを行っていたからだ。
46 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:22:01.77 ID:sFFUNv8Z0
「あれっ、何で他の人達が使ってるの? 律子、場所合ってるよね?」
さん付けで呼びなさい、と美希に注意するのも忘れ、律子はジュピター三人の顔を一人一人順番に見た。
金の短髪で長身の男は伊集院北斗、反対に小柄で幼い顔をした少年は御手洗翔太。
そして、律子達から見て一番奥にいた青年が、彼らのリーダーである天ヶ瀬冬馬だ。
冬馬の顔には、練習を邪魔された事に対する怒りが露骨に表れていた。
管理室に確認すると、どうやら管理人の手違いで被ってしまったのだという。
責任者がやってきて、765プロと961プロの双方に謝っていたが、既にそれで収まる事態ではなくなっていた。
先に声をかけてきたのは北斗だった。
響と貴音に見覚えがあるらしく、馴れ馴れしく彼女達に話しかけてくる。
「あれ、ひょっとして君達、響ちゃんと貴音ちゃんかい?」
面識の無い男から急に名前で呼ばれ、二人は思わず身構えた。
「何で自分達の名前を知ってるんだ?」
少したじろぎながら、響は北斗に聞いた。
「黒井社長から聞いたことがあるんだ。
961プロの候補生採用オーディションをすっぽかした子が二人もいるってね。
見た目の特徴からまさかと思ったけど、こんなにかわいいエンジェルちゃん達だったとは」
「へー、961プロって候補生になるのにもオーディションあるんだ」
美希が妙な事に感心する横で、響は北斗に言い返した。
「すっぽかしたんじゃないぞ! 自分も貴音も、ちょっと時間に遅れちゃっただけさー!」
「どのみち、961に受かるのは無理だったろうぜ」
部屋の奥から、冬馬がゆっくりとこちらに歩きながら言った。
「時間も守れねぇようなヤツが、この業界で成功しようなんざ甘いんだよ」
47 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:23:39.11 ID:sFFUNv8Z0
響は、顔がカァーッと熱くなった。
自分の落ち度を指摘されたせいもあるが、貴音のことも責められるのは我慢できなかった。
「違う! 自分はちょっと寄り道しちゃったから遅れたんだけど、貴音は違うさー!
貴音は――」
「響、良いのです」
必死に貴音を擁護しようとする響を、貴音は制した。
「約束の時刻を守れなかった非は私にあります。
それに、そのおかげで私達はこうして765プロに入ることができたのですから」
貴音の穏やかで淡々とした口調に、響は毒気を抜かれてしまった。
何があったのか気になったが、敢えてこの場で聞くまいと律子は思った。
「あぁ、例のクロちゃんが手を回したっていう二人かぁ。
口うるさい知り合いに押し付けたって聞いたけど――」
横から翔太が話に割って入ってきた。
「クロちゃんも相変わらずやる事エグイなぁ。
結構かわいい子達なのに、765プロなんて聞いたことも無いような弱小事務所に行かせるなんて」
もったいない、とでも言いたげに、翔太はかぶりを振りながらため息をついた。
律子は動揺を隠せなかった。
高木の言っていた知り合いがまさか961プロの社長とは、思いも寄らなかった。
「弱小なのは知名度だけなの」
美希は、ややぶっきらぼうにそう言った。
自分のこともそうだが、友人を馬鹿にされるのを美希は嫌う。
「それ以上言いたい事があるなら、ミキ達の実力を見てからにしてほしいって思うな」
戸惑う雪歩には意を介さず、美希はその場にいた皆に、765と961双方の合同レッスンを行うことを提案した。
48 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:25:35.22 ID:sFFUNv8Z0
「そうは言っても、どのように行えば良いでしょうか」
961のレッスンを行っていた男性のコーチは、少し困惑した表情で律子に聞いた。
突然の提案に戸惑っていたのは律子も同じであったため、どう返答して良いのか律子は迷った。
「そうですね―――基礎練は、私達も一緒に参加できると思います。
課題とする曲目はお互いに異なるでしょうから、片方が踊る間、もう片方はその様子を見学しコメントしてもらう、というのはどうでしょう?」
「確かに、普段あまり接点の無い人のダンスをじっくりと見ることで学ぶこともあるでしょうね」
961のコーチは、律子の提案に賛同した。
冬馬は、「また基礎練からかよ」と愚痴をこぼしたが、北斗と翔太が彼をなだめ、ようやく練習が始まった。
961プロのオーディションにエントリーしていただけあり、響と貴音の基礎力はかなりの水準を有していた。
特に、ダンスが得意と日頃から公言している響のダンスは、真のそれと比べても甲乙をつけがたい。
貴音も、見た目ほどの派手さは無いものの、コーチの指導にそつなく応える器用さは持っていた。
一方で、雪歩は細かいミスを連発してしまっていた。
雪歩は男性恐怖症である。
慣れない環境で、男性コーチによる初めての練習を、ライバルである男性ユニットと行うことは、雪歩にとってあまりにも高いハードルだった。
コーチが何度も練習を止め、つきっきりで雪歩に指導を行うために皆が待たされる間、冬馬は苛立ちを隠そうとしなかった。
雪歩は、ジュピターを含め、皆に対して申し訳無い気持ちでいっぱいになった。
穴を掘って埋まりたい、と思った。
一時間程度の基礎練習が終わり、お互いの課題曲を交代で披露する時がきた。
まずは、765側が踊り、ジュピターが見学する。
49 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:27:45.33 ID:sFFUNv8Z0
「曲名は『The world is all one !!』という曲です。
本当は、五人くらいのユニットで本日お披露目できれば良かったのですが――」
律子が曲を簡単に紹介する。
ここしばらく、765プロのアイドル皆で練習をしている、明るい曲調のナンバーだ。
今日のメンバーの中で、自分が一番古参だからという理由だけでセンターになってしまったことが、雪歩の不安を煽った。
幸い、センターパートはターンの振り付けが無かった。
それを、雪歩は曲が始まってから思い出した。
滑り出しは上々だ。
徐々に落ち着きを取り戻し、本来の実力を発揮していく。
周りを見る余裕も出てきた。
皆、私よりずっと練習期間が短いのに、しっかり踊れている。
先輩の私が、皆にこれ以上迷惑をかけられない。
雪歩は必死に踊った。
律子は、いつものように腕組みをしながら、自身の教え子達のダンスをじっと見ていた。
今日の仕上がりは、決して悪くない。
特に、普段は浮き沈みの激しい雪歩の調子が良い。
いざという時は勝負強い、というプロデューサーの評価を疑っていた訳ではない。
だが、普段の練習では見ることのない、気迫の篭った雪歩の顔を見て、律子は小さく頷いた。
765側のダンスが終わり、961のコーチが拍手をした。
ジュピターの面々も、とりあえずそれに続く。
「我々のダンスには無い、女の子特有のかわいらしさを存分にアピールできていたと感じました」
961のコーチは、多少の粗さは指摘したものの、彼女達のダンスはジュピターにとって良い刺激になっただろうと賞賛した。
「そうだよな、三人とも?」
50 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:30:32.14 ID:sFFUNv8Z0
「んな訳ねぇだろ。レベルの低いダンス見せやがって」
開口一番、冬馬が悪態をついた。
「一人を除いて、それなりに実力があるのは認めるよ。
だが、センターで踊っていたヤツにレベルを合わせてたんじゃ、このユニットじゃあトップに立てねぇ」
冬馬は、雪歩がユニットのダンスのレベルを下げていると指摘した。
雪歩は言い返す言葉を持たず、黙って俯いている。
『The world is all one !!』は、765プロ全員で歌うことを前提に作られた、団結をテーマにした楽曲である。
ダンスが不得意なメンバーもいる中で、別のダンサブルな曲と同じレベルのダンスをこの曲で要求するのは難しい。
冬馬の指摘は、必ずしも間違っているとは言い切れなかった。
しかし、当然美希達は黙っていられない。
「知った風なこと言うなー!」
反論の口火を切ったのは響だった。美希も負けじとそれに続く。
「雪歩が普段どれだけ練習してるのか、知らないでしょ!」
「でもさ、俺達アイドルに要求されるのは過程じゃなくて結果なんだよね」
激昂する響達に対し、北斗はなだめるように言い返した。
「エンジェルちゃん達には気の毒だが、誰に言われるまでもなく、必要な練習は行って然るべきだ。
問題は、結果に結びつけられるかどうかだろう?」
北斗の正論が、響と美希を一層悔しい思いにさせた。
雪歩がガックリと肩を落とす横で、二人が地団駄を踏んでいる。
「それでは、貴方方の実力というものをお見せいただけないでしょうか」
殺気立つレッスン室内に、貴音の穏やかな声が響いた。
「頂点に立つ、という貴方方の踊りを拝見することで、私達も更なる高みへ上ることと致しましょう」
「言われなくてもそのつもりさ。ねぇ、冬馬君?」
翔太の軽い投げかけに、冬馬は何も言わず目だけで返事をした。
51 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:32:36.78 ID:sFFUNv8Z0
「では、『Alice or Guilty』という曲です。ご覧下さい」
961のコーチがジュピターの曲を紹介する。
765側を含め、不思議な緊張感が部屋の中を包んだ。
曲の振り付けは全体的にゆったりしているものの、ジュピターのダンスは一挙手一投足に隙の無さを感じさせた。
指先まで神経を通わせた所作は、いかに過酷な練習を彼らが乗り越えてきたのかを物語るには十分であり、それまでの彼らの言動がハッタリでは無かったことを示した。
途中、翔太がハイキックとバク宙を披露すると、思わず響の口から「おぉっ」という声が漏れた。
「いかがでしたかな? 彼らのダンスは」
曲が終わり、961のコーチが765側に意見を求めた。
響は、何か粗があれば即座に揚げ足を取ろうと躍起になっていたが、特に否定すべき点が見当たらずに唸っている。
一方、雪歩は終始見とれるばかりで、何か気の利いたコメントをする余裕はとても無かった。
「大変素晴らしかったです。大いに勉強させていただきました」
ひとしきりジュピターのダンスを賞賛した後、律子は最後にそう言ってまとめた。
貴音もそれに続く。
「真、良き仕上がりでした。私達も心を新たにし、もっと精進を重ねてまいりたいと思います」
「二度と俺達の前に立つんじゃねぇ。まったく、せっかくの練習時間を無駄にしたぜ」
冬馬は律子達の賞賛に喜ぶ素振りなど微塵も見せず、手をシッシッと振って765側に部屋を出て行くようジェスチャーした。
響は、悔しさのあまり歯軋りをしている。
52 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:34:22.98 ID:sFFUNv8Z0
「ちょっと待つの」
美希が突然ジュピターに言い寄った。
「レベルの低いダンスを見せてるのは、そっちだって同じじゃないの?」
美希はそう言うと、突然その場でメロディを口ずさみながらステップを踏み始めた。
ジュピターは衝撃を受けた。
なぜなら、美希のそのメロディとステップは、先ほど披露したばかりの『Alice or Guilty』のサビだったからだ。
まさか、もう覚えたというのか。
翔太がそうしたように、美希はハイキックとバク宙を華麗にこなし、冬馬を指差してキメポーズを取った。
「えっ、うそ? 今回見たのが初めてだよね?」
「いいや、俺達の出てる番組をコイツが見ていた可能性もあるぜ。
ローカル局ばかりだが、俺達もそこそこテレビに出してもらえるようになってきたからな」
翔太と冬馬が、美希の芸当の謎を必死に推理している。
美希は、さも得意気に言ってのけた。
「ジュピターなんて、見たことも聞いたこともない人達のダンスを知ってる訳ないの」
「信じられない。765さんは、素晴らしい逸材を発掘しましたね。
まるでアイドルになるために生まれてきたかのようだ」
961のコーチは、これにはお手上げと言った様子で美希を評価した。
「彼女が今後しっかりと経験を積めば、きっとジュピターとの勝負も良いものになるでしょう。
大いに期待しております」
「いえ、とんでもございません。ありがとうございます」
予想外の賞賛を受け、律子は恐縮しながら頭を下げた。
美希は、見たかと言わんばかりにジュピターを睨んでいる。
ジュピターは、何も言い返してこなかった。
53 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:36:29.29 ID:sFFUNv8Z0
「良くやったぞ、美希! あの連中の呆気に取られた顔ときたら、もう最高だったさー」
帰りの車内で、響は大声で笑いながら美希の肩を叩いた。
美希も誇らしげな笑顔を浮かべつつ、胸を張っている。
「美希の飲み込みの早さは真、目を見張るものがあります。
あのコーチ殿がおっしゃっていたように、美希はアイドルになるべくしてプロデューサーの目に留まったのでしょう」
「ああいう人達は、一度ギャフンって言わせないと気がすまないの」
美希がそう言って手を振り上げながら答えるのを見て、貴音も笑った。
「やっぱり、美希ちゃんはすごいなぁ。
それに比べて、私なんていつまで経ってもダメダメで――」
後部座席が盛り上がる中、助手席に座った雪歩が一人、ポツリと呟いた。
冬馬からの一言が、少なからず雪歩の心にショックを与えていたのは誰もが理解していた。
「あんなの気にしちゃダメだぞ、雪歩」
暗い雰囲気が人一倍苦手な響が、すかさず雪歩を慰める。
「どうせ自分達のダンスが完璧すぎて言う事無いから、無理矢理ワケ分かんないこと言って知ったかしただけさー」
そう言いながら、自分もジュピターのダンスに何も言えなかったことを思い出し、また苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。
「響の言う通りなの。
それに、ミキなんて練習マジメにやってないんだから、雪歩の方が絶対上達するって思うな」
「あなたはマジメにやりなさいよ、練習」
たまらず、律子が美希に突っ込みを入れた。
雪歩にとっては、美希のフォローはあまり励みにならなかった。
「しかし、ジュピターの実力が、私達の予想を遥かに上回るものであったのは事実です。
律子嬢の言う通り、私達もこれまで以上に精進していかねばなりません」
貴音が冷静に今日の出来事を振り返った。
反論する者は、誰もいなかった。
55 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:40:46.98 ID:sFFUNv8Z0
美希が765プロに来て三週間が経とうとしていたある日、律子が美希を呼び出した。
「あなたにも、そろそろオーディション受けてもらおうと思ってね」
「どんな番組?」
「TBKの夜にやってる歌番組よ。『私の音楽』っていう、23時前の5分枠のやつ」
「あぁ、あれお姉ちゃんが毎週見てるの」
「プロデューサーから、あなたがそう話してたって聞いてね。
知ってる番組なら、怠け者のあなたもモチベーションが上がるでしょう?」
律子の言う通りだった。
話をした翌日から、美希は自分が『私の音楽』に出るのだと、事務所のメンバーだけでなく友人知人にも触れ回っていた。
オーディション前に軽率な言動は慎むよう、律子は散々注意したのだが、美希は自分が落ちることなど少しも考えていないようだ。
律子が美希に提案した曲は『Relations』だった。
一人の男を巡る三角関係に揺れる女性の心情を歌ったハードナンバーである。
普段ののんびりした美希からは想像つかない曲調だが、逆にそのギャップを狙ったのも律子がこの曲を選んだ理由の一つである。
美希は、自分にも持ち歌が出来たと喜んでいた。
ダンスとボーカル合わせ、1時間半ほどで初回のレッスンは終わった。
律子もコーチも、開いた口が塞がらなかった。
もはやこの曲について、何も教えることが無くなったからである。
「カモ先生に、ミキが『私の音楽』に出るのを報告してあげるの」
そう言ってスタジオを出て以降、美希が『The world is all one !!』以外のレッスンでスタジオを訪れることは、オーディション前日まで無かった。
56 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:42:06.97 ID:sFFUNv8Z0
TBKのオーディションには、雪歩が付き添った。
後部座席に座った美希は、しきりに助手席を叩き、雪歩に『Relations』を何度もリクエストした。
その度に、雪歩がオーディオを操作し、車内で『Relations』をリピートさせる。
「じゃあねなんて いーわないーでー またねーていーってー」
美希は終始ご機嫌な様子で、窓の外を見ながら『Relations』を歌っていた。
「喉が枯れて、本番で声が出ないなんてことは勘弁しなさいよね」
一応小言を挟んだものの、美希はお構いなしに歌うので、律子は放っておくことにした。
モチベーションが無いよりも数倍マシだ。
それに、美希の実力ならまず問題なく受かるという確信もある。
57 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:43:50.01 ID:sFFUNv8Z0
雪歩の目には、オーディション会場で踊る美希の姿が輝いてうつった。
いつか電車の中で見た、あのまぶしさだ。
ライトに照らされた金髪が華麗に舞う会場に、華のある歌声が響く。
審査員達の誰もが身を乗り出し、突如として現れた逸材を食い入るように見ていた。
合格者発表の瞬間、当の本人は会場の奥の椅子に座って寝ていたため、慌てて雪歩が起こした。
「あれだけ楽しみにしていたくせに、すぐ寝るんだから」
律子は呆れながらも、美希の実力の高さを改めて思い知ると同時に、さらに上を目指せることを悟った。
58 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:46:20.54 ID:sFFUNv8Z0
その夜、765プロで祝勝会が開かれた。
アイドル全員が集まって、一斉に美希へのお祝いの言葉を投げかける。
好物であるおにぎりとイチゴババロアにも囲まれ、美希はご満悦だ。
「オフの人集まって、って声を掛けて全員が集まっちゃう辺り、少し物悲しいですけどね」
「律子さん、それは言わない約束ですよ!」
高木の音頭で乾杯した後、律子が冗談半分で765プロの現状を皮肉り、小鳥が突っ込みを入れる。
オーディションの合格者が765プロから出るのは久々であり、プロデューサーと高木も珍しく酔っていた。
酔った男二人を小鳥が応接室に押しやる間、アイドル達は律子と美希に今後の方針を聞いた。
「今後の方針って?」
「だから、次に受けるオーディションですよ、オーディション!」
美希へ真っ先にお祝いメールを返していた春香は、次に美希がどんな番組に出るのか楽しみで仕方がない様子だった。
亜美も、真美と一緒に軽い口調で律子に更なるオーディションのエントリーを提案する。
「ミキミキなら、どんなオーディションもヨユーっしょ!」
「なんくるないさ→!」
「こらー、真美! それは自分の台詞だぞ!」
「まぁまぁ、響もイチゴババロア食べてカルシウム取った方が良いって思うな」
「申し訳ございません、響。ばばろあはもうありません」
「えーっ! 貴音、まさかここにあった自分のも食べちゃったのか!?」
「それはミキが食べたの」
「何でだよ!」
美希、響、貴音の絶妙な掛け合いは、いつしか765プロの名物となっていた。
雪歩は、この楽しいひと時がずっと続くことを願った。
59 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:49:12.56 ID:sFFUNv8Z0
【4】
事務所のデスクで、律子は頭を悩ませていた。悩みの原因は美希だ。
アイドルの人数が増えたことを受け、律子とプロデューサーはメインでプロデュースするアイドルをお互いに分担することにした。
美希の担当は律子である。
ジュピターがエントリーするオーディションは、意図的に避けた。
これは、961プロと不必要に関わることを良しとしない高木の意向によるものである。
律子とプロデューサーも、絶対に勝てるという確信を得る日が来るまで、ジュピターと張り合うつもりは無かった。
それを鑑みても、美希の活躍は目覚しく、デビューから数ヶ月の間、エントリーするオーディションは全戦全勝だった。
デビューしたての新人が特別な戦略を持たずに、数々のオーディションを勝っていくのは快挙と言う他無く、高木は最近頬が緩みっぱなしである。
ローカルではあるが、出演するテレビやラジオ番組も増え始め、その分律子の仕事も忙しくなった。
「ちょっと伊織ちゃん、それ美希さんがいつも使ってるコップだよ」
ふと、給湯室の方からやよいの声が聞こえた。
「うるさいわね、そもそも事務所のものなんだから私が好きに使って何が悪いのよ。
それともあんた、美希は事務所で一番の稼ぎ頭だから、あの子の愛用品を私なんかが触るなって言いたいわけ?」
「そんなこと言ってないけど――」
普段仲の良いあの二人が言い争いをしているなんて、珍しい事だ。
そう思うと同時に、事態の深刻化を改めて律子は感じていた。
悩みのタネは大きく分けて二つある。
美希の勤務態度と、美希が他のアイドルに与える影響だ。
60 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:51:03.39 ID:sFFUNv8Z0
以前、自身が不真面目である旨を公言した通り、美希が積極的にレッスンに打ち込むことは少なかった。
その姿勢は、オーディションを勝っていく度に顕著になり、ひどい時は無断でレッスンを欠席することさえあった。
その理由を問い質すと、美希は決まってカモ先生なる人物に会うためだと言う。
どういう教育を彼女にすれば良いのか、律子もカモ先生に会って教えを乞いたいと思った。
さらに、美希の不真面目な態度は、他のアイドル達にも伝染しつつあった。
普段レッスンを真剣にしない美希がアイドルとして成功していくのを見て、他の皆のやる気が削がれていると言った方が正しいだろう。
また、徐々に事務所の名が売れてくるにつれ、事務所のために頑張ろうというアイドル達の思いも薄らいでくるのだった。
突然、亜美と真美が更衣室から飛び出し、そそくさとドアを開けて事務所から出て行った。
後を追いかけようとした春香が、玄関で立ち尽くしている。
「どうかしたの?」
ソファーに腰掛け、美希が出ている雑誌を読んでいたあずさが、心配そうに春香に声をかけた。
「いえ―――大丈夫です、何ともありません」
そう返事をする春香の笑顔には、不安が混じっていた。
どことなく、今の事務所が良くない傾向にあるのは、律子だけでなくプロデューサーも感じていた。
何とかしなくては―――。
61 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:53:08.57 ID:sFFUNv8Z0
この日、レッスンスタジオには真と響、貴音、雪歩が来ていた。
本当は美希も来る予定なのだが、集合時間はとっくに過ぎている。
響が美希の携帯に電話しても、繋がらない。
「―――まぁまぁ、なんくるないさー! さぁ、練習始めようよ!」
携帯をしまった響が、部屋に漂う不穏な空気を振り払うようにそう言った。
「うん、そうだね! よーし美希め、今に見てろよー!」
真も、響に負けない大声を出してそれに続いた。
特に、真は美希に対して言いたい事がたくさんあるはずだった。
だが、それを言うと、これまで仲良くやってきたお互いの関係が壊れてしまう。
真はそれを恐れているのだ。
だから、事務所で美希と顔を合わせる時も、真は当たり障りの無い話題を振り、彼女に対し努めてフレンドリーに接している。
一番不穏な空気を感じていたのは、雪歩だった。
真と同い年で付き合いの長い雪歩は、彼女の心境を敏感に感じ取っていた。
程度の違いはあれ、他のアイドル達が美希に辛辣な言葉を直接ぶつけないのも、同じ理由であると雪歩は推察していた。
その空気の中で練習しても、身が入る訳がなかった。
いつもはダンスに対し並々ならぬやる気を見せる真と響だが、この日の彼女達のダンスに冴えは無い。
ただ何となく、惰性で体を動かしているに過ぎなかった。
律子が見ていたら、何と言うだろうか。
メンバーが乾いた汗をタオルで拭いている時、レッスン室の扉が開いた。
ビックリして皆が振り向くと、美希が立っていた。
62 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:54:50.03 ID:sFFUNv8Z0
「皆、ごめんなさいなの。今、ミキも準備するから、ちょっと待っててね」
美希はそう言ってバッグから靴を取り出すと、いそいそと靴を履き替え靴紐を結びはじめた。
「お疲れ様、美希! また例の“カモ先生”の所?」
真は明るく美希に問いかけた。
内心は、返答など分かりきっているのでどうでも良い会話だ。
「うん! 今日のカモ先生、あまり機嫌良くなかったの。
ちょっとだけ会うつもりが、つい長引いちゃって」
美希は、そんな真の胸中など知る由もなく、いつも通りのほほんとした口調で返す。
響は、ようやくメンバーが揃ったことに安堵し、また声を張り上げた。
「あはは、まったく美希はおっちょこちょいだなぁ。
さぁさ、美希も早く練習に参加するさー!」
63 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:56:38.54 ID:sFFUNv8Z0
「いいえ、その必要はありません」
ゆっくりと、しかし極めて冷徹な声がレッスン室に響いた。
誰もが皆、今の声が貴音のものであると、すぐに理解することができなかった。
「美希、今日はもう帰りなさい。
いいえ、その態度を改めない限り、今後は二度と私達の練習に参加しないで結構です」
「なっ―――」
美希だけでなく、皆が一瞬言葉を失った。
雪歩は、祈るような思いで貴音と美希の顔を交互に見ている。
「なんで、そんな事言うの? だって――」
「遅刻と無断欠勤を繰り返し、私達のやる気を削ぐくらいなら、貴女など初めからいない方がマシです」
止めて下さい、四条さん―――雪歩はもう泣きそうだった。
「貴女には私達よりも、カモ先生という大事な方がいらっしゃるのでしょう?」
「そ、そんな事無いの!
これまでだって、ミキが頑張ったら事務所が有名になって、皆にもちょっとずつ注目が集まるのが嬉しくて、本当に――!」
「事務所の皆に注目が集まってきたのは、自分のおかげだと?」
「そんな事言ってない! なんでそんなイジワル言うの!?」
64 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 22:59:27.28 ID:sFFUNv8Z0
「皆のためになることができて嬉しいと、本当にそう思うのなら、普段の練習も真摯な姿勢で望んで然るべきです」
美希は貴音の言葉に何を言い返して良いのか分からず、キッとその目を睨んでいるが、貴音は全く動じる様子は無い。
「ジュピターとの合同練習以後、私達は心を新たにし、真剣な姿勢で精進を重ねることを約束したはずですね」
「貴女は嘘つきです、美希」
それまで泣くのを堪えていた美希だったが、心外な事を言われて急激に顔が熱くなった。
目を真っ赤に晴らし、すさまじい剣幕で一気にまくし立てる。
「分かったの。
じゃあ、ミキがあのジュピターをやっつければ文句言わないでしょ?
良いもん! 貴音も皆もそうやってイジワル言うんだったら、ミキだってこんな練習やんなくたって楽勝だってところ見せるの!
その時謝ったってもう許してあげないんだからっ!!」
美希は乱暴にバッグを拾い上げると、大きな音を立ててドアを閉めて去っていった。
「た、貴音―――どうすんの、アレ?」
響は、恐る恐る貴音の顔を覗き込んだ。
依然として、貴音は今まで見たことが無いほどに厳しい表情をしている。
「どうするもありません。あのままあの態度を貫かれては我々にも迷惑です」
「まぁ、そりゃそうなんだけど――」
そう言いかけて、真はハッと口を手で押さえた。
バツが悪そうに、本音が漏れたことを笑ってごまかす真を、貴音は静かに見つめた。
ついに恐れていた事態が起きてしまったという深い絶望感が、雪歩を襲った。
65 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:01:25.14 ID:sFFUNv8Z0
「まだ練習していくのか?」
響の問いかけに、雪歩はいつも通り笑顔で応えた。
「あまり無理しない方が良いよ」
「うん。ありがとう、真ちゃん」
美希が売れるようになり、事務所に妙な不和が流れるようになってからも、雪歩は自主練を怠らなかった。
むしろ、徐々に増してくる不安を塗り潰すかのように、より一層自主練に励むようになっている。
真や響のおかげで、ターンのコツは掴んできた。
ダンスレッスンを一通り終えたら、最近は管理人にお願いし、別室でボーカルレッスンを引き続き行うことも多い。
自宅での朝晩100回ずつの腹筋も、千早からのアドバイスを受けて以降、毎日欠かしたことは無い。
また、肺活量を鍛えるのに効果的だとインターネットで調べてからは、毎朝のランニングもトレーニングに加えている。
自分はダメだ。
美希より二倍も三倍も劣るのなら、二倍も三倍も努力しなくては。
66 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:03:38.50 ID:sFFUNv8Z0
その甲斐もあってか、最近はレッスンのコーチや、自身を担当するプロデューサーに褒められることが多くなった。
「真達から聞いたぞ。まだ居残り練習を続けてるんだってな」
マンツーマンでのレッスン後、プロデューサーから唐突に指摘され、雪歩は顔が赤くなった。
本当は、それ以外にもトレーニングはしているのだが、恥ずかしくて言えない。
「これまで雪歩に足りなかったのは実力じゃない、自信だ。
普段の練習が、その自信を厚くする。
だから、やっとお前本来の実力が発揮できているんだ」
元々、お前は決してダメダメじゃないんだぞと、繰り返しプロデューサーが言うのを聞いて、雪歩はつい顔がほころんだ。
「美希にも見習ってほしいんだがなぁ―――
あいつ、オーディションが近いのに事務所にも来ないで」
そうプロデューサーが呟いた瞬間、雪歩の顔から笑みが消えた。
伊織から聞いた事があった。
美希は、律子と事務所で大喧嘩をした末に、ジュピターが来るであろう全国区のオーディションへのエントリーを強引に通したのだ。
挙句、誰とも一緒にレッスンしたくないと言い張り、仕事もキャンセルし、今日まで行方をくらましている。
67 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:05:30.73 ID:sFFUNv8Z0
「自分から四面楚歌になるような状況を作って、何がしたいんだか――」
プロデューサーは、ハァと大きくため息をついた。
「み、美希ちゃんは大丈夫です。私なんかと違って、すごいですから――」
雪歩は、震える声でプロデューサーに言った。
確信めいたというよりは、願望に近い発言だった。
「だから、雪歩はダメダメじゃないんだって。
むしろ、雪歩の姿勢を美希に見習ってもらいたいくらいなんだぞ」
「練習するのは誰にだってできます!」
突然、予想外に大きな声で反論され、プロデューサーはたじろいだ。
「ダメだから練習するのは当たり前です!
ジュピターの北斗さんも言っていました!
美希ちゃんは私なんかと違って結果を残してるんです! だから――」
少し言葉を詰まらせながらも、雪歩は続けた。
「今回も、美希ちゃんは大丈夫です―――
お願いです。プロデューサーも、大丈夫って言って下さい」
震えている雪歩の肩に、プロデューサーはそっと手を添えた。
「あぁ、美希は大丈夫だ。俺には、あいつが負けるところが想像つかない。
雪歩もそうだよな?」
雪歩は、泣きながら静かに頷いた。
積乱雲は真夏の太陽をすっぽりと覆い隠し、来る嵐を予感させるかのようにゴロゴロと鳴り響いている。
68 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:08:20.44 ID:sFFUNv8Z0
美希がエントリーしたオーディションの当日がやってきた。
前評判通り、ジュピターもエントリーしている。
会場となるテレビ局はお台場にある。
環八通りから羽田出入口で首都高に乗り、昭和島ジャンクションで湾岸線に乗り換える。
車で行けば事務所からは30分程度だが、美希は電車で直接現地へ行くと言って聞かなかった。
付き添いを申し出た雪歩だけでなく、律子も不安で胸が一杯だった。
会場に着くと、律子達は改めてフヅテレビがいかに大きなテレビ局であるかを実感した。
メインとなる入り口がどこにあるのかさえ判然としない。
業界関係者らしき通りすがりの人に尋ね、ようやく会場に入ることができた。
会場に着くと、これまで見たことも無いほど大勢の出場者がいた。
良く見ると、ジュピターの面々も奥の方でくつろいでいるのが見える。
美希は、このような環境の中で萎縮せずに実力を発揮できるのだろうか。
そもそも、会場に迷わず着くことができるのだろうか。
待ち合わせ場所くらい決めておくべきだったと後悔し、律子は舌打ちをした。
オーディション開始まであと10分を切ったが、美希の姿はまだ見えない。
69 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:09:19.60 ID:sFFUNv8Z0
そろそろ3分前になろうかという時、律子の携帯が鳴った。
携帯を握り締めていた律子は、驚いた拍子に通話ボタンを押していた。
「もしもし、律子? ――さん」
「もしもし? あんた今どこにいるのよ!」
「たぶん、建物の前にいるんだけど、会場ってどこから入るの?」
案の定、迷子になっていたらしい。
律子は、雪歩に美希を迎えに行くように指示し、自分は審査員達にどうにか待ってもらえるよう説得を試みた。
審査員は皆一様に気難しい態度を取っていたが、必死に頭を下げるうちに、ようやく雪歩が美希を連れてきたのだった。
70 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:11:32.39 ID:sFFUNv8Z0
「全員、集まりましたか? では、今日の参加者の確認を行います」
審査員が、参加者の名前を読み上げる。
ジュピターの名前が呼ばれると、会場に「おぉ~」という歓声が沸いた。
「まだ始まってもいないのに――」
美希はあくびをしながら、冷めた態度でオーディションが始まるのを待った。
緊張感は無いようだ。
「今日はあなたの言う通りにセッティングしたわ。
ちゃんと結果を出せなかったら、分かってるわよね?」
半ば脅しとも取れる律子の言葉にも、美希は動じる様子は無かった。
「全然、ヨユーなの。勝率150%。あっ、雪歩おにぎり持ってない?」
「えぇっ? そ、そんな、急に言われても――」
「アハッ! ウソウソ、冗談なの。雪歩って何でもすぐ真に受けるよね」
人目をはばからずに笑いながら、美希は雪歩の肩を叩いた。
良かった、いつもの美希ちゃんだ。
今日のオーディションに対し萎縮もせず、普段通りにのんびりしている美希を見て、雪歩は大いに安心した。
美希がこの日のために選んだ曲は『マリオネットの心』だった。
選曲理由は聞いていない。
だが、もっと自由にやらせてほしい。自分は事務所の人形ではない。
そのような事を、このオーディションを通して皆に訴えたかったのだろうか。
律子がそう曲解せざるを得ないほどに、あの日の美希の剣幕は異常だった。
美希が十分な練習を自主的に重ねて今日を迎えてきていることを、律子は願った。
71 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:13:51.48 ID:sFFUNv8Z0
オーディションが始まり、各アイドルが銘々に磨き上げた実力を披露する。
今日の流行はダンスであり、特にダンスアピールに重きを置くアイドル達が多いようだった。
あまりのレベルの高さに圧倒されたが、やがて雪歩は、いつの間にか美希の体が震えているに気づいた。
さらに、今まで見たことも無いほど真っ青な顔をしている。
「だ、大丈夫、美希ちゃん?」
異変を感じ取った雪歩が、すかさず美希を気遣う。
良く聞くと、美希は、ほとんど聞き取れないほど小さな声で何やらブツブツ呟いていた。
「さ、さいしょは―――ちがう、あの――えと―――あ、れ―――?」
「ミキが、やらなきゃ――ミキ―――貴音に―――」
出番が来るまでの間、雪歩は懸命に美希を励ました。
だが、その声は彼女に届いていたのだろうか。
とうとう美希の番号が呼ばれ、おぼつかない足取りで美希はフラフラとステージに立った。
律子の不安は的中した。雪歩は目の前の美希の姿が信じられず、愕然とした。
歌声にまるで張りが無い。
ダンスも所々細かいミスを連発していた。
そのミスに気を取られ、挙句の果てには足元を見ながら踊る始末であり、残る頼みの綱であったビジュアルのポイントも全く伸びなかった。
歌い終わる頃には、美希は肩で息をしていた。
72 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:16:21.17 ID:sFFUNv8Z0
「呼ばれなかった方はお帰り頂いて結構です。お疲れ様でした」
審査員はジュピターのエントリー番号を告げると、最後にそう付け加えた。
合格者発表よりも前に、美希は歌い終わった後、逃げるように会場から既に去っていた。
後を追おうとする雪歩を、律子が制した。
「残念でしたね」
身支度を整えて帰ろうとした律子達に、北斗が声をかけた。
社交辞令のつもりなのだろう。
「そうでもないわ」
律子は、極めてドライに返した。
彼らに対し、悔しがる筋合いすら無いのは、律子も良く理解していた。
「おい、負け犬と何話してんだ。行くぞ」
冬馬から急かすように声をかけられたため、北斗は会釈して律子達の下を去った。
律子達は、その後ろ姿を呆然と見つめていた。
ジュピターの実力は、厳しい練習に裏打ちされたものだった。
数ヶ月前、彼らと合同レッスンした時に、それは十分理解していたはずだった。
だが、練習の大切さを美希に実感させることができなかった。
事務所に帰る途中、律子は一旦車を停めた。
「ちょっと、ごめんね―――」
そう言って、律子は泣いた。
オーディションに負けたことに対する悔しさではなく、担当のアイドルをまともに管理できなかった悔しさからくる涙だった。
雪歩は、普段は気丈な律子のその情けない姿をただ見つめることしかできなかった。
73 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:19:23.35 ID:sFFUNv8Z0
「う、嘘だよね?」
雪歩は思わず少し大きな声で聞き返した。
「ううん、本当だよ?」
美希は平然と返した。
美希に会うのは二週間ぶりだった。
あのオーディションが終わってから、美希はバッタリと事務所に来なくなった。
事務所のメンバーが携帯に電話すると、気の無い声で「明日は行くの」と返事はするものの、結局顔を出すことは無かった。
夏休みも明け、学校の帰り道に待ち伏せして、今日ようやく雪歩は美希を捕まえることができた。
しかし、美希はいきなり「アイドルを辞める」と言い出したのだ。
「何で、そんな事を言うの?」
雪歩はまだ、美希の言う事が信じられなかった。
悪い冗談であってほしかった。
「別に、何となく。もう飽きちゃったの」
めんどくさそうに、美希は答えた。
雪歩は全く納得できなかった。
「オーディションに負けちゃったから? 皆、レベル高くてビックリしたよね」
「そんなの関係ないの。ただ、別に続けてても面白くないし」
「それは、続けてみなくちゃ分からないんじゃないかなぁ、って―――」
「律子もそうだけどさぁ」
美希は、苛立ちを隠そうとしなかった。
雪歩の顔が引きつった。
「雪歩は何様なの?
だってミキ、一度も自分からアイドルやりたいなんて言った覚えないんだけど」
74 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:22:12.10 ID:sFFUNv8Z0
「わ、私も律子さんも、わがまま言ってるかもだよね、ごめんね。
でも、今までは楽しかったから、美希ちゃんもアイドル続けてきたんじゃ――」
「もう楽しくないから辞めるの。何か文句あるの?」
美希は雪歩と目を合わそうともせず、携帯を取り出して何やらカチカチと弄っている。
「あぁ、ひょっとしてアレ?」
美希は意地の悪い顔をしながら、雪歩の目を下から覗き込むように見た。
「ミキが事務所のカセギガシラ? ――だったから引き止めたいって言ってるの?」
美希は鼻で笑いながら、また携帯に視線を落とした。
「確かに、律子ならそう言うよねー。
お金の事ばっかり気にして、だから年の割りにあんなに老け込んじゃってさ、アハッ!」
美希はケラケラと笑った。
「真クンや響も貴音も、きっとミキが辞めちゃえばせいせいするの。
だって、来なくていいって行ってたし。どうせ勝てっこないけど。
ミキが勝てなかったのに、努力したって無駄なんじゃないって思うな」
「あずさは年増のクセしてミキよりものんびり屋さんだしね。
やよいや亜美真美はもう論外、実力無さ過ぎ。
デコちゃんは口だけ、千早さんも歌だけだし、春香はミキ以外の皆と仲良くできればそれで良いんでしょ?
勝手に仲良くやって、勝手に潰れちゃえば見てて面白いのになー」
75 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:24:14.48 ID:sFFUNv8Z0
「もういい―――もう止めて」
か細い雪歩の声が聞こえて、美希は顔を上げた。
雪歩の目からは、堪えきれなかった大粒の涙が溢れ出ていた。
「無理にアイドルやらせて、辛い思いをさせちゃったのなら、謝る。
律子さんやプロデューサーにも伝えるよ」
「でも、そうやって事務所の人達を悪く言うのは止めて。
お願い―――皆、一生懸命、頑張ってるから。
皆、美希ちゃんが好きで、尊敬してるから―――
美希ちゃんみたいに、結果を出したくて、頑張ってる人を、美希ちゃんが馬鹿にするのは、止めて」
雪歩は、美希をまっすぐに見つめていた。
肩は震え、涙が地面にいくつも落ちた。
「これも、わがままだよね―――ごめんね、でも許して、お願いですぅ」
何度もむせびながら、雪歩はそう美希に懇願した。
まだ視線は逸らさなかった。
雪歩のすすり泣く声だけが、辺りに響いていた。
美希は、携帯を弄るのも忘れ、目の前で泣く雪歩を呆然と見つめた。
やがて、長い沈黙の後、ようやく雪歩は呼吸を整えた。
「―――今まで、ありがとね、美希ちゃん。楽しかった」
雪歩は最後にそう言い残し、美希の元を去った。
美希は、先ほどまで打っていた友人へのメールを削除した。
76 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:26:11.93 ID:sFFUNv8Z0
「そうか―――ありがとう、辛い思いをさせたな」
すまない、と言いながら、プロデューサーは雪歩に頭を下げた。
雪歩は、俯きながら首を振った。
「本気――なんだろうな、きっと」
落胆の色を隠せないプロデューサーの呟きに、雪歩は少し間を置いて頷いた。
美希が事務所の皆の悪口を言ってしまっていたことは、言わなかった。
「オーディションに負けたのが、相当ショックだったんでしょうね」
律子はデスクに肘を乗せ、顔を手で覆いながら深くため息を吐いた。
せめてあの時、喧嘩別れをしなければ―――。
「これからどうするの、律子?」
普段は元気一杯の響が、泣きそうな顔をしながら律子に問いかけた。
「このまま美希が事務所を辞めちゃうだなんて、自分絶対に嫌だからね!」
律子は響の問いかけに対し、力無く数回、曖昧に頷くことしかできなかった。
何も考えられない、といった律子の表情が、ますます響の不安を煽った。
「でも――」
ふと、千早が何かを言いかけて、黙り込んだ。
皆が千早に対し、一斉に視線を向ける。
77 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:28:01.63 ID:sFFUNv8Z0
「千早。言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
少し語気を強めて、伊織が千早の本音を引き出そうとした。
おそらく、千早が次に何を言いたかったのかを彼女は確信している。
その雰囲気を感じ取った千早が、伊織に対し不快感を露にした。
「水瀬さんは、私に美希の悪口を言わせたいのね」
「はぁ? 私は別に何も言ってないじゃない。
何勝手に穿った解釈してんのよ、馬鹿みたい」
「い、伊織ちゃん、やめようよ。こんな時にケンカなんて」
「うるさいわね、やよい。それを言うならあっちに言いなさい」
「ちょ、ちょっと伊織」
事務所内を、黒い空気が包みだした。
やよいと春香が二人の仲を取り持とうとするが、雰囲気は悪くなるばかりだった。
こういう時、いつもは年長者のあずさが場を収めるのだが、今日は営業のため事務所にいない。
「何か変だよ、皆。一回クッキーでも食べて落ち着こう、ねっ?」
「優等生ぶるのは止めなよ、春香」
「えっ」
「春香だって、美希のことウザいって思ってたんだろ?」
真から思わぬ一言を浴びせられ、春香は思わず持っていたクッキーの箱を落とした。
「な――私そんなの一言も言ってないじゃん!
真こそ、美希はいてもいなくても迷惑だって――!」
「あぁ言ったね。この際だから皆言いたい事言おうよ、どうせ考えてること同じでしょ?」
「止めろよ、真!」
「何だよ、響だって美希のために無理しておどけたりして、馬鹿馬鹿しいって思わなかったの?」
「じ、自分は好きでやってただけさー!
美希と皆が仲悪くなっちゃうのが怖くて、だから――!」
78 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:29:58.40 ID:sFFUNv8Z0
「ちょ、ちょっと皆落ち着いて!
プロデューサーさん、律子さん、皆を止めて下さい!」
見る見るうちに殺気立った事務所内の空気に恐怖し、小鳥が二人に助けを求めた。
「お、おい、止めろって――」
しばし呆然としていたプロデューサーがようやく我に返り、真と響の間に割って入った。
一方、律子は未だに手で顔を覆った姿勢のまま、デスクから動こうとしない。
小鳥は、社長室へ走った。
「知ってるんだからね!
あんた達、美希のおにぎりに鉛筆の削りカスとかこっそり混ぜてたでしょ!」
伊織のヒステリックな声が事務所を貫き、律子は跳ね起きた。
一瞬の静寂が部屋を包んだ。
「ちょ――い、いおりんだってミキミキのコップにイタズラして――!」
「私のはイタズラだけど、あんた達のは度を超してるわよ!」
「だって! だって悔しいじゃん!
真美達の方が練習メチャ頑張ってんのに、律っちゃん達が褒めるのはサボってばっかのミキミキなんだよ!?」
亜美と真美は、泣きながら伊織に反論した。
伊織はやよいに制止されながらも、なおも鼻息を荒くして亜美達に詰め寄った。
「だからって、やって良い事と悪い事の区別くらいつけなさいよ!
美希のロッカーに悪さしてたのもあんた達でしょう!」
「亜美達が――亜美達だけが悪いんじゃないもん!!」
79 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:31:56.58 ID:sFFUNv8Z0
「お、おい律子――?」
律子は、静かに亜美達の方へと歩み寄った。
彼女の様子に異変を感じ取ったプロデューサーが咄嗟に声をかけたが、立ち止まらなかった。
「り、律っちゃん――」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの亜美達は、小動物のように体を震わし、怯えながら律子の顔を見上げた。
伊織も、律子の顔を潤んだ瞳でキッと睨んでいる。
「亜美、真美―――伊織も、ごめんね」
そう言って、律子は亜美と真美、伊織の顔を叩いた。
亜美達はそれまでよりもさらに大きな声を上げて号泣し、伊織もついに堪え切れなかった。
やよいも、その様子を見て泣き始めた。
「さっきから、何黙ってんだよ、貴音!」
響が貴音を睨みつけた。
こんな状況でも無表情な貴音の顔が、響を余計に苛立たせた。
「こうなっちゃったのも、全部――全部貴音のせいさー!
貴音があの時美希を追い詰めなきゃ、美希が変に一人ぼっちになることも無かったんだぞ!
何を自分だけ無関係みたいな顔して――空気も読まないで、貴音が全部壊したくせに!!」
長い後ろ髪を振り乱し、春香が呼び止めるのも振り払い、響が玄関を飛び出していった。
貴音の肩は、震えていた。
80 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:34:02.11 ID:sFFUNv8Z0
「キミ達、その辺で止めてもらえないだろうか」
小鳥が、ようやく高木を連れて戻ってきた。
「美希君の事は確かに残念であるし、我々大人達が美希君を特別扱いすることでキミ達を苦しめてしまったことは事実だ。
本当に、すまなかったと思っている」
そう言って、高木は皆に頭を下げた。
プロデューサーと律子も、視線を落とし、後に続く。
「我々から敢えてお願いをさせてもらえるのなら――
どうか美希君が事務所を去ったとしても、キミ達はこれまで通りレッスンを続けてほしい。
律子君達も、キミ達をトップアイドルへ育てあげるのに必要な努力は惜しまない。
どうか、もう一度我々にチャンスを与えてもらえないだろうか。
もう一度、皆で一からやり直そう」
かろうじて返事をしたのは、やよいだけだった。
今日はもう帰りなさい、と高木が呼びかけた時、ふと千早が周囲を見回し始めた。
「萩原さんは、どこに行ったのかしら」
皆が一様に、自分の周囲をキョロキョロと見た。
いつの間にか、雪歩の姿はどこにも無かった。
81 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:36:00.85 ID:sFFUNv8Z0
その夜、雪歩は荒川沿いを一心不乱に走った。
普段は父に夜間からの外出を禁じられているため、ランニングも毎朝にしか認められていない。
だが、今日ばかりはどうしても耐え切れなかった。
世話役の男にお願いし、こっそり裏口から家を出て、いつものランニングコースに向かった。
まだ残暑が厳しい季節とは言え、夜中の堤防を吹く風は涼しかった。
川の向こう岸には、普段見たことのないマンションの明かりが煌々と輝いて見える。
いつもはイーブンペースを心がける雪歩だが、今日のそれはほとんど全力疾走だった。
不安をかき消したいのに、雪歩の中でますます膨らむばかりだ。
何もかもが、いつものランニングと違った。
やがて、とうとう息を切らした雪歩はコースを逸れ、芝生の上にバッタリと仰向けに倒れた。
体中の酸素が無くなり、心臓がバクバクと悲鳴を上げている。
雪歩は右手でそばにあった芝を掴んで千切り、目の前の真っ暗闇に向かって投げた。
雪歩にとって、短い間に信じられない事が多く起こりすぎた。
だが、それは現実として受け入れるしかないことを悟り、雪歩は堪え切れずに泣いた。
82 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:36:56.33 ID:sFFUNv8Z0
ひとしきり泣いた後、雪歩は起き上がった。
愛用の白いTシャツが、芝の泥で汚れてしまっている。
このままでは、両親に無断で外出してしまったことがバレてしまう。
このシャツは、自分でこっそり洗濯することにしよう。
トボトボと、走ってきた道を歩いていると、通り沿いに人影が見えた。
良く見ると、それは膝を抱え、芝生の上にうずくまっている。
「響ちゃん――?」
雪歩は、恐る恐るその見知った人影に声を掛けた。
響は、膝の中にうずめた顔を上げ、雪歩の方へと向き直った。
「―――雪歩、はいさい」
響は、やっとの思いでそう雪歩に返事したようだった。
月明かりが、響の潤んだ瞳に反射して見えた。
83 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:38:14.24 ID:sFFUNv8Z0
「貴音と、ケンカしちゃったんだ」
何があったのかを雪歩が聞くと、響は少しバツの悪そうに答えた。
「ケンカ、って言っても、自分が一方的に貴音にひどい事言っちゃっただけなんだけどさ」
あはは、と響は力無く笑った。
「分かってるんさー。
貴音が、自分達が美希となぁなぁで接してるのが、良くないって思ってたことは」
響は、目の前の川をボーっと眺めながら、ポツリポツリと語った。
隣に座った雪歩は、響の言葉に静かに頷いた。
「自分も―――本当は、そう思ってた。
このままで良いのかな。美希に言いたい事、言った方が良いのかなぁって」
「でも―――」
響は、再び膝に顔をうずめた。
「全部、貴音のせいにしちゃった――自分、怖くて何もしなかったくせに、本当、最低だ」
「四条さんが響ちゃんを嫌うことなんて無いよ。私だってそう」
むせび泣く響の背中に、雪歩はそっと手を添えた。
「響ちゃんだって、四条さんの事も、美希ちゃんや皆の事も好きでしょう?」
顔をうずめながら、響は何度も頷いた。
雪歩は、響が泣き止むまで、彼女の背中を優しくさすった。
84 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:39:37.67 ID:sFFUNv8Z0
「961プロの採用オーディションの日ね――」
やがて、落ち着いた響が顔を上げて、再度語りだした。
「貴音、自分のことを助けてくれて――自分のことっていうと、ちょっとアレだけど」
ははは、と響はおかしそうに笑った。
雪歩は響の言う事の意味がいまいち良く分からず、首を傾げた。
「961の事務所へ向かう途中、カルガモの親子が道を歩いててさー。
それでね、その子供が、道路の排水溝の中に落ちちゃって」
響は膝を叩いた。
「こりゃ大変だぞ、って、自分とにかく夢中で排水溝の中に手を突っ込んだんだ。
でも、それでも届かないから、排水溝の蓋を一度こう、どかして、体ごと入って。
そしたら――」
「あれ、何か、体が抜けないぞ、ってなってさ」
歩道のど真ん中で、排水溝に体を突っ込んでジタバタする響の姿を想像する。
その瞬間、雪歩は思わず吹き出した。
「あー! 雪歩、今笑ったな!」
「ひぃ、ご、ごめんなさい!」
「あははは、いいよいいよ。
で、うぎゃーもうダメだー、って思ったら、そこへたまたま通りがかった人がいてさー」
「それが、四条さん?」
「そう!」
85 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/23(土) 23:41:08.49 ID:sFFUNv8Z0
「いやー、貴音には参ったさー。
自分を助けようとして、ズボンを思いっきり引っ張って脱がしちゃうし」
えぇー、と雪歩が驚きながら顔を赤らめた。
「それだけじゃないんだぞ。
自分をそのままにして、「助けを呼んでまいります」とか言ってどこか行っちゃうんだもん。
おかげで自分、すっごい恥ずかしい思いしたんだからね!」
腕組みして鼻を鳴らしながら、響が怒ったようなフリをしてみせたのがおかしくて、雪歩は笑った。
「でも、自分に構ったせいで、貴音も結局961のオーディションに間に合わなくてさー。
あの時自分を放ってさえおけば、貴音なら961に入れたかも知れないのに」
一転して、遠い目をしながら語る響を見て、雪歩も少し切ない気持ちになった。
「分かってる――貴音は皆の事を気遣ってるって、自分が一番良く分かってるんさー」
「真ちゃんもそうだけど―――」
響の言葉に感化され、雪歩も自分の想いを打ち明けた。
「皆だって、美希ちゃんの事、心から嫌ってるはずないよ。
初めてオーディションに合格した時だって、あんなに皆でお祝いしたんだもん」
響は頷いた。
「美希、また戻ってきてくれないかなぁ」
「戻るよ」
予想外に雪歩が強く言い切ったので、響は少し驚きながら雪歩を見た。
「また皆で笑いながら、いつでも美希ちゃんを迎え入れられるような、そういう事務所にしなくちゃ」
私が―――。
雪歩は、響に聞こえないような小さい声で、最後に力強く呟いた。
89 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 00:04:07.68 ID:t/9l9TgEo
これはいいものを見つけた
最後まで読ませて頂きます
90 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:04:15.52 ID:7LnCOhGJ0
【5】
「プロデューサー、ちょっと―――」
律子がそう言って、プロデューサーを社長室の中から手招きした。
765プロの事務所内で個室の部屋は、ここと更衣室しかない。
同僚同士、アイドル達に内緒で話をしたい時は、高木のいない時を見計らい、大抵は社長室を使うのが通例だった。
アイドル達を警戒しながら、プロデューサーはこっそり社長室に入り、部屋のドアを閉めた。
「すみません、突然呼び止めてしまって」
「いや、いい。どうしたんだ?」
こういう時、あまり良くない相談を持ちかけられる事が多いので、プロデューサーは少し不安を抱いていた。
「雪歩の事なんですが」
「雪歩? ―――あいつが、何かあったのか?」
「いえ、問題がどうという訳ではないのですが――」
特に大きな問題は無い。
むしろ、彼女は本当に良くやってくれていると、律子もプロデューサーも感じていた。
91 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:10:24.37 ID:7LnCOhGJ0
あの日から、アイドル達の仲は回復していた。
今日など、真と響はソファーのそばに立ち、空手談義で盛り上がっている。
響に琉球空手の心得があることを知るや否や、真が拳骨を突き出したのがきっかけだ。
千早や伊織、貴音は、二人が空手の型を披露するのを、雪歩が淹れたお茶を飲みながら楽しそうに眺めていた。
あずさは、あの日の翌日に律子達から事のいきさつを聞いた後、すぐに行動に移してくれた。
春香と真を一緒に昼食へ誘ったり、伊織と千早にやよいの雑務を手伝うよう促したりすることで、仲を取り持つ機会を意識的に作っていた。
当初、アイドル達の心のケアを、同じアイドルに任せるのは本末転倒だろうと、律子達は申し訳なく思った。
しかし、「そんな事言っていられないでしょう」と、あずさは同じアイドルとして、彼女達のケアを進んで買って出たのだ。
今の事務所が平穏なのも、あずさのさり気ない気配りによる所が大きい。
年長者の協力は、律子達にとって何よりもありがたいものだった。
近々の問題を強いて挙げるなら、なかなかオーディションに合格できないことだろうか。
それも、ジュピターがエントリーするオーディションの幅が広がってしまったのも理由としてある。
とはいえ、アイドル達は何度落ちてもお互いに励まし、次のオーディションへの活力にしてくれる。
皆のモチベーションは悪くないと、プロデューサーは思っていた。
雪歩も同じだった。
むしろ、雪歩はアイドル達の中にあって、ここ最近は最も頑張ってくれている。
オーディションも、ジュピターがエントリーしないであろうものを良く研究していた。
それでいて、かつ自分の持ち味を発揮できるものを着実に選んで提案し、結果を出してきている。
律子は、一体何を―――?
「不満というよりも、むしろ逆です。
最近のあの子、何だか頑張りすぎじゃないでしょうか」
92 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:16:26.76 ID:7LnCOhGJ0
プロデューサーは「えっ」と間の抜けた声を上げた。
一度、こんな事があったのだと律子は語る。
深夜、ようやく残務を整理し、一人帰宅する準備をしていた所に、事務所の電話が鳴った。
出てみると、いつも使っているレッスンスタジオからだった。
「お宅の雪歩ちゃんが、あんまりにも頑張るもんだから、こっちも声をかけ辛くてねぇ。
ようやく、さっき帰ったところなんですが」
スタジオの管理人は、特にクレームを言うつもりではないのだが、困ったような声で悩みを明かした。
電話を取った律子は、ただただ受話器を構えながら何度も頭を下げた。
延長した分の使用料はお支払いしますので、と律子は申し出たが、管理人は笑ってそれを押し戻した。
「別に金をもらいたい訳じゃないんだが、ちょっと心配でねぇ。
あの子、親御さんが厳しいんじゃなかったっけねぇ」
「その日は俺もレッスンに付き合ったが、俺が帰る前に雪歩は帰ったぞ」
プロデューサーは、律子の話を信じる事ができなかった。
「たぶん、プロデューサーが帰ったのを見計らって、あの子がまた戻ってきたんじゃないでしょうか」
「何でそんな事を――」
「プロデューサーに、心配をかけたくないからでは?」
律子の一言に、プロデューサーはまさかと思った。
「そんな、わざわざ面倒な事を――」
「する子ですよ、あの子は」
雪歩は気ぃ遣いであると同時に、ああ見えて意外と頑なな面があるのを、プロデューサーも良く理解していた。
プロデューサーに余計な心配をかけたくないが、遅くまで練習もしたい。
その二つを両立させる方法があれば、たとえ回りくどくても彼女はやるかも知れない。
だが、なぜそこまで根を詰めるのか。
93 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:19:18.95 ID:7LnCOhGJ0
ふと、プロデューサーは近頃の雪歩の様子を思い出した。
例えば、車に乗せて移動する際、いつもは助手席に浅く腰掛けてオドオドしている事の多い彼女だが、最近は違う。
移動先に着き、プロデューサーが起こすまで、グッスリと寝ている事が多くなった。
声を掛けるだけでなく、肩を揺らすまで起きないこともザラだ。
そして、起こすと決まって雪歩は余計にオドオドしながら「居眠りしてごめんなさい」と謝るのだった。
そういえば、今日も雪歩は床につまずき、お盆に乗せたお茶をこぼしそうになった事があった。
真と伊織が「大丈夫?」と声をかけると、彼女は照れ隠しで「えへへ」と笑っていた。
あの笑顔の裏に、何かあるのかも知れないと思うと、急にプロデューサーは不安になった。
「とにかく、気をつけて見ておくよ。
あと、スタジオの管理人さんには俺からも謝っておくから」
すまん、と言いながら、プロデューサーは律子に頭を下げると同時に、右手を突き出して手刀を切った。
「頼みますよ。あの子、あまり弱音らしい弱音は吐かないですから」
そう言いながら、律子は美希の事を思い出していた。
雪歩まで潰れるような事があってはならない。
ドアノブに手をかけようとしたが、目測を誤ってプロデューサーは大きく体勢を崩し、ドアに頭をぶつけた。
「あっ、と―――大丈夫ですか?」
呆れるような視線で見つめる律子に対し、プロデューサーはバツが悪そうに笑った。
「ははは、かっこ悪いな」
時計を確認し、プロデューサーは雪歩に声をかけた。
最近は、雪歩にもグラビアの仕事が増えてきたのだ。
先に車に乗っておくよう雪歩に伝えた後、自分は書類を整理しながら、律子の言葉を頭の中で反芻していた。
94 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:23:39.89 ID:7LnCOhGJ0
第二京浜から山手通りへ入り、中目黒の立体交差点を右折した。
駒沢通りから代官山の駅のそばを通り、北上する。
「最近、良く頑張ってるな」
渋谷のフォトスタジオへ向かう間、プロデューサーはそれとなく雪歩に話しかけた。
雪歩は、少し眠そうな目をこすりながら、慌てて曖昧に返事をした。
「あぁ、悪い。眠たかったら寝てていいぞ」
「い、いえ、そんな」
「寝るの、遅いのか?」
「いえ、あの―――ちょっと、夜更かししちゃって」
えへへ、と言いながら、雪歩は笑った。
先ほどの律子の話を聞いた後では、笑って何かを誤魔化しているとしか思えなかった。
「気をつけろよ、アイドルは体が資本だからな。
無茶な生活してると、肌年齢がどんどんやばくなってあっという間に老けちゃうぞ」
そう言ってプロデューサーは誘い笑いをしたが、雪歩はまた曖昧に笑っただけだった。
うーん、とプロデューサーは心の中で唸った。
どうやって雪歩の悩みを聞きだそうか、ハンドルを握り締めながら思案した。
このまま「頑張りすぎる理由は?」などとストレートに聞いたところで、回答を得られないのは目に見えている。
そういえば、美希が事務所を辞めてからだったな、雪歩が目に見えて頑張り始めたのは。
少し変化球を投げてみるか。
「美希のこと、あれから何か聞いてるか?」
「えっ?」
95 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:26:33.81 ID:7LnCOhGJ0
「いや、ちょっと気になってさ」
「い、いえ、何も――」
雪歩は、急に背筋を伸ばしてオドオドし始めた。
手応えを掴んだプロデューサーは、続けて畳み掛けた。
「雪歩は、美希が事務所を辞めて良かったと思っているか?」
「―――えっ!?」
雪歩は、プロデューサーの顔を凝視した。
「正直に言うと―――俺は、良かったと思っている」
雪歩は、さらに目を大きく見開いた。
プロデューサーは、彼女と全く視線を合わそうとしなかった。
「嘘、ですよね?」
「いや、本当だ」
「私の目を見て下さい」
「余所見運転する訳にもいかないだろう」
「何でですか? 何で、辞めて良かっただなんて」
「あいつがいた事で、皆のモチベーションが下がっていたことは事実だ」
「ひ、ひどすぎます!」
雪歩は声を荒げた。
「美希ちゃんは、いつだって皆の事を――!」
最後に出会った時の美希の言葉を思い出し、雪歩は少し言葉を詰まらせた。
「―――ううん、そうですよ、皆の事を大事に思っていたんです!
皆のモチベーションを下げたくて頑張っていたんじゃありません!」
「あいつは大して頑張っていなかったよ、少なくとも今のお前ほどは」
「頑張っていたんです!
それに、モチベーションが下がったのは私達の勝手なんです!
羨んだり、嫉妬したりするだけで、何も自分で頑張ろうともしないで、何で――!」
96 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:31:03.43 ID:7LnCOhGJ0
「何で、あの時、美希ちゃんに追いつこうって――頑張ろうって、誰も思わなかったのかなぁ――!」
雪歩の目から、大粒の涙がこぼれた。
「美希ちゃんを孤立させちゃって、苦しめたのは、私達なんですぅ」
「いや、俺達だ」
プロデューサーは、雪歩の言葉を短く否定した。
「社長が言ったように、俺や律子、社長がそういう環境にしてしまった。
お前達は何も悪くない」
雪歩は、プロデューサーの顔をもう一度見た。
一瞬、チラッとこちらに向けた彼の視線は、少し悲しそうだった。
「お前が頑張っているのは、やはり美希のためなんだな?」
プロデューサーの言葉に、雪歩は「えっ」と驚きの声をあげた。
「美希を苦しめたことへの償いなのか、美希の代わりになろうとしているのか――
無理に打ち明けることも無いが、お前の中には、まだ美希がいるんだな」
雪歩は、しばらく黙り込んだ後、静かに頷いた。
「よし、分かった」
急に、プロデューサーが明るい声を出した。
「ちょっと俺、暇を見つけて美希に会いに行くよ。
連れ戻せるかどうかは分からんが、もう一度話をしてみるさ」
プロデューサーは左手をハンドルから放し、呆然としている雪歩の頭まで伸ばして乗せた。
「美希が戻ってくれば、お前も一人で頑張る事も無いもんな」
「意地の悪い事を言って、悪かった」
最後にポツリと謝るプロデューサーに、雪歩は泣きながら首を振った。
97 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:32:16.66 ID:7LnCOhGJ0
少し遅めの昼休みが終わり、予定がある者は皆事務所を出て行った。
久々に出前を取ったこともあり、給湯室には食器類がいつもより余計に多く積まれていた。
ゴミ出しとテーブル拭きを終えたやよいが、それらを前にもう一度袖をまくり直す。
「いいわよ、高槻さん。洗い物なら私がやっておくから」
後ろから歩いてきた千早が、やよいに優しく声をかけた。
やよいは午後からレッスンが入っており、一方の千早はオフである。
「そろそろ出かける時間でしょう?」
「わぁ、ありがとうございます、千早さん!」
やよいは、元気良く千早にお辞儀をすると、パタパタと給湯室を飛び出して行った。
その後ろ姿を見届けた後、千早は腕まくりをしながら流しの蛇口を捻った。
98 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:34:04.40 ID:7LnCOhGJ0
初めのうちは、普段使う食器やお茶っ葉、詰め替えの洗剤の場所も分からなかった。
しかし、伊織と一緒にやよいの手伝いをするうちにだんだん覚えてきたものだ。
洗い物は15分ほどで終わった。
やよいなら、おそらく10分もかからないのだろう。
それに、慣れてきたとはいえ、やはり洗剤を使いすぎる癖は直らないようだ。
給湯室で一息ついていると、事務所のドアが開いた。
「ただいま戻りましたー。ふぅ、今日はまだ暑いわねぇ~」
オーディションから帰ってきたあずさが、給湯室にやってきた。
上着を脱ぎ、シャツの胸元をパタパタと手で忙しなく仰いでいる。
自分の体とは無縁なそのセクシーさに少し悔しさを滲ませながら、千早は目を背けた。
「10分くらい休憩したら反省会しますね、あずささん」
後から事務所に入ってきた律子が、自分のデスクに向かいながらあずさに声をかけた。
あずさは、「はーい」と間延びした声で返事をする。
どうやら、今日も合格できなかったらしい。
99 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:36:28.08 ID:7LnCOhGJ0
「お疲れ様です、あずささん」
千早は状況を察知し、なるべくオーディションの事には触れないようにと思った。
「あら~、千早ちゃんお疲れ様。何か冷蔵庫に飲み物入ってたりしないかしら~?」
あずさは、普段通りの口調で千早と挨拶を交わすと、冷蔵庫を開けて中身を物色し始めた。
「今朝作っておいた麦茶ならありますけれど」
「まぁ、それじゃあいただこうかしら。これ?」
「えぇ」
あずさは、冷蔵庫から麦茶が入ったポットを取り出した。
「えぇっと、コップは、コップ――」
続いて、あずさは食器棚からコップを選ぶ。
自分用に名前が書かれた食器もあれば、書かれていなくとも何となく特定の人がいつも使っているものもある。
「―――じゃあ、これ」
あずさが選んだ若草色のコップを見て、千早が「あっ」と小さく声を上げた。
それは、名前こそ書かれていないが、美希が何となく愛用していたものだった。
「どうかしたの、千早ちゃん?」
あずさが、少し意地の悪い顔をして千早に問いかけた。
「うふふ、そう言えばこのコップ、美希ちゃんがいつも使っていたわねぇ」
やっぱり、確信犯だ。千早は、そう言って笑うあずさが少し不愉快に思えた。
「私、前からこのコップがお気に入りだったのよねぇ。
美希ちゃんもいなくなった事だし、こっそり名前、書いちゃおうかしら」
「それは――!」
咄嗟に何かを言いかけて、千早は飲み込んだ。
100 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:39:25.11 ID:7LnCOhGJ0
「―――うふふ、冗談よ」
そう言って、あずさは手元のコップを戻し、別のコップを手に取った。
「もしかしたら、戻ってきてくれるかも知れないもの。
勝手に使ったら怒られちゃうわね」
あずさの言う事に、千早は何も反応を返さなかった。
「ねぇ―――千早ちゃんは、美希ちゃんに戻ってきてほしい?」
それまでとは打って変わり、真剣な表情であずさが千早に聞いた。
千早は、少したじろぎながらあずさの顔を見た後、視線を床に落とした。
「―――良く、分かりません。
もし戻ってきてくれたら、きっと楽しいとは思います。
でも、またあの時のように、皆との関係が壊れてしまわないかと思うと、怖くて」
千早が思いを打ち明ける間、あずさは何も言わず、黙ってコップに麦茶を注いでいた。
「それまで私は、自分には歌さえあれば良いと考えていました。
ですが、今ではそれと同じくらい、事務所の皆が大事です。
だから――」
「壊れるリスクを背負うくらいなら、今のままが良い、ということね」
「はい」
千早は、事務所内の空気が自らの歌に対するモチベーションと繋がっていることを理解していた。
101 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:42:50.68 ID:7LnCOhGJ0
「千早ちゃんは正直ね、でも――」
あずさは、麦茶を入れたコップを、物憂げな表情をしながら手の中で揺らしていた。
「本音をぶつけないまま付き合うことが、自分や皆のためになるのかしら」
千早は、再び驚いた顔をしてあずさを見た。
「ううん、私にも分からないけれど――
でも、もしかしたらもっと単純に考えるべきなのかも知れないわね」
「それって、どういう――」
「さっき聞いた通りのことよ。千早ちゃんが、美希ちゃんに戻ってきてほしいのかどうか」
あずさは、麦茶をくっと飲み干した。
「千早ちゃんも私も、怖いのね。美希ちゃんや皆と本音をぶつけ合うのが」
千早は、改めてあずさが美希に戻ってきてほしいと思っていることを察した。
「そんな臆病な気持ちを抱えたままで、オーディションに受かる訳無いわよね」
うふふ、と笑いながら、あずさはコップを洗って水切りに入れた。
「麦茶、千早ちゃんが作ったの? ありがとう、おいしかったわ」
「お茶くみや洗い物くらいなら、私にもできますから」
そう言って見得を切る千早に、あずさはニコッと微笑みながら、給湯室を出て行った。
ふと、千早は若草色のコップを手に取った。
良く見ると、ほんの少しだけ底が汚れている。
普段なら何とも思わないのに、今日に限ってそれがどうしても気になってしまうのは何故だろうか。
千早はそのコップを流しに持って行くと、再びスポンジにたっぷりと洗剤をつけ、丹念に洗い始めた。
102 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:44:48.90 ID:7LnCOhGJ0
「美希ー、ゲーセン行かないのー?」
帰りのホームルームが終わっても、美希は自分の席から動こうとしなかった。
友人が呼びかけても、彼女は片肘を机につき、窓の外をボーッと眺めたままである。
「ねー、美希ってばー」
「いいよ、先に行ってよう」
「美希ー、来るなら後でメールしてねー」
ついに諦めた友人達が、美希に手を振りながら教室から出て行く。
美希はそのままの姿勢で、まるで独り言のように返事をしただけだった。
プリクラなんてもうとっくに飽きた。
UFOキャッチャーだって、取りたいと思うものなんて無い。
他のゲームは、うるさいから、ヤ。
ゲーセンには、美希をワクワクさせるものが何一つ無かった。
せめてカラオケなら―――いや、それももういい。
友人が一度『Relations』を歌った時に険悪な雰囲気にしてしまって以降、カラオケにも興味が無くなったことを思い出した。
あまりにも退屈なのに、自分が何をしたいのかが分からない。
―――先生に会いに行こう。
誰もいなくなった教室で、美希はようやく席を立った。
103 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:47:24.86 ID:7LnCOhGJ0
東急池上線は、ほとんど混雑しない路線だったので好きだった。
池上駅を降りると、美希は池上通りを東に向かって歩いた後、途中の路地を左に入り、いつもの公園へと向かった。
天気も良いし、たぶん今日は先生に会えるだろう。
公園に着くと、美希は途中のファストフード店で買ったフライドポテトをつまみながら、池の周りを鼻歌交じりにブラブラと歩いた。
その鼻歌が『Relations』であった事にふと気づくと、急に美希は鼻歌を止め、何だかムシャクシャした気分になってしまった。
やがて、池をまたぐ橋を渡る途中で、美希は足を止めた。
そこまで久しぶりという訳ではないが、ようやく会えた。
「カモ先生、こんにちはなの」
池の中でユラユラと浮かぶカルガモに向かって、美希は挨拶をした。
カルガモは、美希には一瞥もくれず、静かに水面に佇んでいる。
「今日は子供いないんだ―――まぁいいや」
美希は橋の高欄にもたれかかり、ボーッとカルガモを眺め始めた。
美希は、小学校の頃からこの公園に来ており、特に橋の上はお気に入りの場所だった。
こうして一日中、“先生”を眺めながらボーッとするのが好きなのだ。
104 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:50:11.07 ID:7LnCOhGJ0
「先生、ミキね―――何か、やる気無くなっちゃったの」
カルガモを眺めながら、美希は独り言のようにポツリと呟いた。
「何にも面白くなくて、ワクワクドキドキするものも無くて――つまんない。
すっごくタイクツなのに、何もやる気しないなーって」
最後に心から笑ったのは、いつだったか―――。
ふと、美希は765プロにいた時のことを思い出した。
すぐに、美希はかぶりを振った。
「ミキを追い出した人達のことなんて、知らないの」
「ねぇ―――先生は、一日中池でプカプカ浮かんでて、つまんないって思ったこと無いの?」
美希は、徐々に橋に近づいてくるカルガモに向かって問いかけた。
突然、カルガモが羽をパタパタと動かした。
ビックリして、美希は手に持っていたフライドポテトを落としそうになる。
「うわっ! っとと―――あっ、そっか」
美希は何かを察したかのように、フライドポテトを一本取り出した。
「先生、お腹空いたんだよね。どうぞなの」
そう言うと、美希は手に持ったポテトをポイッと池に向かって投げた。
ユラユラと近づいたカルガモが、そのポテトを啄ばみ始める。
「もっとあげた方が良いかなぁ。ちょっと待っててね」
「おーい、ポテトじゃなくてこっちをあげたらどうだ?」
ふと、どこかで聞き覚えのある声が美希を呼んだ。
不思議に思いながら振り返ると、スーツ姿の冴えない男が、お菓子の袋を持って立っている。
「あ、えっと―――プロデューサーさん?」
あまり呼び慣れない相手だったため、美希は少し言葉が詰まった。
プロデューサーは、そんな美希がおかしかったのか、笑いながら美希に近づいてくる。
「カルガモを眺めてたから、お菓子でもあげてるのかと思ってな。
まさかフライドポテトを投げてるとは思わなかったが」
105 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:52:22.48 ID:7LnCOhGJ0
「へぇ、これがカモ先生か」
橋の下まで近づいてきたカルガモを見ながら、プロデューサーはそう言って美希にお菓子を渡した。
「これが、って言わないの。ミキが小学生の時から、すっごく尊敬してる先生なんだから」
美希は、乱暴にプロデューサーからお菓子を受け取ると、カルガモに投げた。
「あっ、ポテトよりも食いつきが良いの。ねぇねぇ、もっとちょうだい」
「尊敬してる先生に向かって、「食いつきが良い」って言い方もアレだろ」
プロデューサーは苦笑した。
律子が“先生”の正体を知ったら、何て言うだろうか。
「どうして、ミキがここにいるって分かったの?」
高欄にもたれかかり、カルガモを眺めながら、美希はプロデューサーに問いかけた。
この場所は、学校の友達にも教えた事が無い。
「美希の家に電話してな。
事情を説明したら、たぶんここにいるんじゃないかって、お姉さんが」
「あぁ、そうだったの」
「すまない。たぶん一人でいたかっただろうに、迷惑だったよな」
「ううん、別に」
美希はそれよりも、プロデューサーにまだ聞きたい事があった。
「何しに来たの? ひょっとして、律子がミキを連れ戻して来いって?」
「美希は、どう思ってるんだ?」
「えっ?」
「自分の事を、連れ戻してほしいと思ってるのか?」
「まさか! ゼッタイあり得ないの!」
「ははは、嫌われてるなぁ律子」
美希は、そう言って笑うプロデューサーの事も不愉快だった。
この男は一体何をしに来たのだ。
106 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:56:37.70 ID:7LnCOhGJ0
「小学生の時からってことは、結構長生きなんだな、カモ先生」
プロデューサーは、指で年数を数えた。
仮に小学1年生から今日までとすると、9年か。
「ミキね、知ってるの。カモの寿命は3年か4年くらいなんだよ?」
「―――あ、そう」
それ以上追求するのは止めて、プロデューサーは別の質問に切り替えた。
「ところで、何であのカモが先生なんだ?」
「カモ先生は偉大なの」
鼻息を荒くして、美希は語った。
「だって、寝たまんまでも、プカプカーって浮いてられるでしょ?
ミキもそうやって、なんにもしないで、ラクに生きていけたらいいなーって」
なるほど、とプロデューサーは相槌を打った。
美希がマイペースな理由が分かった気がする。
「でも―――」
美希は、高欄にもたれた腕の中にあごをうずめた。
「なんにもしないのって、つまんないの。
ラクに生きるって、何なのかな」
そう言って、美希は物憂げにカルガモを眺めた。
「何もしないってのは、なかなか難しいもんさ。何でだと思う?」
プロデューサーの問いかけに、美希は顔を上げた。
「あ、いや、期待されても困る。何も気の利いた事なんて言えないけどさ」
プロデューサーは慌てて手を振った。
「でも、あのカモ先生だって、生まれた時から何もしないで浮かんでいたと思うか?」
「カモ先生が子供連れてるのは見たことあるよ?
チョコチョコーッて先生の後を一生懸命ついてて、かわいかったの」
「そうだな。子供は先生についていくのも必死だったんだろう」
「えっ?」
107 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 00:59:09.54 ID:7LnCOhGJ0
「先生が子供のときも、きっとそうだったんじゃないかな」
プロデューサーのその言葉に、美希は一瞬ハッとした。
「カモは一見すると穏やかに浮いているように見えるが、水面下では必死に足を動かしている。
子供ならなおさらそうだろう―――なんてのは良く言う話だけどさ」
プロデューサーは、お菓子をつまんで投げた。
「普通の人にとっては、浮き上がるのさえ結構大変なことなんだよ――アイドルだってそうだ」
「皆、必死にもがいているよ。
いつか水面に顔を出したい、キラキラと光るステージに立ちたいってな」
美希は、いつの間にかプロデューサーの顔から目を離せなくなっていた。
「浮き上がった後だって大変さ。
足を必死に動かしていなきゃ、トップに立てないどころかまた沈んでしまう」
プロデューサーは、お菓子の袋を手持ち無沙汰に弄っている。
「お前が、何もしない事に違和感を覚えているのは、もしかしたら、もう一度もがきたいって内心思っているのかもな」
「ただな――」
プロデューサーは美希の方へ向き直った。
急なことだったので、美希は驚いて思わず背筋が伸びてしまった。
「今、事務所で一番もがいているヤツは、そういう理由で頑張ってる訳じゃないようなんだ」
美希の口から、「えっ」という声が漏れた。
「その子は、皆がキラキラ輝くことを何よりも願っている。
だから、自分がまず有名になって、事務所の皆に光を当てたいんだな」
「お前がそうしたように―――美希」
だらしないと思っていた男の目は、いつしか真剣なものになっていた。
108 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:01:16.83 ID:7LnCOhGJ0
「その子は、お前のことを本気で尊敬している。
だから、お前がいなくなってしまった今、お前の代わりに自分がならなくてはと考えている」
美希は、プロデューサーが誰のことを言っているのかを直感的に察した。
「だが、そのために無理をしているのだとしたら――
あいつのプロデューサーとして、俺にはそれが我慢できない」
しばしの沈黙の後、プロデューサーはお菓子の袋を美希に預けた。
「今のは俺の愚痴だ。今日は、それをただお前に聞いて欲しかったんだ」
プロデューサーは、照れくさそうに頭を掻いた。
「これからも、時々こうして、俺の情けない愚痴を聞いてもらっても良いかな」
美希は、何も言わずに頷いた。
それを見て、プロデューサーはニコッと笑いながら美希の頭を叩いた。
「これからは、ポテトを池に投げるのは止めろよ。魚が滅びるぞ」
そう言い捨てて、プロデューサーは公園を去った。
美希は、別れの挨拶の言葉も言えず、ただプロデューサーの後ろ姿を黙って見ていた。
彼が視界から消えても、その残像を目で追いながら呆然と立ち尽くした。
ふと、美希は我に返り、池を見た。
カルガモの姿は、いつの間にかどこにも見えなくなっていた。
109 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:03:45.12 ID:7LnCOhGJ0
【6】
秋も深くなったある朝、貴音が自分のロッカーを開けると、見慣れない服があることに気がついた。
自分のものではないし、自分が入れた記憶も無い。
服を手に取り、まじまじと見ながら首を捻っていると、更衣室に誰かが入ってきた。
「あっ、お姫ちん! はろはろー!」
「おはようございます、双海亜美」
「お姫ちん、何してんの? ―――あーっ!!」
突然、亜美は貴音の手から強引に服を奪い取ると、猛ダッシュで更衣室を後にしようとした。
その時、ちょうど真美が部屋の中に入ろうとしたため、二人はお互いに頭を思い切りぶつけてしまった。
「普段は息の合った行動を見せる貴女方でも、そのような事があるのですね」
その場にうずくまり、両手で頭を押さえている二人をまじまじと見ながら、貴音は感心するように言った。
「うぅぅ―――ちょっとくらい心配そうにしてくれたっていいじゃん」
「まったくだYO。それにしてもキイタぜ亜美、いちち」
「申し訳ありません」
ポカンとした顔をしながら、貴音は謝った。
「いや、どっちかって言うと悪いのは亜美なんだけどさ」
ようやく立ち上がり、頬を指で掻きながら、バツの悪そうに亜美は言った。
「亜美、何でその服持ってんの? ―――ひょっとして、ミキミキのロッカー――」
「うん、やっちった」
事態を把握したのか、真美は「うあうあー」と言いながら再び両手で頭を抱えた。
貴音は、何のことだかサッパリ分からず、首を傾げている。
110 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:06:09.30 ID:7LnCOhGJ0
「ほら、お姫ちんの隣のロッカーって、ミキミキのでしょ?」
真美は、貴音のそばにあるロッカーを指差した。
「ホントはこの服、ミキミキのロッカーに入れるつもりだったんだ。
でも、間違えて亜美がお姫ちんの所に入れちゃったみたいで」
「あぁ」
貴音はようやく頷いた。
「少し、見せてもらっても?」
貴音がそう言うので、亜美は手に持っていた服を貴音に差し出した。
貴音は、受け取った服をもう一度注意深く調べた。
あまりにも丹念に見るので、亜美達は貴音のことを少し怖いと思ってしまった。
「―――申し訳ありません、亜美、真美」
貴音は服を亜美に返すと、突然二人に頭を下げた。
亜美達は、何のことか分からず、うろたえている。
「私は、貴女方を疑ってしまいました」
「疑うって?」
「この服は、美希が欲しいと言っていたものでした。
萩原雪歩や響と一緒に、4人で買い物に行った時のことです」
ふふっ、と思い出すように笑いながら、貴音は語った。
「美希が人目をはばからず振る舞い、響を振り回し、萩原雪歩が彼女を制止する様を、良く覚えています」
「私は、貴女方がこの服に悪さをしていまいかと、疑ったのです。
また、美希に卑怯な真似をしてしまっているのではないかと」
貴音の言葉に、亜美達は顔をこわばらせた。
美希が事務所を去った日の事を思い出し、気分が悪くなった。
111 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:08:34.68 ID:7LnCOhGJ0
「美希に対する貴女方の厚意を、私は邪な眼で捉えてしまいました」
貴音は、もう一度深々と二人に頭を下げた。
「や、止めてよお姫ちん! 亜美達、そんなの全然気にしないって!」
「そうだよ! 元々悪い事してたのは真美達だもん!」
「ゆきぴょんから聞いたんだ。この服、ミキミキがずっと欲しがってた、って」
服をヒラヒラと掲げながら、亜美は楽しそうに言った。
「ミキミキが帰ってくるように、ゆきぴょんや兄ちゃんが頑張ってるって聞いて――
それじゃあ、真美達も何かしなきゃダメっしょ、ってね!」
服を掲げる亜美の隣で、真美も張り切っていた。
「一番、ミキミキにひどい事してたの真美達だし―――これくらいはトーゼンだよ」
「本当―――良く頑張ってたよね、ゆきぴょん」
急にトーンダウンした亜美の声が、更衣室に響いた。
「な――亜美、何そのテンション? まだ始まってもいないYO!」
「わ、分かってるよ真美! 分かってるけどさ――!」
「今日は、萩原雪歩がジュピターとオーディションで対決する日でしたね」
貴音の言葉に、二人は黙って俯いてしまった。
112 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:11:33.49 ID:7LnCOhGJ0
ジュピターとエントリーが被った事に気づいたのは、オーディション本番の三日前だった。
迂闊だったと、プロデューサーは自分のチェックの甘さを悔いた。
すぐにエントリーを取り下げようと受話器に手を伸ばした時、雪歩がプロデューサーに嘆願したのだ。
「プロデューサー―――大丈夫です、やらせて下さい」
確かに、雪歩はあれから見違えるほど力をつけてきた。
ここ最近、ジュピターの出ないオーディションではほとんど負けた事が無い。
仕事量もかなり増えたが、練習量も減らすどころか、ますます増やしていたように思える。
彼女の努力は、プロデューサー達だけでなく、アイドルの皆も認め、奮起させていた。
一方で、ジュピターも凄まじい勢いでトップアイドルの座へと駆け上っている。
今や、テレビのチャンネルを回せばジュピターを見ない日は無いほどだ。
さらに、ジュピターは今日のような全国区のオーディションの経験が豊富であり、場慣れしている。
経験に乏しい雪歩に、不安材料が無いとは決して言い切れない。
それでも、貴音は毅然としていた。
「私達をここまで牽引してきた萩原雪歩、そしてプロデューサーを信じましょう」
「う、うん――そうだよね! それで、ミキミキも帰ってきてくれると良いなぁ」
「もしミキミキがこのロッカー開けたら、その時のドッキリも考えてるんだー」
亜美と真美が顔を見合わせて楽しそうに笑ったのを見て、貴音もつられて笑った。
やがて来る冬が先走ってきたかのように、北風が忙しなく事務所の窓を叩いている。
113 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:14:15.55 ID:7LnCOhGJ0
第二京浜を北上し、戸越から首都高速2号目黒線に乗る。
途中ある一ノ橋ジャンクションと浜崎橋ジャンクションで、銀座方面に向うよう都心環状線を渡れば、やがて汐留出口が見えてくる。
事務所から行けば、大体30分程度の道のりだ。
目本テレビへ向う車内で、真は雪歩の体調を気遣った。
この一週間、雪歩があまり寝ていないことを真は知っている。
今日のオーディションの付き添いを志望したのも、雪歩を心配してのことだった。
「大丈夫、って嘘ついて誤魔化すのは止めてね」
真は、念を押した。
後部座席から、雪歩の困ったような笑い声が聞こえてきた。
「そんな事言われたら、私、何も言う事無くなっちゃうよ」
「雪歩はそう言って一人で抱え込むから、ボクも心配になるんだよ」
真は、雪歩の言う事を信じきれなくなっている自分が嫌いだった。
「本当に、大丈夫だから―――プロデューサーも、心配しないで下さい、ね?」
雪歩は、運転席に向って声を掛けた。
だが、プロデューサーはそれに気づかなかったのか、ただ前の一点をうつろに見ながらハンドルを握っている。
「―――プロデューサー?」
「えっ? ―――あぁ、すまん。どうした?」
「どうしたじゃありませんよ。雪歩とボクの話聞いてなかったんですか?」
「あっ、す、すまない。ちょっとな」
もう、と言いながら、真は鼻を鳴らして怒ってみせる。
それを横目で見たプロデューサーは、笑いながら左手で真の髪を乱暴にかき回した。
「あ、ちょっと! こらぁ!」
雪歩が笑ってくれたのを見て、真とプロデューサーも笑った。
114 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:16:12.94 ID:7LnCOhGJ0
「あれから、美希ちゃんとは――?」
雪歩が、それとなくプロデューサーに聞いた。
プロデューサーが美希と連絡を取り合い、幾度か会っていることは、雪歩だけでなく事務所の皆も周知の事だった。
「ん? あぁ、美希な。相変わらずだよ」
プロデューサーは、また思い出すように笑った。
「この間なんか、買い物に散々連れ回された挙句、喫茶店であいつ爆睡してなぁ。
その前は、公園で昼間ずっとボーッとしてたっけ」
プロデューサーは終始ニコニコしながら雪歩と真に語っていた。
「仕事があるから、って言って帰ろうとしても、なかなか帰してくれないんだよな。
困ったヤツだよ」
数分ほど楽しげに語った後、ふとプロデューサーは、車内に少し不穏な空気が流れていることに気づいた。
「―――あの、勘違いしないでくれ。
あくまで美希に戻ってもらうためにやってる事だ。他意は無いぞ」
「は、はい、分かっています」
雪歩は何度も頷いた。
「私は、美希ちゃんが戻ってこれなくても、元気でいてくれれば、それで良いんですぅ」
「そう言いながらプロデューサー、本当はちょっと楽しんでたりしないですか?」
真はあくまで冗談っぽく聞いたつもりだが、本音も少し混じっていた。
「ははは、まさか。
どれだけ年が離れていると思ってるんだ、ないない」
プロデューサーが笑いながら否定したので、真と雪歩も笑った。
真は、また自分の性格が悪くなっている事に気づき、心の中で舌打ちした。
115 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:18:24.70 ID:7LnCOhGJ0
律子からのアドバイスもあり、目本テレビには時間に余裕を持って到着した。
大規模なオーディションだと、入場口も分からないほど会場となる建物が巨大だとのことである。
しかし、下調べを入念に行っていたこともあってか、会場には迷わずアッサリと着いた。
「フヅテレビの話を聞いてたから、ビビって先方の担当者に何度も確認しちゃったけど、来てみればなんてことは無かったな」
会場内でオーディションの参加手続きを済ませたプロデューサーが、入口で待つ雪歩達の所へ戻ってきた。
「あの時は、本当に焦ったんですぅ」
「あぁ、そう言えば雪歩も付き添いでフヅテレビ行ってたんだよな。
どうだ? あっちと比べて会場の大きさは」
雪歩は、少し周囲を見回してから、プロデューサーと真の顔を順番に見た。
「フヅテレビと、同じくらいかなー、って」
「それにしては落ち着いてるね、雪歩」
真がまじまじと顔を覗き込むように見るので、雪歩はつい照れてしまった。
「それだけ雪歩も自信と実力をつけたんだよ。大丈夫、きっと上手くやれるさ」
プロデューサーの励ましの言葉に、雪歩は力強く頷いた。
ふと、雪歩の視線がある一点を捉えたまま釘付けになった。
表情も、驚きのそれから見る見るうちに明るくなっていくのが分かる。
プロデューサーと真は、振り返って雪歩の視線の先を探した。
「―――美希ちゃん!」
雪歩の声に、美希はソフトクリームを持っていない方の手を元気良く振ってみせながら、こっちに近づいてきた。
116 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:20:48.85 ID:7LnCOhGJ0
「ごめんね。もっと早く来ようって思ってたけど、遅くなっちゃったの」
「ううん、私達も早く着きすぎちゃったの。まさか来てくれるなんて――!」
雪歩は、嬉しさのあまり興奮が抑えられずにいる。
「どうしてここが?」
真が美希に聞いた。
偶然の出会いかと思ったが、美希の口ぶりを聞くとそういう訳ではないらしい。
「ハ――プロデューサーに教えてもらったの。
雪歩にとって正念場になるオーディションだから、良かったら応援に来てほしいって」
美希の言葉を聞いた雪歩と真は、プロデューサーの方へ顔を向けた。
「良く来てくれたな、美希」
プロデューサーは、美希の頭を撫でた。
美希は、まんざらでもない様子でプロデューサーにされるがままでいる。
「いつもプロデューサーにはお世話になってるから、これくらい当然なの」
美希の何気ない一言が、真の心を揺さぶった。
今のは、どういう意味だろう。
この子は、雪歩を応援したいという気持ちから来たのではないのか。
プロデューサーから言われなければ来る気は無かった、とでも――?
「――真ちゃん?」
自分は何を考えているのだ。
真は一人でかぶりを振った。最近の自分はどうかしている。
プロデューサーから伝えられなければ、美希はオーディションの存在すら知らなかった。
美希がこうして雪歩の応援に来てくれたのは、プロデューサーのお願いがあったからこそ――そんなの当たり前だ。
「真クン、どうしたの?」
ポカンとした表情で見つめる美希に対し、真は笑顔で返した。
「何でもないさ。ボクも久しぶりに会えて嬉しいよ、美希」
「うん!」
真が拳骨を突き出したのに対し、美希はパーを出してみせたので、真は苦笑した。
117 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:23:01.77 ID:7LnCOhGJ0
外で一度通しで練習してから、会場の待合室に入った。
先ほど入った時とは打って変わって、大勢のアイドル達がオーディションの開始を待っていた。
真は、その光景を見ただけで身震いがしてきた。
「真クン、大丈夫?」
自販機で買ったジュースを飲みながら、美希が聞いた。
「平気さ、武者震いだよ。まぁ、ボクが武者震いしてもしょうがないけどね」
そう言って、真は雪歩の方をチラッと見た。
雪歩は、真達から少し離れた位置に置いてある椅子に座って目を閉じ、イヤホンをつけて今日歌う曲を聴いている。
下手に声をかけるのが躊躇われるほど、今日の雪歩は今まで見た事が無いほどに集中している。
それほど、このオーディションにかける想いが強かったのかと、改めて真は感じた。
「そういえば、プロデューサーはどこ行ってるの?」
美希は、辺りをキョロキョロと見回した。
「プロデューサーは、最終チェックに行ってるよ。シューズチェックだとか」
「シューズチェック?」
「何でも、前にここでやったオーディションでスパイクみたいなシューズで踊った人がいたらしくて――
だから、変なシューズでエントリーしないよう、今回から導入された審査なんだって」
ふーん、と美希は分かったような分からないような顔をしながら頷いた。
しばらくして、プロデューサーが戻ってきた。
「雪歩のシューズは?」
「自分の出番の一つ前になるまで預かるんだそうだ。
以前、スパイクで踊られて会場の床が穴だらけになったってのがよっぽど問題になったんだろうな」
そう言いながら、プロデューサーもいまいち釈然としない様子だった。
118 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:24:55.39 ID:7LnCOhGJ0
「変なの」
「やっぱそう思うよな。あぁそう、ジュピターも文句言ってたぞ」
「えっ?」
ジュピターという言葉に、真と美希は敏感に反応した。
「どんな対決だろうと真っ向勝負、っていう俺達のポリシーを疑うのかよ、ってな。
もっとも、怒っていたのは冬馬だけで、後の二人は冬馬をなだめていたんだが」
プロデューサーは肩をすくめた。
「まっ、条件は皆同じってことだ」
プロデューサーの言葉に、真達は頷いた。
「全員、集まりましたか? では、今日の参加者の確認を行います」
審査員が、参加者の名前を読み上げる。
雪歩の名前が呼ばれると、会場に若干のどよめきが沸いた。
「雪歩も有名になったんだね」
自分の時の事を思い出したのか、美希は感慨深そうに呟いた。
もっとも、ジュピターの名前が呼ばれた時のどよめきの方が大きかったが。
雪歩が今日歌う曲は『First Stage』である。
歌詞の中に登場する内気な少女の姿が自分と重なるのだと、雪歩は以前プロデューサーに語っていた。
今回のオーディションに雪歩がこの曲を選んだのも、それだけ特別な思い入れがあってのことだったのだろうとプロデューサーは思った。
絶対に成功させる。
美希がいなくなってからの事務所は、どことなく暗く寂しくなってしまった。
明るい事務所を取り戻すには、自分が一歩を踏み出さなければならないのだ。
119 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:26:06.16 ID:7LnCOhGJ0
今日の流行はボーカルだった。
以前の雪歩なら、擦れるような声量しか持っていないために逆風となっていたかも知れない。
しかし、やれるだけのトレーニングは行ってきたのだ。不安は無い。
返されたシューズを履いて靴紐を結び、雪歩は目を閉じて大きく深呼吸をした。
いよいよ、雪歩の出番がやってきた。
真は、右手の拳骨を雪歩に突き出した。
「しっかりね、雪歩」
雪歩は何も言わずに微笑むと、しっかりと握った拳を真の拳にチョンと当てた。
そして、プロデューサーと美希の方に向き直り、控えめに手を振った。
「雪歩ー、頑張るのー!」
無言で頷くプロデューサーの横で、美希が一際大きな声で激励した。
ステージに立った雪歩は、ポーズを構えた。
目を閉じると、心臓の鼓動が聞こえる。
落ち着いている。大丈夫だ。
120 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:27:12.04 ID:7LnCOhGJ0
出始めからターンが待っていたが、雪歩は難なくこなした。
テンポも速く歌いこなすのが難しい曲だが、しっかり子音を発音しメロディに乗せて歌えている。
滑舌だって、やよいと一緒に専属のコーチに習ってきたのだ。
当然のことだが、最後まで全力で歌って踊りきるだけの体力も十分につけている。
審査員が身を乗り出し始めた。
プロデューサーは腕組みをしながらジッとステージを見つめ、真は手に汗を握っている。
「キレイ―――」
思わず、美希の口から声が漏れた。
美希は、ただただ雪歩が華麗に舞う姿に見とれていた。
121 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:29:42.31 ID:7LnCOhGJ0
間奏に入った。
大サビを迎えればフィニッシュだ。
普段の練習以上の実力を本番で出す底力は、もはや雪歩の代名詞だ。
ステージが終わったら、考えられる限りの賞賛の言葉をあの子にあげよう。
さぁ、ここからだ。
「Love you,lov―――」
突然、雪歩がその場に倒れた。
会場がどよめきに包まれる。
プロデューサー達は、何が起きたのかすぐに理解することができなかった。
やがて、雪歩は立ち上がり、ステージを続けた。
しかし、ダンスがどこかたどたどしい。
さっき倒れた時に足を痛めたのか?
なぜ倒れた―――。
ステージが終わり、雪歩が帰ってきた。
「大丈夫か、雪歩? ちょっと見せてみろ」
雪歩を椅子に座らせ、プロデューサーはズボンの裾をめくった。
靴紐がほどけて―――いや、切れている。
「プロデューサー―――ごめんなさい」
「足は痛めていないか? 腫れている所とかは無いようだが」
泣きながら、雪歩は首を振った。
靴を脱がせ、入念に調べたが、幸いどうやら怪我は無いようだ。
「とにかく、結果を待とう」
プロデューサーは雪歩の隣に座り、肩を抱き寄せた。
雪歩は、溢れる涙を止めることができなかった。
122 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:32:05.55 ID:7LnCOhGJ0
「残念だったな」
オーディションを終え、冬馬がぶっきらぼうに雪歩に言った。
雪歩は、まだ椅子に座ったままうなだれている。
「この間、レベルが低いとか言って―――悪かった」
ボソッと付け加えた後、冬馬はツカツカと靴音を鳴らして会場を去った。
「ああいう不器用な人なんだよ、冬馬君って。どうか勘弁してやってね」
翔太が呆れたような笑いを浮かべながら、雪歩に釈明をした。
隣にいた北斗もそれに続く。
「今日は俺達が勝ったけど、次はどうなるか分からないな。
本当に残念だったけど、リターンマッチはいつでも受け付けるよ、エンジェルちゃん」
「すっごい上から目線、ヤな感じなの」
美希が悪態をついた。
しかし、彼らは美希と真には一瞥もくれることなく、雪歩に手を振りながら去っていった。
123 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:33:27.46 ID:7LnCOhGJ0
「さぁ、帰ろう、雪歩」
プロデューサーが、努めて明るく雪歩に声をかけた。
雪歩は、まだその場を動けずにいた。
放心状態の雪歩を前に、真はかけるべき言葉が見つからなかった。
「大丈夫大丈夫、雪歩はすごい頑張ったの。
次やったら、絶対ジュピターやっつけられるって思うな」
美希の間の抜けた声が響いた。
今の真には、その声が許せなかった。何と無責任な言い草だろうか。
「ごめん、美希―――少し黙ってて」
真は、声を絞り出すように美希に言った。
美希は驚いた表情で真を見ている。
「美希は、雪歩がこれまでどれだけ頑張ってきたのか――
そして今、どれだけ悔しい思いをしているのか、まるで分かってない」
124 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:36:07.35 ID:7LnCOhGJ0
「ミキ、知ってるよ。
プロデューサーから聞いてたもん、雪歩の頑張りっぷりを。
それに、いつまでも残念がっててもしょうがないし、また――」
「自分は途中で逃げたくせに、偉そうな事言うなよ!!」
あまりにのん気なことを言う美希に堪えかね、ついに真は激昂した。
美希だけでなく、プロデューサーも驚きのあまりたじろいだ。
「美希は―――美希は、悔しいって思わなかったの?
雪歩が力を出し切れなかったのも悔しいけど、あんな――!
ジュピターに、ボクも美希も、あんな無視のされ方をして、悔しくなかったの?」
真は、肩を震わせていた。
今にも、そばにいる何かに手を振り上げそうだった。
「ジュピターよりも、ミキの方がキラキラできるの」
「ボクは真面目に聞いてるんだよ、美希」
「本気でやったら、美希が勝つの」
「適当なこと言うなよ」
「適当じゃないもん」
「じゃあ本気でやってよ」
「―――ヤ」
「何でさ」
少し黙った後、美希が答えた。
「アイドルなんて、別に本気で続けたって面白くないし」
「カモにポテトあげるよりもよっぽど面白いよ」
「ポテトじゃなくてお菓子なの。面白いよ?
真クンも来てね、プロデューサーと待ってるから」
アハッ、と美希が笑った。
真は、美希の態度が信じられなかった。
もはや、この子に何を言っても無駄だ。
126 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:39:05.26 ID:7LnCOhGJ0
「もうたくさんだ!!」
真は怒鳴った。
「今分かったよ、アイドルなんてどうせ美希みたいな子にできるようなことじゃないって!
こんな子のために、雪歩はどれだけ――!!」
「真ちゃん」
ふと、擦れる声が真の怒号を遮った。
真と美希は、雪歩の方を振り向いた。
「いいの、美希ちゃんを責めないで。
私が、勝手に頑張ってただけだから―――お願いですぅ」
雪歩は、うなだれたままさらに頭を下げた。
真は、それ以上何も言えなくなり、片手を腰に当てて大きく息を吐いた。
「美希ちゃん―――来てくれて、ありがとう」
そのままの姿勢で、雪歩はポツリと美希に声をかけた。
顔を上げる事ができないでいる雪歩を見て、美希は少し胸が痛くなった。
これ以上、この場の空気に身を置くのは耐えられない。
美希は、プロデューサーと真に手を振って会場を去っていった。
雪歩は、まだ頭を下げたままだった。
膝の上に置いた手の甲の上に、涙がいくつも落ちていた。
「―――帰りましょう、プロデューサー」
気分を切り替えるように、真がプロデューサーに声をかけた。
「――プロデューサー?」
プロデューサーは、頭を押さえていた。
「あぁ、悪い、大丈夫だ」
「風邪ですか? 頭が痛そうですけど」
「ちょっと前、ドアに頭をぶつけてさ。それかなぁ」
プロデューサーはそう言って笑いながら、雪歩の肩を優しく叩いた。
127 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:41:56.74 ID:7LnCOhGJ0
「家まで送っていかなくて良いのか?」
駐車場の外で、プロデューサーは真に聞いた。
「えぇ、大丈夫です。雪歩を家まで送ってあげて下さい。
ボクん家、雪歩の家とは方向が違いますし」
「そうか。じゃあ、せめて駅まで送るよ」
真を汐留駅まで送った後、プロデューサーの車は足立区にある雪歩の家までの道のりを走り始めた。
「あっ――」
ふと、雪歩が小さく声をあげた。
「どうした?」
「ちょっと、事務所に忘れ物が―――ずっと家に持って帰らなきゃと思ってた急須があって」
「あぁ、そうなんだ。じゃあ事務所に寄ってから帰ろうか」
「い、いえ、そんな、いいですぅ。今日じゃなくても――」
雪歩は慌てて手を振った。
「いいよ、大丈夫。俺も今日はそんな大した予定も無いからさ」
プロデューサーはそう言ってUターンし、行きのルートを戻った。
「でも、真が怒るかもなぁ。
事務所に戻るんだったらボクを家まで送れたじゃないですか! つってさ」
プロデューサーは、そう言って誘い笑いをした。
雪歩は、真に申し訳無いと思う一方で、忍ぶように笑った。
「あっ、疲れてるだろうから、寝てていいぞ」
「いえ、本当に――」
「いいから。あっ、急須の置いてある場所だけ教えてくれ、俺取りにいくから」
どうしても引き下がらないプロデューサーに音を上げて、雪歩は急須の回収をお願いした。
128 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:42:57.75 ID:7LnCOhGJ0
その後の事は、良く覚えていない。
しきりに他愛の無い話題で盛り上げ、プロデューサーが自分の気を逸らそうとしてくれていたのは何となく覚えている。
気づいた時には、雪歩は停車した車の中にいた。
おそらく、事務所の駐車場だろう。
いつの間に着いていたのか。
日はとっぷりと暮れていた。
プロデューサーは、運転席にいなかった。
129 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 01:43:07.95 ID:1jmKxVg5o
何かPに重病フラグが……
130 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:44:10.05 ID:7LnCOhGJ0
事務所に戻ったまま、帰っていないのだろうか。
雪歩は車を出た。
ふと、赤く点滅した光が目に入った。
良く見ると、たるき亭ビルの入り口の前に人だかりができている。
131 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:45:15.55 ID:7LnCOhGJ0
救急車のパトランプが回っている。
聞こえてくるのは、誰かが無線か何かで連絡を取り合う声、野次馬の喧騒。
そして、小鳥の泣き叫ぶ声だった。
何が起きたのか、分からない。
132 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:46:21.53 ID:7LnCOhGJ0
小鳥からの連絡を受け、律子は出張先から直帰する電車を降り、タクシーに飛び乗った。
とても悠長に電車を待っていられるような心境ではなかった。
車は環八通りを南下し、下丸子駅前の交差点を左折した。
「あと10分くらいで着きますよ」
律子が聞くと運転手がそう答えたので、すぐさま小鳥に連絡を入れた。
133 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:48:43.33 ID:7LnCOhGJ0
病院に着いた律子は、受付でプロデューサーが搬送された部屋を尋ねた。
救急処置室、という物々しい名前が、ますます律子を不安にさせた。
部屋の前には、小鳥と高木、雪歩が待っていた。
「何があったんですか? 状況は」
呼吸が整うのを待たずして、律子が皆に問い質した。
「彼が事務所の階段の下で倒れていたのだ。
頭から血を流していた以外にも、腕や脚など複数箇所を骨折しているようだ」
「搬送中も、ずっと意識が戻らなくて――!」
高木と小鳥が状況を説明した。
小鳥の目は、赤く腫れていた。
雪歩は、椅子に座ったままガタガタと体を震わせている。
階段で足を踏み外したのか。
骨折はまだしも、意識が戻らないというのが気になる。
「何分くらい、この部屋に入っているんですか?」
「そろそろ1時間になる。
だが、事故が起きてから見つかるまでの間にも、おそらく1時間近く立っていたのかも知れん」
律子は時計を見た。午後9時半。
134 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:51:24.23 ID:7LnCOhGJ0
「何で、すぐに見つける事ができなかったんですか?」
「―――すまない」
「私は理由を聞いているんです!」
律子は、自分の中にある不安を誰にどうぶつければ良いのか分からなかった。
「止めてください、律子さん! 悪いのは私なんです!
私が、外へ食べに行く時間がもっと早ければ、プロデューサーさんを見つける時間も――!」
小鳥が泣きながら律子の腕を掴んだ。
彼女が第一発見者だったらしい。
なら、彼女にぶつければ良いのか―――?
「律子さん―――私です」
雪歩が突然、呟くように話し始めた。
大人達が、一斉に雪歩の方へ振り向いた。
良く見ると、雪歩は手に小さな急須を抱えていた。
注ぎ口の先端が、割れて欠けている。
「私が、事務所に寄りたいって言ったんです。
この急須、あまり使い勝手良くないから、家にあるものと換えてこようって、ずっと思ってて――
でも、ずっと忘れてて、だから、思い出したら、プロデューサーが取りに行ってくれて――」
雪歩はさらに肩を大きく震わせた。
「階段に、これが落ちてたんです―――取りに行かせたのは、私なんですぅ――!」
「そんなの関係ないわ、雪歩。心配しないで」
号泣する雪歩の肩を掴み、律子は懸命に彼女を励ました。
やがて、部屋の扉が開き、プロデューサーを乗せたストレッチャーが出てきた。
その後ろを、主治医と思われる白髪の男性がついていたので、律子は症状を聞いた。
医者は、プロデューサーが向かうのとは別の部屋へ高木達を案内した。
小鳥と雪歩は、プロデューサーを運ぶ看護師達の後をついていった。
135 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:54:27.79 ID:7LnCOhGJ0
「頭部の外傷は、3針程度縫うだけのもので大した事はありません。
骨折は右腕と右下腿の2箇所。まぁ、三ヶ月はかかるでしょう」
レントゲン写真等を見せながら、医者は簡単にプロデューサーの症状を説明した。
意識が戻らない原因は何なのか。
「簡易な検査しか行っておりませんが、部下の方はおそらく脳梗塞を発症していると考えられます。
いわゆる、若年性脳梗塞というヤツです」
核心に迫った説明を聞いた瞬間、高木達の顔から血の気が引いた。
「初期症状としては、ボーッとしたり何かにつまづいたり、そういうのが多くなります。
階段から落ちたのも、例えばそれによる立ちくらみなどが一つの原因かも知れません」
「この後の症状は、どうなのですか? こ、後遺症は――」
高木がおそるおそる聞いた。
普段は落ち着いた物腰の高木がこれほど取り乱すのは、律子も見た事が無かった。
「現状では何とも言えません。明日以降にMRIを撮り、詳しく診ることになります」
「仮に症状が重いと、どうなるんですか?」
今度は律子が聞いた。
最悪の事態を想定する必要があると考えたのだが、それは律子の想像を超えていた。
「患部にもよりますが、失語、失行、失認などの高次機能障害が起きます。
つまり、うまく喋れなくなったり、自分の思うように体を動かせなくなったり、目や耳、触覚の機能が無くなるなどです。
あとは、意識障害―――情緒が不安定になったり、記憶が無くなるなど、精神に異常をきたすケースもあります」
あくまで、詳しい症状は今後の診断結果を待たないと分からない、と医者は何度も念を押した。
だが、その説明を聞き終わる前に、既に律子は目の前が真っ暗になっていた。
137 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 01:58:08.56 ID:7LnCOhGJ0
「過労から倒れたのだろう、とのことだ」
病室に戻ると、高木は医者から聞いた説明のごく一部をかいつまみ、小鳥達に話した。
しかし、それだけの説明で彼女達が納得できるはずがなかった。
「意識を失った直接の原因って、何ですか?」
「それは今の段階では分からない。もう少し、詳しく検査する必要はあるのだろう」
「本当の事を言ってください。お願いです、社長、律子さん」
小鳥が二人に懇願した。
これ以上、いたずらに不安ばかり膨らむのは耐えられなかった。
「本当に分からないのだ。
少なくとも、今の段階では「こういう可能性もある」としか我々も聞いていない。
結果的に事実と異なる説明をして、キミ達を余計に不安にさせる訳にもいかん」
医者が繰り返したように、くれぐれも今は取り乱さないように、と高木は言った。
しかし、それは到底無茶な相談だろうと、小鳥達だけでなく律子も思った。
突如、病室のドアが勢い良く開いた。
中に入ってきた者を見て、律子達はさらに驚いた。
「美希、何で!?」
美希は、息を切らしながらプロデューサーのそばに近づいてきた。
「小鳥が連絡くれたの。ハニーが――」
美希はかぶりを振った。
「プロデューサーが倒れたって」
「すみません、どうしても皆には伝えなくちゃって――」
「いや、気にすることは無い。
遅かれ早かれ、皆には伝えなければならないことだ。落ち着いて」
頭を下げる小鳥を、高木と律子はなだめた。
「千早さんと真クン、あずさと響、貴音も来るって」
美希が携帯に入ったメールを確認しながら言った。
138 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:01:25.17 ID:7LnCOhGJ0
再び、雪歩の体が震え始めた。
今度の震えは、悲しさからではなく恐怖によるものだった。
自分のせいで、プロデューサーを大変な目に遭わせてしまった。
彼を慕っていたアイドルの皆から、どれほどの非難を浴びせられるかを雪歩は想像した。
「雪歩」
急に美希から声をかけられ、雪歩の体は大きく跳ねた。
「プロデューサーはきっと平気なの。大丈夫、落ち着いて」
そう言って、美希は雪歩の肩に手を添えた。
そうだ、彼女はまだ真実を知らないのだ。
自分のわがままのせいだと知ったら、彼女は何と言って自分を責めるだろうか。
そう考えると、雪歩は何も言うことができなかった。
「ねぇ、そうでしょ? プロデューサー、大丈夫だよね、律子? ――さん」
律子の方へ向き直り、美希は笑顔で問いかけた。
無理に表情を作っていると分かってしまうのが、律子にとっては余計に辛かった。
律子は、何も答えることができず、黙って俯いた。
「何で黙るの? ほらほら、何かこう、ワーッ! ってさ。
湿っぽいのは苦手なの。笑顔笑顔、ねっ?」
「こんな時に、笑っていられる訳ないでしょう!」
雪歩は、そう言って律子に怒鳴られる美希の顔を見た。
彼女の瞳が潤んでいるのを見て、雪歩は美希が不安と悲しみを必死に殺して皆を元気づけようとしていることを理解した。
美希ちゃんに、これ以上無理をさせることはできない。
「律子さん―――社長も、小鳥さんも、一度、外に出ましょう」
恐る恐る、雪歩が律子達に、美希を残して部屋の外へ出るように提案した。
突然の提案に大人達は少し困惑したが、頭を下げる雪歩を無下に扱う事はできず、止む無く了承した。
雪歩は、部屋のドアノブに手をかける前に、チラッと美希の方を見た。
美希は、小さく頷いていた。
139 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:03:19.98 ID:7LnCOhGJ0
雪歩に促され、美希以外の者達は部屋を出た。
皆、部屋の中の張り詰めた空気から解放された気分になったのか、一様に大きくため息をついた。
「少し、一服してくるよ」
高木はそう言って、席を外した。
小鳥も、トイレに行ってきますと言って、高木とは逆方向に歩いていった。
「私も、ちょっと一息入れようかしらね。雪歩、何か飲みたいものある?」
律子は、ロビーの方へ歩きながら雪歩に聞いた。
「いえ、私は何も、いいですぅ」
「そういう事言わないの。お茶でいいわね?」
そう言いながら、律子も雪歩の視界から消えていってしまった。
雪歩は、ふと部屋の中から聞こえてくる声に気がついた。
そっとドアに耳を近づけ、雪歩はおそらく美希のものであろう声に傾注した。
「雪歩が持ってたあのお茶のヤツで、いつも淹れてもらってたんだよね。
お茶だけじゃなくって、ハニー、雪歩の自慢ばかり、してたよね―――」
「今日の雪歩、すごかったの―――
ミキも、ハニーが自慢できるくらい―――雪歩と同じくらい、キラキラになれるかなぁ――?」
「いつまで寝ているの――?
もし、ミキがすっごくキラキラになったら―――その時までには、起きてくれるよね?」
「ねぇ―――何とか、言って――」
最後は、すすり泣く声しか聞こえなかった。
140 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:05:04.61 ID:7LnCOhGJ0
雪歩は、その場から後ずさりしていた。
自分は、何という勘違いをしていたのだろう。
自分が頑張れば、事務所も明るさを取り戻せるとばかり考えていた。
救世主にでもなろうとしたのか?
大事なオーディションで、合格どころか実力を発揮することすらできなかったくせに。
今こうして、自分は事務所の大きな歯車を壊した。
それどころか、戻ってきてほしいと願っていた美希を悲しませている。
しかも、この期に及んで我が身の可愛さのあまり、彼女には真実を伝えてすらいない。
何と愚かな――!!
急須が割れる音が、廊下に響いた。
雪歩は廊下を走りぬけ、病院を飛び出した。
病院の敷地を出たところで、誰かと肩がぶつかった。
「えっ、萩原さん?」
たぶん千早だったのだろう。
だが、ぶつかった相手には目もくれず、雪歩はひたすら逃げるように歩道を走った。
途中、いくつも大きな信号があった。
雪歩はそれでも止まらなかった。
何も聞こえない。
いっそ、誰か自分の体をバラバラに砕いてほしいとさえ思った。
141 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:06:45.53 ID:7LnCOhGJ0
「―――そうか、分かった」
大手芸能事務所、961プロの社長である黒井祟男は、社長室にて受話器を握っていた。
「――素人めいた言葉を吐くな。嫌ならこの事を明るみに出してみるがいい。
その時、貴様らは今の仕事を続けられると思わんことだ」
そう言って、黒井は受話器を置いた。
社長席から腰を上げ、背面の帳壁全面に施されたガラス越しに外のビル郡を見下ろす。
「障害は、より大きくなる前に潰す。
高木―――これで貴様も私の前に現れることはないだろう」
黒井は、765プロの方角に見える小さいビル郡に向い、手をかざした。
卑小なビルが、自分の手の中で潰れる様を想像する。
「仮に、もし万が一、なおも私の前に立ちはだかると言うのなら――
その時は、二度と立ち直ることができないよう、全力で潰してやろう。
誰の目にも明らかな形でな」
薄暗い社長室に、野心家の甲高い笑い声が響いた。
142 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:07:47.80 ID:7LnCOhGJ0
【7】
雪歩が事務所に来なくなって、もう一週間になる。
その夜、真はたるき亭ビルの屋上にいた。
貴音のように月を眺めるなんてガラではないのだが、どこか一人でいたかった。
真の頭の中では、今日高木から皆に発表されたことが、繰り返し再生されていた。
143 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:09:39.73 ID:7LnCOhGJ0
「どうやら、軽度の脳梗塞だったようだ」
高木は、言葉を慎重に選びながら、ゆっくりと皆にプロデューサーの症状を説明していた。
「しばらくは手足に痺れが残るとのことだが、重篤の患者に見られるような精神障害は無い。
今日は、直接彼と話をすることができたが、話し方も落ち着いていて問題は無かった。
幸い、高次機能障害といった類も表れていないようだ。
三ヶ月は骨折の治療のために入院が必要だが、その間点滴を打てば脳梗塞もひとまず落ち着くだろう、とのことだよ」
高木の説明に、皆は一様に大きく息を吐いた。
思っていたよりも軽い症状のようであるというのが、大いに皆を安心させたようだった。
「皆を騒がせてしまったと、彼は寝ながら私に頭を下げていたよ」
「そんな、謝ることなんて――!」
春香は声を荒げた。
あの日、電車が止まっていたために、春香は病院へ向うことができなかった。
千早から当日の様子について連絡を受けるまで、彼女は家でずっと携帯を握り締めていたのだ。
「あぁ、まったくだ――謝るのは私の方だ。
彼に負担をかけさせてしまった」
そう言って深々と頭を下げる男に、アイドルの皆は何も言う事ができなかった。
144 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:11:36.10 ID:7LnCOhGJ0
真は、屋上の手すりをギュッと握り締めた。
プロデューサーが倒れた原因は、一言で言えば過労だろうとのことだった。
律子は、彼が抱えていた業務の処理に追われたが、その量の多さに驚いていた。
なぜ自分に振ってくれなかったのか、とも言っていた。
今は高木が臨時でプロデューサーの仕事を一部代行しているが、あまり要領を得ていない。
しかし、真は彼がただの過労だけで倒れたのではないと思った。
事務所内の不和に心を痛めていたのは、雪歩だけではなかった。
だから、彼は彼なりに雪歩と美希を救い、自分達との仲を取り持とうとしたのだろう。
その時、自分は何を言っていたか?
きっと、美希の悪口を少なからず口にしてしまっていただろう。
雪歩のオーディションの時もそうだ。
せっかくの彼の努力を、蔑ろにしてしまうような事をしてしまった。
そればかりか、プロデューサーが美希に対して邪な意識を持っているのではと疑ってさえいたのだ。
プロデューサーが倒れた原因は過労ではない。心労だ。
傷つけたのは、ボク達だ。
145 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:12:22.35 ID:7LnCOhGJ0
「何泣いてんのよ」
驚いて真が振り返ると、伊織が立っていた。
月明かりに照らされた茶色の長髪を棚引かせ、腕にはウサギのぬいぐるみを抱きかかえている。
「見ないでよ」
慌てて、真は服の裾で涙と鼻水をぬぐおうとした。
「汚いわね、ほら」
伊織はそう言って、ハンカチを取り出して真に差し出した。
ピンク地で花柄のレースがあしらわれた、いかにも高そうなシルクのハンカチだ。
「レディーなら、これくらいの嗜みは持ちなさいよね」
にひひっ、と伊織はイジワルな笑いを浮かべてみせた。
146 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:14:16.18 ID:7LnCOhGJ0
「何で泣いてたか、って聞かないの?」
真は、伊織に聞いた。
「別にいいわ―――何となく分かるし」
伊織は、月明かりに照らされた遠くのビル郡を眺めながら答えた。
「どうせ、何て自分はダメな人間だったんだ、とか思っていたんでしょう?
あんた、自分の事ばっかり考えるものね」
「―――あぁ、本当にね」
真は、手すりにもたれた。
伊織から借りたハンカチをジッと見つめ、折ったり伸ばしたりしている。
「自分では、このままじゃいけない、こうしなきゃって思ってるのに――
それをしないで、一人でイライラして―――馬鹿だよね」
ふふっ、と真は乾いた笑いを浮かべた。
「おまけに美希のことを、ダンスや歌だけじゃなくて、アイツとの事に関しても嫉妬しちゃったりしてね」
伊織がさらに追い討ちをかけたが、真は鼻で笑った。
「それは伊織も一緒だろ」
「何よ」
「何だよ」
二人はしばらくにらめっこをしていたが、やがて声をあげて笑った。
「ボクは、美希に嫉妬していた。
それでひどい事を言ったのをちゃんと謝りたいから、美希に戻ってきてほしい。
すごく―――わがままなのは分かってるけど」
真は顔を上げ、伊織の顔を見た。
「伊織も、美希に戻ってきてほしいよね?」
「――当たり前じゃない」
伊織は、手に持っていたぬいぐるみを抱きしめた。
147 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:15:41.10 ID:7LnCOhGJ0
ある日の早朝、律子は欠伸をしながら事務所の階段を上っていた。
プロデューサーが倒れてからというもの、当然彼女の負担も増えた。
業務を処理する時間を捻出するには、今のところ睡眠時間を削るしかない。
営業をする必要さえ無ければ、ノーメイクで出社できるのに―――。
律子は、最近そう考えるようになってしまっていた。
欠伸をする度、律子の口から白い吐息が漏れ、肩が震える。
冬も本番になり、ますます朝起きるのが辛い。
3階を通過し、最後の踊り場に到達し階上を見上げる。
その時、律子は事務所のドアの前に見慣れぬ少女が立っているのを見つけた。
148 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:17:09.65 ID:7LnCOhGJ0
茶色のショートカットで、身長は自分と同じ――いや、少し高いくらいか。
不思議に思っていると、やがて少女もこちらの存在に気づき、向き直った。
「―――おはようございます、律子さん」
少女は、両手を体の前に置き、丁寧にお辞儀した。
律子は、その声に聞き覚えがあった。
喋り方こそ違うが、どこか間延びした、のん気な声色―――。
律子は、顔を上げた少女の顔をもう一度見た。
その顔は、紛れも無く自分が良く見知ったものだった。
「男の子だったら、こういう時、坊主にしてくるのかな」
美希は、照れくさそうに短く切った茶髪を弄った。
あまりに唐突な出来事に、律子は開いた口が塞がらなかった。
149 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:18:20.33 ID:7LnCOhGJ0
「いつもは、律子さんが事務所の鍵を開けるの?」
美希の問いかけに、律子は部屋の電気と暖房を付けながら答える。
「この前までは、小鳥さんに任せていたんだけどね。
最近は私も色々やる事あるから、小鳥さんより早めに出社することも多いのよ」
律子は、コートを自分の椅子に放り投げた。
「コーヒーいる?」
「いらない」
律子は給湯室に向い、やかんに水を入れ、火にかけた。
「どうしたの、その髪は」
律子は、自分のマグカップを水切りから取り出し、インスタントコーヒーの蓋を開けながら、それとなく聞いた。
150 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:20:06.83 ID:7LnCOhGJ0
「その前に―――聞いて、律子さん」
先ほどより少し低いトーンの声が、律子の後ろから聞こえた。
不思議に思った律子が振り返ると、いつになく真剣な眼差しをした美希が立っている。
そういえば、律子は、先ほどから美希が自分を呼び捨てしていない事に気がついた。
「――ミキ、変わる! 今日――、ううん、今から!!
本気で一番のアイドル、めざしてみる。もう中途半端して、皆をガッカリさせるのヤだから」
「どんなレッスンも、お仕事も、倒れそうになるまで、がんばるから――
だから、今までわがまま言って、ごめんなさい」
美希は、律子に対し深々と頭を下げた。
やかんから甲高い音が鳴っている。
律子は、美希の真っ直ぐな姿勢に目が丸くなり、コーヒーを入れるのも忘れていた。
律子がどのように声を掛けて良いのか迷っていると、玄関のドアが開いた。
「ふぅー、おはようございます。今日も寒いですねぇ――って、あら?」
小鳥は、事務所に入るなり、目の前で頭を下げている見慣れない少女に目を留めた。
美希が自己紹介すると、小鳥はその場で豪快にひっくり返った。
「この髪は、ミキなりのケジメなの。
皆にもごめんなさいしたいから、早めに事務所に来た方が良いかなぁって」
151 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 02:20:14.10 ID:1jmKxVg5o
覚醒美希きたか!
152 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:21:32.84 ID:7LnCOhGJ0
その後、事務所に集まった皆に対し、改めて美希は頭を下げた。
今まで自分勝手な事をして皆を困らせただけでなく、雪歩の前で皆の悪口を言った事も包み隠さず打ち明けた。
それまでのイメージとは違う、あまりにも真摯な彼女の姿勢に、皆は驚きを隠せなかった。
「詫び言を述べるというのなら、むしろ私達の方でしょう」
事務所内に流れる沈黙を破ったのは、貴音だった。
「貴女を孤立させ、苦しめた非は私達にあります。
あまりにも身勝手なお願いですが、どうか今一度、共に高みを目指してもらえないでしょうか」
貴音は美希の前まで歩み寄り、手を差し伸べた。
美希は、満面の笑顔で貴音の手を取った。
それを見て、真も「やーりぃ」と言いながら笑顔で右手の拳骨を突き出した。
美希は、やはり笑顔でパーを突き出して答える。
「――まったく、もうそれでいいよ」
真は、呆れた顔をしながら頭を掻いた。
事務所内に、久々に皆の笑いがこだました。
153 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:23:14.51 ID:7LnCOhGJ0
「でも、雪歩さんは――」
やよいがボソッと残念そうに呟いたことで、皆から再び笑顔が消えてしまった。
「やよい、あんた何も今そんな事言わなくても――」
「はわっ、ご、ごめんなさい伊織ちゃん。わたし――!」
「雪歩の事は知ってるの。
携帯に連絡しても、全然繋がらないから、そうかなって」
美希は、やよいの方へ向き直り、ニコッと笑って見せた。
「でもでも、心配しないで!
雪歩がそうしてくれたみたいに、今度はミキがうんと頑張って、事務所を盛り上げるから!
それで、皆で雪歩を迎えてあげようよ! 心配いらないよって!」
「うっ―――うっうー! そうですね、みんなでがんばりましょー!」
美希の一声に感化され、やよいがその場で両手を思い切り振り上げた。
「盛り上げ役なら、自分だって負けないさー!」
響も、貴音の後ろから目一杯飛び跳ねてアピールしてみせる。
「何をー! 私だって古参メンバーの一人ですよ、一人!」
「ボクの溢れる元気で、ガツーンと皆をリードしちゃおっかなー!」
「やるっきゃないっしょ→! ねー真美ー?」
「んっふっふ~、そろそろ真美の秘められた力を解放する時ですな」
「あんた達だけじゃ頼りないから、私も人肌脱いであげるわよ、にひひっ」
154 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:25:04.93 ID:7LnCOhGJ0
「あらあら、美希ちゃんのおかげですっかり皆に火がついちゃったわねぇ~」
右頬に手を当て、あずさはニコニコしながら皆が盛り上がるのを見つめた。
隣にいる千早も、穏やかに笑っている。
「何だか、美希が戻ってくるのが怖いと言っていた自分が馬鹿みたいです」
そう言う千早の背中を、あずさが笑いながらポンと押した。
突然押され、少し前のめりによろけた千早を、美希は容赦なく迎え入れた。
「千早さん、何してるの! 次、千早さんの番なの!」
「わ、私の番って、何の――」
「決意表明さー! あっ、そういえば貴音もまだ言ってないぞ!」
「私の望みは一つ―――これからもずっと、響の髪をサワサワしたいのです」
「あっ、ミキも久々に響の髪触るのー! ほら、千早さんも!」
「うぎゃあー! 止めろ、撮ってないで助けてぴよ子ぉー!!」
目の前ではしゃぐ皆を見て、律子はこの光景こそが、きっと雪歩が望んだものだろうと思った。
今、ここに彼女がいれば、どんなに喜ぶだろうか。
アイドル達のモチベーションは、心配いらないだろう。
きっと今の彼女達なら自発的に考え、レッスンやオーディションに取り組んでくれる。
私にも、何か出来ることをしなくては―――。
155 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:27:51.69 ID:7LnCOhGJ0
「それからの皆の様子は、どうですか?」
プロデューサーは、病室の窓の外を見つめる高木の背中へ問いかけた。
「何も心配はいらない。
アイドルの皆は意欲的にレッスンを行い、律子君や音無君もそれに応えるように全力でサポートを行ってくれている」
高木は笑った。
「私など、何もすることが無くなってしまったよ」
「キミの方こそ―――どうだね、体の具合は」
高木は、振り返ってベッドのそばにある椅子に座った。
「社長の話を聞いて、今すぐにでも事務所に戻りたくなりました」
プロデューサーは、折れていない左の手を顔の前で握ってみせた。
握りこぶしが、細かく震えている。
「焦らない方が良い。今の君の仕事は、しっかり休む事だ」
高木は、差し入れのリンゴを一つと、そばにあった果物ナイフを手に取った。
「今の私に出来る事は、こんな事くらいかな」
「それで、雪歩は――?」
すみません、と言いながら、プロデューサーは社長に聞いた。
高木は、リンゴの皮を静かに剥いている。
「――近々、律子君が彼女の家に行くそうだ」
「―――そうですか」
彼女にとって、今の事務所に雪歩がいない事がよほど悔しいのだろう。
たぶん、自分でもそうするだろうなと、プロデューサーは思った。
しかし、雪歩がアイドルを続ける意思があるのかどうかは、彼にも分からなかった。
それに、不安は別のところにもある。
156 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:30:21.92 ID:7LnCOhGJ0
本来、これ以上アイドルを続けたくないと言っている者に対し、無理矢理連れ戻すような事を行うのは、決して好ましくない。
美希については、自分の思いだけでなく雪歩の望みもあって行動したが、それも実際はグレーなのだ。
下手をすると、向こうの両親から訴えられないとも限らない。
プロデューサーもその辺りは十分に留意し、以前美希の家へ連絡を取った時も、引き戻したいという旨の言葉は使わなかった。
「事務所を辞めていただく際に必要な書類が揃っていないため、美希さん本人に確認を取りたいのですが、携帯が繋がらなくて――」
美希の姉に事情を説明する時、人を騙しているという後ろめたさをプロデューサーは感じた。
そして、今回は雪歩の家に、律子がどう連絡したのかが気になる。
彼女の生真面目な性格なら、おそらく正直に「雪歩さんに戻っていただきたい」と言うかも知れない。
問題は、それを雪歩が―――そして、彼女の両親がどう受け止めるのかだ。
「家にお邪魔するという事は、話を聞いてもらう事には了承してもらえたんですね」
プロデューサーは、高木に確認をした。
「あぁ、だが―――」
高木の表情が曇った。
プロデューサーも予想はしていたが、どうしても不安は拭い切れない。
157 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:31:53.03 ID:7LnCOhGJ0
「―――まぁ、律子君を信じよう。
さぁ、食べてくれたまえ。音無君ほど上手にできなくてすまないが」
無骨に切り分けたリンゴを、高木はプロデューサーに差し出した。
プロデューサーが、恐縮しながらリンゴに手を伸ばそうとした時、高木の携帯が鳴った。
「―――もしもし、私だ―――あぁ、彼はそばにいるよ、替わろうか」
音無君からだよ、と言って、高木は自分の携帯をプロデューサーに渡した。
「もしもし、どうしたんですか?」
「あ、プロデューサーさん、今からそっちに行っても良いですか?
どうしても、お願いしたいことがあるんです」
「えっ?」
一体何を―――。
いや、もし今の自分にもできる事があるのなら、ぜひ行いたい。
プロデューサーは、小鳥に詳細を尋ねた。
「雪歩ちゃんが立ち直るきっかけになればって思って、美希ちゃん達が動いているんです。
社長もですけど、プロデューサーさんも協力してくれますよね?」
158 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:33:36.86 ID:7LnCOhGJ0
スーツ姿の男性が、血溜まりの中にうつ伏せで倒れている。
その横で、金髪の少女がまっすぐにこちらを見上げている。
少女の顔は真っ黒に塗り潰されており、表情は分からない。
しかし、明らかに階段を上った先―――踊り場にいる自分を睨み上げている。
違う、私じゃない。
とっさにそう言い逃れようとするが、声が出ない。
恐怖のあまり、その場を後ずさりする。
その時、背後にあった手すりが崩れた。
そして、自分は暗闇の中をどこまでも落ちていく―――。
悪夢の映像は、回を重ねるにつれてより鮮明になっていく。
プロデューサーの怪我も。美希の表情も。
雪歩は、もっとこの夢の続きが見たいと思った。
いつか、暗闇の最深部で、自分の体が潰れる日が来るのを。
159 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:34:47.31 ID:7LnCOhGJ0
【8】
「俺は、娘がアイドルになることに初めから反対していた」
雪歩の父は、律子の目を見据えて言った。
「娘が自分を変えたいと思っていたのは知っていた。
だが、今あの子が苦しんでいる事実を、俺は許す事ができない」
律子は、胸が激しく動悸を打つのを感じた。
表情は崩さなかったが、目の前の男からはこちらに対する敵意がありありと伝わってきた。
160 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:36:34.26 ID:7LnCOhGJ0
萩原家は、足立区の静かな住宅街にあった。
インターホンを鳴らすと、黒いスーツに身を包んだ坊主頭の若い男が出てきた。
細身だが、目の鋭い男だった。
名前と用件を告げると、丁寧に中へ案内された。
家は、いかにも伝統的な日本家屋といった印象を受けるものだった。
広い庭園を、ジャージ姿の男達が数名で手入れをしている。
縁側を、坊主の男と律子が歩くと、彼らは手を止めて一斉にこちらに頭を下げた。
律子は、何だかひどく畏れ多い気分になり、常に会釈をしながら歩いた。
長い縁側を抜け、応接間に通された。
畳の上に絨毯が敷かれ、革張りのソファーとやや低いテーブルがその中央に置かれている。
それ以外にも、高級な印象を与える調度品ばかりが部屋の中にあった。
161 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:39:30.53 ID:7LnCOhGJ0
雪歩の父は、背の高い男だった。
年齢は50歳前後のはずだが、そんな年には見えなかった。
肌のつや、身のこなし、そして何よりも引き締まった端正な顔立ちを見ていると、30歳代の前半くらいにも見えた。
雪歩の父の後ろには、それまで律子を案内していた坊主の男がずっとついていた。
用心棒か何かだろうか――?
「765プロの秋月さんと言ったか」
雪歩の父は、ニコリともせずに言った。
静かな低い声だが、迫力に満ちていた。
雪歩の父がゆっくりとソファーに腰を下ろしたのを見て、律子も断りを入れながら向かい側にそっと浅く腰掛けた。
坊主の男は、雪歩の父の後ろに立ち、手を体の前で組んでいた。
「今日は、高木さんも来ると思っていたが」
静かで凄みのある視線が、律子を貫いた。
律子は、緊張を抑えるのに必死だった。
「高木は今、弊社のプロデューサーのお見舞いに行っております」
当初は高木も同伴すると言っていたが、律子の方から断っておいた。
自分が今、かなり危ない橋を渡ろうとしているのは、律子も重々承知していた。
その橋に、ウチの社長まで付き合わせる気は無かった。
162 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:41:25.18 ID:7LnCOhGJ0
フン、と雪歩の父は小さく鼻を鳴らした。
律子は、目の前の男の一挙手一投足から目が離せなかった。
いつ、どんなに危険な一振りが繰り出されるか知れなかった。
その時、入り口の襖がスーッと開いた。
部屋に入ってきたのは、茶器をお盆に乗せた美しい女性だった。
律子は、一目でこの女性が雪歩の母親だと分かった。
まさしく、髪の長い雪歩だと思った。
雪歩の母は穏やかな笑みをたたえながら、丁寧に二人の前にお茶とお茶請けを置いた。
「大したおもてなしができなくてすみませんが、どうかごゆっくり」
雪歩の母はそう言って頭を下げると、静かに部屋を出て行った。
「召し上がりなさい」
雪歩の父に勧められるがまま、律子は目の前のお茶に手を伸ばした。
緊張で手が震え、茶器がカタカタと音を立てる。
普段、亜美達に礼儀作法を躾けている身だが、今日の自分はどれほど行儀良くできているだろうか。
「――け、結構なお手前で」
普通に「おいしいです」と言うつもりが、緊張からか普段全く使わない言葉を言ってしまい、律子はさらに取り乱した。
雪歩の父は、それに意を介する様子も無く、依然として無表情で返した。
「アレの唯一の取り得でな」
163 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:44:26.03 ID:7LnCOhGJ0
「俺はあなた方を憎んでいる」
律子が湯飲みを置いたのを見計らい、雪歩の父が突然切り出した。
律子は、黙って頷いた。
内心は、改めて面と向かって言われたことで、さらに緊張が増していた。
何度も想定していた台詞のはずだと、一生懸命自分に言い聞かせた。
「最初は、娘の友人が半ば強引に765プロへの書類を提出したことがきっかけだという。
今さらその友人を責めるつもりはないが、俺もあの時にもっと強く反対しておくべきだった」
雪歩の父は、ため息をついた。
「大事な娘を俗世に嬲られることがどれほど辛いことか、あなたには分かるまい」
雪歩の父は、前かがみになって脚を大きく開き、膝の上に肘を乗せた。
さらに相手が威圧的な姿勢になったのとは対照的に、律子は改めて背筋を伸ばし姿勢を正した。
「昨日から学校も冬休みに入り、いずれは卒業式も迫ってくる。
出席日数の足りない娘は、これ以上復帰が遅れたら留年もあり得る。
その辺を斟酌もせんで、あなた方は娘にアイドルを続けろと抜かすんじゃねぇだろうな」
「私は、雪歩さんにアイドルを続けてほしいと申している訳ではありません」
律子の言葉に、雪歩の父の眉がピクッと動いた。
律子は唾を飲み込んだ。
相手の神経を逆撫でしてはいけないが、いつまでもペースを握られる訳にもいかない。
164 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:47:16.41 ID:7LnCOhGJ0
「雪歩さんは――」
律子は、膝の上に置いた手を握り締めた。
「―――雪歩は、私達の事務所の現状を憂いていました。
自分が何とかして変えなくてはと、きっと自分にそう言い聞かせ、これまで頑張ってきてくれていたのだと思います」
雪歩の父は、律子の目をしっかりと見据え、黙って話を聞いている。
「アイドルのサポートをすべき私達は、事務所の問題を彼女一人に抱え込ませ、苦しめてしまいました。
私達は、プロデューサー失格です」
律子は、深々と頭を下げた。
「なら、そのプロデューサーとやらを辞めるのか」
雪歩の父は、なおも無表情に問い詰めた。
「あなたのように、ロクに身内を管理できない人間が人の上に立つべきではないだろう。
娘のような子をこれ以上出さないためにも、何か抜本的な対策が行われないことには、娘も浮かばれまい」
「たとえ辞めさせていただくとしても、何もしないまま辞める訳にはまいりません」
律子は、毅然とした態度で言った。
だんだんと、自分の中で肝が据わってくるのを感じた。
「あの子が望んだように、事務所に本当の明るさを――
苦難に恐れず立ち向かう強さを取り戻すことが、私達プロデューサーの使命と考えます。
卑怯な言い草かも知れませんが、それを果たさないまま私達が無責任に辞めてしまうのは、アイドル達のためにならないと思っております」
165 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:49:43.19 ID:7LnCOhGJ0
「政治家みてぇな事を抜かしやがって」
雪歩の父は、鼻を鳴らした。
「なら、あなたは今日ここへ何をしに来たのだ。
娘を連れ戻すでもないのなら、わざわざ自分の決意表明を俺に聞かせにきたのか?」
律子は首を振った。
「あの子に伝えたいことがあったのです」
雪歩の父は、それが何なのかを目で聞いた。
「先ほど、弊社のプロデューサーが入院していると申しましたが――
雪歩は、その原因が自分にあると思い込んでいるのです」
律子は、再度首を振った。
「ですが、それは違います。
過労と心労からプロデューサーは倒れたのですが、あの子には何の責任もありません。
それに、今は彼も意識を回復し、順調に快方へと向かっております」
そう言って、律子は角型2号程度の封筒を一つ、バッグから取り出した。
「この中身をあの子に見てもらえれば、きっとあの子も安心するはずです」
律子は、封筒を雪歩の父に手渡すと、改めて頭を下げた。
雪歩の父は、封筒の中を確認した。
そして、律子の顔を覗き込むように見た。
166 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:51:06.67 ID:7LnCOhGJ0
「―――確かに渡しておく。
確認をするが、あなたは雪歩がアイドルを続けなくとも構わない、それで良いのか?」
「はい。ですが――」
そう言いかけて、律子は笑みを浮かべた。
その笑みが幾分不敵にも思えたため、雪歩の父は眉をしかめた。
「私達には、きっとあの子は事務所に戻ってくるという確信がございます。
私は、今日こちらへお伺いし、お父様とお話をさせていただいた事でそれがより深まりました」
「どういう意味だ」
雪歩の父は、不思議な思いで聞いてきた。
それまでの無表情に、わずかではあるが色がつき始めているように思えた。
「雪歩は、誰よりも真面目にレッスンを続けることができる、人一倍の努力家です。
気弱で悲観的になりがちな自分を変えたいという思いが、そのモチベーションを維持させていたのでしょう」
律子は、小さく頷いた。
自分の考えを整理し、確認する過程の動作だった。
167 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:54:12.44 ID:7LnCOhGJ0
「しかし、時にそれ以上のものを感じさせるほどの頑張りを、あの子は見せていました。
私達が心配になるほど、ずっと遅くまで練習をしたり、見えない努力を重ねてきました」
雪歩の父は頷いた。
「それは知っている」
律子も頷き、続けた。
「そして、ようやく私達は気づきました。
あの子は気弱ではありますが、決して精神はひ弱ではない。
誰よりも根性があり、頑固で芯の強い子であるということを」
「そして今日、その精神はきっと、お父様から引き継がれたものだろうと感じました。
娘を大切に思う頑固な意思が、お父様のお話の節々に感じたのです」
「外見は母親譲りですが、その意思の強さは父親譲り―――違いますでしょうか」
律子は、雪歩の父の目を見た。
少しだけ、目が丸くなっているような気がした。
しばしの沈黙が流れた後、雪歩の父は後ろに立っていた坊主の男を親指で指し、思いついたように語りだした。
「この男は、俺の組の若衆の頭でな」
「ウチの家の世話役もやっている。
若衆の間で決めたことのようだが、こいつとしては俺の用心棒も勤めているつもりらしい。
てめぇのタマなど何とでもなるのに、余計なお世話だ」
そう言った後、雪歩の父は坊主の男――若頭に目配せをし、ソファーからゆっくりと立ち上がった。
すかさず、後ろに立っていた若頭が入り口の襖を開ける。
「見せたいものがある。ついてきなさい」
168 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:56:34.29 ID:7LnCOhGJ0
若頭が先導し、三人は縁側を少し歩き、先ほど通った庭園まで戻った。
「あれは何だと思う」
雪歩の父は、庭園の隅に立っている離れを指差し、律子に尋ねた。
唐突に聞かれたため、律子は何のことやら見当もつかず、首を捻った。
「あれは、組の若衆が娘のために作った、娘専用のレッスン室だ」
雪歩の父がそう語ったので、律子は驚いた表情で彼の顔を見た。
「若衆が、娘は将来絶対に有名になるからと思い、作ったのだそうだ。
無駄に内装を豪華にしやがった事を俺は戒めたが、こいつらは聞く耳持たんでな」
律子は、ふと若頭に目をやった。
若頭は、表情を崩さず、手を前に組んだままゆっくりと頭を下げた。
「娘がトップアイドルを目指すなどという大きな決断を自分でしたのは初めてだった。
娘を小さい頃から知っているこいつらは、俺と違って応援したい気持ちに駆られたのだろう。
まったく俗な奴らだ」
「若衆が勝手にやった事だから、親馬鹿とは言わんだろう」
雪歩の父は、律子に同意を求めるように言った。
しかし、律子は首を振った。
「お弟子さん達が行っている事を黙認した時点で、それも親馬鹿に当たるのではないでしょうか」
律子は、どこか誇らしげに笑いながら続けた。
「今後、雪歩はあの部屋をますます使うようになると思いますよ、喜んでね」
169 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 02:58:28.13 ID:7LnCOhGJ0
雪歩の父は、鼻を鳴らした。
今度は、笑みが混じっているように思えた。
「確かに、あなたの言う通り、子供というのは親の思うように育たないのが常のようだな」
そう言った後、雪歩の父は表情を改めて続けた。
「俺は、娘にアイドルを続けさせるようなことはしたくない。
だが、娘がそれを望むというのなら、その限りではない」
「俺の話は以上だ。帰ってくれ」
「―――ありがとうございます」
律子は、丁寧に頭を下げた。
雪歩の父は、若頭に目配せをし、玄関とは違う方向へ去っていった。
「良い話を聞かせていただきました」
若頭は、律子を玄関まで見送った後、最後にそう言って深々と頭を下げた。
律子もまた頭を下げ、萩原家を後にした。
170 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:00:19.14 ID:7LnCOhGJ0
プロデューサーが、血溜まりの中にうつ伏せで倒れている。
その横で、美希がまっすぐにこちらを見上げている。
美希の顔には少し影がかかっており、表情は分からない。
しかし、明らかに階段を上った先―――踊り場にいる自分を睨み上げている。
違う、私じゃない。
とっさにそう言い逃れようとするが、声が出ない。
恐怖のあまり、その場を後ずさりする。
その時、背後にあった手すりが崩れた。
そして、自分は暗闇の中をどこまでも落ちていく。
暗闇の中で聞こえるのは、事務所の皆の悲鳴、慟哭、怒号―――。
あぁ、ようやく終わるんだ―――。
そう思った瞬間、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。
――雪歩―――ねぇ、雪歩、今日は何の日か覚えてる――?
171 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:01:58.69 ID:7LnCOhGJ0
「―――雪歩――――雪歩、開けてもらえる?」
母が呼ぶ声がして、雪歩は目を覚ました。
部屋のドアを、コンコンと叩く音も聞こえる。
日は沈んでいた。
雪歩は、ゆっくりと起き上がり、部屋の扉を開けた。
「今日は、お客様がいらしていたわよ」
「お客さん?」
雪歩は、まさかと思った。
「これをあなたに、って」
雪歩の母は、そう言って一つの封筒を雪歩に差し出した。
雪歩は封筒を受け取り、不思議そうに中を覗いてみる。
「良いお友達を持ったわね」
雪歩の母は、ニコッと微笑みながら部屋を後にした。
雪歩は、恐る恐る封筒の中身を取り出した。
中に入っていたのは、手紙と一枚の色紙、そしてCDだった。
雪歩は、かわいらしい丸文字で書かれた手紙と、色とりどりのペンで書かれた色紙を手に取った。
172 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:04:15.14 ID:7LnCOhGJ0
雪歩へ
元気? ミキは元気だよ!
あまりこういうことは書くなって律子さんには言われてるんだけど、やっぱり書くね。
やっぱり、ミキ的には雪歩には765プロにもどってきてほしいの。
だって、雪歩のおかげで、ミキももう一度頑張ろうって思えたんだもん。
絶対に、雪歩と一緒にステージに立って、いっしょに歌、うたいたいって思うな。
このまま、ずっと会えなくなるなんて、ヤ!
だから、帰ってきてね、おねがいします。 m(_ _)mペコリ
それに、雪歩にもひどいこと言って本当にごめんなさい。
それでね、実は曲も決めてあるの。
今度フェスがあって、律子さんとハニーが今ユニットを組んでるんだけど、
うたう曲だけは、これだ! ってことで、みんなでね。
CD送るから聞いてね。
ふりつけも決まったらビデオにとって送るの。絶対練習してね、ていうかしようね!
あと、よせ書きもみんなで書いたから見てね! 小鳥が雪歩の似顔絵書いたんだよ?
あとあと、この手紙を読んだら、携帯の電源を入れてね!
ぜーったい見てほしいのがあるから! じゃあねー☆
☆MIKI☆
173 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:06:46.56 ID:7LnCOhGJ0
☆ MERRY CHRISTMAS & HAPPY BIRTHDAY !! ☆
雪歩の頑張り屋さんっぷりは本当にすごいと思います。
今度ケーキ持って行くね! 題字書いたのは天海春香です! のヮの ←はるるん
あんたがいないと、上手にお茶淹れられる人がいなくて困るのよ。
皆も困ってるんだから、早く帰ってきなさいよね。 Iori Minase
給湯室やソファー周辺のスペースが寂しいです。
無理しなくても良いけれど、元気な姿を見せてくれないかしら~。
って伊織ちゃんも言ってましたよ。体には気をつけてね。 三浦 あずさ
萩原さんは私の目標です。一緒に歌える日が来るのを待っています。 如月千早
スーパーのペットボトルのお茶だと、みんなあんまりよろこんで飲んでくれないです。
ぜひ、おいしいお茶のいれ方を教えてください! やよい ζ*'ヮ')ζ←やよいっち
何でも一人でかかえこもうとしないで。ボク達がいるよ! 真
あなたに負担をかけてしまい、本当にごめんなさい。
こっちは心配ないから、あなたも自分のタイミングで顔を出してきてくれると嬉しいです。
お願いします。 秋月
ゆきぴょんがいなきゃ、亜美は一体だれにイタズラすればよいと言うのだ!!
早く帰ってこないと、ひびきんがゆきぴょんの代わりにエジキになるZE→! 真美♪
たんじょう日おめでとうなの! ☆MIKI☆
雪歩がいないとすっごくさみしいぞー! 早く帰ってきてくれー!!
あと亜美達が自分ばっかりイジってくるさー! ガナハヒビキ
貴女の誰よりも強い心は、皆が尊敬しています。
いつか必ず帰ってきてくれる日が来ることを願っております。 四条 貴音
174 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:08:14.47 ID:7LnCOhGJ0
我ながら上手に描けたのでは、って思います。
もちろん、ホンモノの可愛さには到底及びませんけども! 音無 小鳥 <ピヨ
自分が何をしたいのか、という気持ちを常に大事にしてほしい。
だが、今までの努力が君を裏切ることは決して無い。
我が765プロは、いつでも君の帰りを待っているぞ! 高木 順二朗
早 く雪 歩のプロデユースがで きるよう に、お れもがん ばる よ。
おれ の心配 はしな いでくれ 。あ と、お前 に は皆 がい るぞ 。P
ヘタクソ な 字で ごめ ん。
..:.:.´:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:>--.、
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ハ:.V::::|:.:/V==、\\:.:.:. __\\:.:.';:.:.:.:、:.:j:.:.:.:..'
{ハ{:::::V〃ん)ミ \{ z==ミ、\}:、:.:|∨:.:|:.:j
八:::小 V;/} んハヽ V∨/:.:./:.: <なんくるないさ→!
/:.:从∧ V;/ソノ/:.:.:.:.:.:./:!:.:
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j ̄/\ ヽ;.ハ:::/{ / 、 ィ/:.:./:./^ト、
〈 / /⌒ヽ八V ', V / ーr‐ /:/"´ | \
} ′/ /⌒7j八 ',ハ ∧ l ,イ r‐、 | 、
. \ ′ \ い |0∨、 / ノ-く ̄}ノ .
<≧= 、 人 V⌒ヾ、 0 V∨ノ⌒ヽ } jリ ヽ By PIYO
175 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:10:28.32 ID:7LnCOhGJ0
一通り読み終わった頃、雪歩の携帯が鳴った。
最近はずっと切っていた携帯の電源を、美希の手紙を読んだ後、入れておいたのだ。
着信音を聞くのがあまりに久しぶりだったため、雪歩は飛び上がるほど驚いた。
「あっ、やっと繋がったの!」
「も、もしもし――?」
「雪歩! いいから窓の外を見て!
えっとね、右の方! じゃなくて、川の方! 早くするの!」
何が何だか分からないまま、雪歩は携帯を構えながら、ベランダに出て荒川の方を見た。
「いい? デコちゃん、点火お願いしますなの!」
デコちゃん言うな、という伊織の声が電話口からかすかに聞こえた。
そして、次の瞬間、雪歩の目に飛び込んできたのは、夜空に咲いた満開の打ち上げ花火だった。
176 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:12:27.58 ID:7LnCOhGJ0
「せぇーの」
「 ゆ き ほ 、 誕 生 日 お め で と ー ー ! ! ! ! 」
「まさか、この花火って私のために――」
「デコちゃんちが用意してくれたの!」
「今度フェスですよ、フェス!」「ボク達と一緒にガツーンとやろうよ!」「うっうー!」「ゆきぴょーん!」「なんくるないさー!」
電話口から、皆の明るい声が次々に聞こえてくる。
懐かしさと嬉しさで、雪歩は涙で顔がぐしゃぐしゃになり、まともに喋ることができなかった。
「というわけで、皆もハニーも元気にしてるの!
だから、雪歩はなんにも心配しなくていいんだよ!」
雪歩は、その場にうずくまりながら、何度も頷いた。
真冬の澄んだ夜空に、たくさんの花火が咲きほこり、雪歩の誕生日をいつまでも祝福した。
雪歩にとっては、あまりに眩しすぎて直視することが難しかった。
しかし、それでも自分はこの花火をしっかりと見なくてはと雪歩は思った。
こんなに、皆が自分のことを待ってくれているなんて、思わなかった。
なんてありがたいんだろう。
「ありがとう、ございますぅ―――!」
やっとの思いで、雪歩はそう口にすることができた。
177 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:15:50.31 ID:7LnCOhGJ0
【9】
「無難に『オーバーマスター』で行くのも捨てがたいがな」
病室のベッドの上で、プロデューサーは腕組みをしながら言った。
「新曲か―――本人達が望んでいるのなら、それで勝負しよう」
律子は大きく頷いた。
961プロから、フェスを共催で行おうという提案が765プロへなされたのは、12月の上旬頃である。
あまりに突然の事だったため、律子はこれを黒井社長の罠ではないかと疑った。
しかし、逆に765プロを世に知らしめるチャンスとも言えたため、皆と相談し、参加することを決めたのだ。
本番まで1ヶ月を切った今日、律子はプロデューサーの病室にて、彼と一緒にフェスでの戦略を練っていた。
当日のタイムスケジュールの関係もあり、全部で5曲のセットリストを組むことは決めている。
「雪歩は、例の専用のレッスンルームで練習してるんだっけか。
調子はどうなんだろうな」
布団の上に並べたメモを眺めながら、プロデューサーは呟いた。
「心配はいらないと思います。
私もあれから何度か様子を見に行っていますが、元気そうにしていますよ。
学校にも復帰したようです」
休学した分の出席日数を確保していく一方で、雪歩はフェスに向けた自主練も欠かさず行っているらしい。
律子からその旨を聞いて、プロデューサーは心の底から安堵した。
セットリストは、これで行こう。
178 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:19:06.92 ID:7LnCOhGJ0
フェスの戦略が概ね固まったところで、プロデューサーは律子に事務所の近況を聞いた。
「前にも言いましたけど、本当に皆変わりましたよ。
特に美希なんて、実は今までと違う子なんじゃないかって思うくらい」
律子は肩をすくめた。
復帰してからの美希は、まるで人が変わったようだった。
誰よりもレッスンに打ち込むだけでなく、春香ややよい、真など、他の皆に対してハッキリとしたダメ出しを行うようになった。
当初は、それによるメンバー間での衝突も少なからずあったが、それでも美希は遠慮しなかった。
やがて、美希のように、他の皆も自分の考えを素直に打ち明けるようになった。
白熱するあまり、アイドルとしての活動方針にまで議論が発展するほど、各々が自身の持つ課題を真剣に考えるようになっていった。
美希は、いまや765プロの中心的な人物となっていた。
「オーディションも、ジュピターが出ないものにはまず負けないようになりましたし」
「あぁ。皆、最近はテレビやラジオにも出るようになったと感じている」
プロデューサーは、テレビのリモコンに手を伸ばし、スイッチを押した。
春香が、バラエティ番組で共演者と楽しそうに話している映像が流れる。
「―――これで喜んでちゃいけないよな」
「当たり前です」
「フェスの本番までには、たぶん俺も退院できると思う。世話をかけたな」
「私は何もやっていません。
美希に引っ張られるあの子達の後ろをついて行き、背中を少し押していただけです」
「そんな事無いよ」
プロデューサーは、窓の外に目をやった。
「雪歩の復帰するステージを、最高の形で整えてやらないとな」
プロデューサーの言葉に、律子は力強く頷いた。
179 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:21:07.16 ID:7LnCOhGJ0
「そっか、じゃあ今度一緒にレッスンできるのは来週になっちゃうなー」
響はそう言いながら、公園の池にお菓子を放り投げた。
「あ、響。カモ先生にお菓子あげる時は、もっと優しくしなきゃダメなの」
「うっ――ご、ごめん」
美希が響に注意するのを、貴音は横目で見ながら、ふふっと笑った。
「あっ、そうだ。雪歩は最近どうだって?」
響が、そっとお菓子を池に投げながら、美希に聞いた。
「送ったDVD見ながら、自力で練習してるって。
本番直前のちょっとだけしか合流できないけど、大丈夫! 雪歩は絶対サボらないの!」
「むしろ、雪歩に追い抜かれないよう、私達も気をつけねばなりませんね」
貴音の言葉に、響は少し大げさに驚いた。
「私は、冗談のつもりで申した訳ではありませんよ、響」
「わ、分かってるよ貴音。
自分だって、雪歩に負けないように頑張らなきゃって思ってるさー」
響は、お菓子を1つ手にとって口に放った。
「しかし、カモ先生が私達三人の共通の知人であったとは、思いもよりませんでした」
貴音が、改めて感心するように言いながら、池の中にいるカルガモを眺めた。
美希と響も、黙って頷きなたら、同じように池を眺める。
先日、三人でこの公園を訪れた際、子連れのカルガモが池を泳いでいるのが見えた。
今日池にいるカルガモとは別の”カモ先生”だが、響と貴音は一目見た瞬間に「あっ」と叫んだのだ。
180 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:23:20.25 ID:7LnCOhGJ0
「―――あの時は、申し訳ありませんでした」
ふと、貴音が美希に向き直り、頭を下げた。
「えっ? い、いきなり何なの?」
意味が分からずにうろたえる美希も珍しい、と響は思った。
「あの日、レッスンに遅れた貴女に、私は辛辣な言葉をぶつけてしまいました」
「あぁ―――しょうがないよ、だってミキがそうされたらミキも怒るもん」
美希は、ふっと空を見上げた。
真冬の雲ひとつ無い青空が、スゥッと目に飛び込んでくる。
「何となく、あの時のミキ、孤独感があって――
寂しさを紛らわしたくて、カモ先生に会いに行って―――
だから、余計に孤立しちゃったんだよね。今思うと、バカみたいなの」
「そ、そんな事ないさー!
孤独にさせちゃったのは自分達だし、美希は何も悪くないんだぞ!」
慌てて響が美希を慰める。
こういう湿っぽい雰囲気になるのは、響はどうしても我慢できない。
「アハッ! 急に空気変わって焦っちゃう響もかわいいのー!」
隙ありと言わんばかりに、突然美希が響を抱きしめた。
身長差のある響は、急に強い力で拘束されて身動きが取れなくなっている。
「な、何するさー! こら、止めろー!」
響のわめき声など無視して、美希はひたすら響の額にほおずりしてみせた。
響は何だか無性に恥ずかしくなり、さらに大きな声を上げてもがいている。
貴音は、響の助けを求める声には耳を貸さず、後ろから響の髪を撫でている。
公園の橋の上で、しばらくじゃれ合いが続いた。
181 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:26:39.57 ID:7LnCOhGJ0
「だから、今日が卒業式なの」
急に、美希が響を放した。
「えっ―――卒業式?」
響が、不思議そうに首を傾げた。
貴音は、まだ響の髪を撫でている。
「ミキにとっての、カモ先生からの卒業式」
アハッ、と笑って、美希は池のカルガモに向き直った。
「ボーッとしてたくないって、自分の気持ち、分かったから―――
浮かんでるだけじゃなくて、もっと足をバタバタさせて、前に進みたいって思ったから。
カモ先生から教わる事、無くなっちゃったの。だから――!」
突然、美希は高欄の上に、ピョンと飛び乗った。
「カモ先生ー! 今までお世話になりましたー!!
また来るから、その時は一緒にボーッとしようねー!!」
「別に先生はボーッとしてる訳じゃ―――って、結局ボーッとするんじゃん!」
響がすかさず突っ込みを入れた。
「ていうか、貴音もいつまでも自分の髪いじるの止めろってば!」
「なんと!」
「なんとじゃないさー!!」
カルガモが、「クワッ」と鳴いた。
三人は、カルガモに再度一礼して、公園を去った。
182 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:28:40.91 ID:7LnCOhGJ0
本番を二週間後に控えた日の夜、ジュピターの北斗と翔太は961プロの社長室を訪れていた。
「仕上がりは順調か」
黒井は、二人には目をくれず、デスクの上に置いたオセロを一枚ずつめくっていた。
「何しにきた」
「オーディションスタッフの関係者に聞きました」
北斗が、真剣な面持ちで黒井に迫った。
「あのオーディションで、急にシューズチェックを行ったのは、社長の差し金だったんですね」
「差し金とは―――人聞きの悪い事を」
黒井は、オセロの手を止めた。
「実際に悪い事したんじゃないのかよ。
あの萩原雪歩さんの靴紐が切れたのって、スタッフさんの仕業だよね?」
翔太が、より語気を強めて黒井に問い質した。
黒井は、鼻で笑った。
「仮にそうだとして、それがどうだと言うのだ。
今、こうしてお前達が安穏とトップアイドルの道を歩んでいられるのは、私のおかげなのだぞ。
それが事実であるとするならば、な」
「彼女の靴紐が切れなかったら、俺達は負けていたと?」
北斗の顔が険しくなった。
「なめるなよ。そんな姑息な手を使ってまで勝ちたいだなんて、俺達は決して思わない。
冬馬は特にな」
183 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:30:44.57 ID:7LnCOhGJ0
「冬馬は知っているのか?」
「たぶん知らないよ。知ってたら、この事務所辞めてると思うし」
翔太の言葉に、黒井の肩がピクッと動いた。
「冬馬君、曲がった事が大嫌いだもん。
ちなみにさ、今度のフェスでも妙なマネなんて、まさかしないよね?」
翔太の顔が急に厳しくなった。
およそ14歳とは思えない貫禄に、黒井は少し驚いた。
「妙なマネ? ―――さぁな。
突然機材が壊れたり、時間が変更になったりなどといったトラブルはフェスにはつきものだ」
「ふざけるな!」
北斗は激昂した。
「もしそんな事をしてみろ。
俺達が今まで調べ上げたあんたの悪事の数々を暴露して、俺達もこの事務所を辞めてやる」
北斗の言葉に、黒井は「ほう」と感心するような声を漏らした。
「オーナーの信頼も得られない分際で、生意気を言う―――
良いだろう。そこまで言うのなら、結果を出して見せるがいい。
できなかった時は、貴様らをクビにする」
黒井の言葉に、北斗と翔太は何も言わず、静かに振り返って社長室を後にした。
黒井は、フンッと鼻を鳴らし、再びオセロに手を伸ばした。
184 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:32:46.18 ID:7LnCOhGJ0
「いち、にぃ、さん―――――!」
組の若衆が作ってくれた自分専用のレッスン室で、雪歩は今日も汗を流していた。
仕上がりは悪くない。
皆で歌う曲は、これから行われる合同練習で最終調整をしていけば良い。
律子や高木と相談し、雪歩は学校を卒業するのに必要な出席日数を確保する間、アイドル活動を休止することとなった。
大学への進学は、事務所に入った当初は考えていたが、今は全く考えていなかった。
自分のやりたい事は、これしかない。
フェスの本番は、卒業式の当日だった。
おそらく、自分には高校卒業の余韻に浸っている暇など無いのだろう。
そう考えると、雪歩は少し残念に思った。
もう一度、伊織が送ってくれたポータブルDVDプレイヤーで、皆のダンスを見直す。
自分の位置を再確認すると、雪歩はもう一度通しで踊った。
あの位置にはあずささんが――。
そして、この位置で自分はやよいちゃんとすれ違う―――。
雪歩の視界には、765プロ皆の動きが鮮明に映し出されていた。
律子に見せてもらったセットリストを見ると、自分の出番は後半らしい。
「あなたのために皆で会場を温めるから、信じて出番を待っていなさい」
律子のその一言が嬉しくて、ここ最近は時間を忘れて練習に打ち込んでいる。
185 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:34:51.10 ID:7LnCOhGJ0
ふと時計を見ると、夜の11時を回っていた。
雪歩は、慌てて片づけを行い、レッスン室を出た。
「あっ――」
部屋を出た瞬間、組の若頭の背中が目に飛び込んできた。
雪歩が部屋にいる間、若頭は部屋の外で、直立不動で番をしていたのだ。
「す、すみません、若さん」
雪歩は、若頭に頭を下げた。
「でも、そこまでしてくれなくても良いですぅ」
雪歩の言葉に、若頭はそのままの姿勢で、黙って頭を下げた。
雪歩は、さらに恐縮しながら頭を下げ、その場を後にしようとした。
「お嬢」
急に、若頭が後ろから雪歩を呼び止めた。
寡黙な男の唐突な呼びかけにビックリして、雪歩が振り返る。
「親父殿から、フェスのチケットをいただきました。
当日は、我々萩原組若衆一同、全身全霊をかけてお嬢の応援をさせていただきます」
そう言って、若頭は前に組んでいた手を体の横に置き、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、若さん」
雪歩は、静かに頷いた。
186 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:37:23.07 ID:7LnCOhGJ0
「うっうー! 小鳥さんお茶ですー!」
二人だけが残った夜中の事務所に、やよいの元気な声が響いた。
デスクにお茶を置いた後、小鳥が礼を言うよりも早く、やよいはパタパタと給湯室回りの掃除に向かった。
「やよいちゃん、お茶を淹れるのが上手になったわねぇ」
小鳥が美味しそうにお茶をすすりながら、やよいに声をかけた。
「この前、雪歩さんに教えてもらえたからかなーって!」
ガチャガチャと洗い物をしながら、やよいがそれに答える。
「まぁ、雪歩ちゃんの家に行ってきたの。元気そうにしてた?」
「はい! 雪歩さん、ちょっとだけいっしょに練習しましたけど、すーっごく上手でした!」
手を止めて、給湯室からヒョコッと顔を出してやよいは嬉しそうに言った。
「今度のフェスで、雪歩さんのサプライズソロがあるから、楽しみですー!」
台所用スポンジを握りしめ、やよいは両手を上に振り上げた。
勢い余って床がスポンジの水で濡れてしまったため、やよいは慌てて雑巾を取り出した。
「きっとお客さんも喜んでくれるでしょうね。
休止してしばらく経つのに、今も雪歩ちゃん宛てのファンレターが届いているもの」
ふふっ、と笑いながら、小鳥は席を立ち上がって窓側に置かれた段ボールを覗いてみる。
「えー、本当ですか―!?」
雑巾を急いで洗面台にかけた後、やよいは小鳥の方へと走り寄った。
「見せてください!」
187 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:40:59.65 ID:7LnCOhGJ0
「雪歩さんの本当に、け―――けんき、な――?」
「“けなげ”な、ね」
「あ、はい! えーと、健気な姿勢には、すごくいやされます。
私の父も、か、かいご、よく―――?」
「“ひごよく”って読むのよ」
「へぇー、“庇護欲”ってそう読むんですかー!」
雪歩のファンレターを、やよいは自分の事のようにニコニコしながら一枚一枚手に取った。
小鳥は、何も言わずにやよいの隣に座り、段ボールの前ではしゃぐ彼女を見ていた。
「美希さんのファンレターの多さもすごいけど、雪歩さんもすごいですー」
一通り読み終わった後、やよいは改めて感嘆の声を上げた。
「私も、皆さんみたいに立派な人になりたいなー」
「やよいちゃんは十分立派よ。
ファンレターだって皆に負けないくらい多いし、何より事務所の雑務を嫌な顔一つしないでやってくれているじゃない。
今の事務所があるのは、やよいちゃんのおかげなのよ」
小鳥が、やよいの頭を撫でた。
「今日はもう遅いから、残りの洗い物とかは私に任せて、早く帰りなさい。
長介君達も、お姉ちゃんの帰りを待っているんでしょう?」
「うっうー! 小鳥さん、ありがとうございますー!」
やよいはその場に立ち上がり、勢い良くお辞儀すると、パタパタと更衣室に走った。
小鳥は、その後ろ姿を笑顔で見つめると、給湯室の洗い場へと向かった。
「―――あっ、小鳥さん、それじゃダメです!」
帰り際、給湯室を覗いたやよいが突然小鳥を叱った。
「律子さんのコップは、もっと手前の取りやすい位置に置いてください。
それに、お皿の油汚れを洗った後に皆のコップを洗うと、臭いがついちゃいます。
特に伊織ちゃんはそういうの厳しいから、メッ! ですよー!」
結局、やよいに細かく指示を受けながら、小鳥はその日の洗い物を終えた。
188 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:42:44.73 ID:7LnCOhGJ0
【10】
プロデューサーが、血溜まりの中にうつ伏せで倒れている。
その横で、美希がまっすぐにこちらを見上げている。
美希の顔は、無表情だった。
その真意は、この位置からではハッキリとは分からない。
雪歩は、階段を一段一段下りた。
目は、美希の視線から逸らさなかった。
二人の距離が、徐々に近づく。
美希も、雪歩も、お互いの目をしっかりと見ていた。
そして、いよいよ最後の一段を下り、雪歩は美希の目の前に立った。
一瞬、美希の目が少し穏やかになったような気がした。
雪歩は頭を下げた。
「ごめんなさい―――プロデューサー、美希ちゃん」
元々、返事は求めていなかった。
だが、何も美希が言って来ないので、雪歩は顔を上げた。
いつの間にか、美希もプロデューサーも、自分が下りてきた階段も無くなっていた。
自分の周囲が真っ暗闇となり、雪歩は途方にくれた。
189 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:44:02.25 ID:7LnCOhGJ0
――雪歩―――!!
突然、自分を呼ぶ声が聞こえ、雪歩は振り返った。
見ると、遠くで何かが光っている。
――何してるの、早く――! ステージが始まっちゃうよ――!!
あぁ、そういえば随分と皆を待たせてしまっていた。
皆に償うために、あれだけ練習を重ねてきたのだ。
雪歩の体を、別の光が包み込む。
ステージ衣装を身にまとい、雪歩は遠くの光へ向かって走り出した―――。
190 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:44:41.01 ID:7LnCOhGJ0
光が眩しい――そう思った時、雪歩は自室で目を覚ました。
まだ夜が明ける前だった。
自分が見たかった夢の続きは、今日見られるはずだ。
雪歩は、身支度を整え始めた。
外は、雨風が吹き荒れる大嵐だった。
191 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:47:54.26 ID:7LnCOhGJ0
「中止はしない。今日、正々堂々と貴様らを潰す」
高木は、電話口で黒井がそう言うのを聞いて、笑った。
「何がおかしい」
「いいや―――お前も相変わらず元気そうで何よりだ」
「この私を前に、いつまでも余裕に構えていられると思うなよ、高木」
黒井は得意気に語りだした。
「この天候は、我々961にとって大いに追い風だ。
我が961プロと貴様ら765プロのステージは、使用している機材もステージの造りも同じ仕様なのだからな。
他のステージと違い一級品で揃えているから、こんな天候ではビクともせん。
逆に、他のステージは満足に機材の調子を整えることすらままならんだろう。
つまり、目当てのステージを失った客は我々に流れてくる」
電話口から、黒井の笑い声が聞こえてきた。
「分かるか、高木?
このフェスは、名実共に961と765の一騎打ちとなったのだ。
あの小僧共が望んだように、同じ条件で戦い、そして勝つ――!
765など、所詮は取るに足らん弱小事務所だという事を世間に知らしめてやる!!」
「いや、私達は負けないよ、黒井」
高木は、表情を崩さなかった。
「あいにく道を違えてしまった我々だが――
フェスが終わる頃には、お前にも私の考えを認めてもらえると信じている」
黒井がひとしきり悪態をついて電話を切るのを待って、高木も静かに受話器を置いた。
事務所の社長室は、まるで今日の嵐が嘘であるかのように静かだった。
192 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:50:39.90 ID:7LnCOhGJ0
今日のフェスが予定通り行われるということを高木から聞き、プロデューサーは改めて律子が作成した資料に目を通した。
会場となる公園内には4つのステージが設けられ、765と961が出演するステージは中央に近接して配置されている。
タイムテーブルも、それぞれのステージのトリを765とジュピターが同時に飾るようになっている。
間違いなく、黒井の狙いによるものだろう。
「今日は、背広で出社したんですね」
プロデューサーのデスクにコーヒーを置きながら、小鳥が何気なく聞いてきた。
骨折は治ったものの、まだ手足に若干の痺れがある。
そのため、退院して職場に復帰してからのプロデューサーは、これまで比較的ラフな服装で出社していた。
「大一番ですから、俺も気合入れないと。
ワイシャツのボタンを締めるのに、10分以上かかりましたけどね」
プロデューサーは、笑いながら小鳥に返した。
「そんな顔しないで下さい。直に治りますよ、これくらい」
そう言って、プロデューサーは礼を言いながら両手でコップを持ち、コーヒーを旨そうにすすった。
小鳥は、プロデューサーの言う事を素直に信じることができなかった。
193 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:52:17.57 ID:7LnCOhGJ0
「プロデューサー。今日のタイムスケジュールと会場の配置図は頭に入りました?」
事務所内を忙しなく歩きながら、律子がプロデューサーに聞いてきた。
「あぁ、覚えたよ」
「じゃあさっさと移動しましょう。病み上がりだからって、今日は甘えは許しませんからね」
「おう」
プロデューサーはデスクの引き出しを開け、車の鍵を取り出そうとした。
しかし、いつもの場所を探しても、鍵がどこにも見当たらない。
「そこにはもう無いですよ、私が没収してますから」
プロデューサーがふと律子の方を向くと、律子がプロデューサーの車の鍵を片手でカチャカチャと見せびらかした。
「脳梗塞をやっちゃった人が運転する車なんて、乗りたくありませんからね」
律子が見せた意地悪な笑いに、プロデューサーは苦笑いで返した。
194 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:53:49.78 ID:7LnCOhGJ0
真の通う高校は、先日既に卒業式を終えたらしい。
伊織と美希は、どちらも中学校の卒業式をほぼ1週間後に控えている。
「こんな大嵐に、高校で卒業式やって、その日の夕方にフェスやるってさ――」
プロデューサーが、助手席から車の外を眺めながら、独り言のように呟いた。
「雪歩としては、きっとすごく思い出に残る日になるんだろうな――
良い思い出、残してやりたいな」
律子は、プロデューサーの呟きに黙って頷いた。
「――音楽、かけても良いか?」
プロデューサーがそう言うので、律子はオーディオを操作して今日使用する曲をかけた。
だが、外の雨風の音が激しいので、いまいち良く聞こえない。
「―――絶好のライブ日和だ。頑張ろう」
プロデューサーは、カーオーディオを切った。
195 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:57:24.63 ID:7LnCOhGJ0
「はいはい皆集合ー! 集合写真撮るから並んでー!」
卒業式が終わり、教室の中で女子生徒の一人が号令をかけた。
「雪歩が、用事があってすぐに帰らないといけないから、早く撮るよー!」
「み、皆ごめんね。私の勝手なのに――」
「いいって雪歩ちゃん。皆で卒業できたんだし、今日は大事なライブの日なんでしょう?」
恐縮そうに頭を下げる雪歩の回りを、他の生徒が取り囲んだ。
「はいはい、雪歩は真ん中! 他ももっと寄ってー、写んないよー!
じゃあタイマースタート!」
集合写真を撮った後、雪歩は皆にお礼を言って今日のフェスのチケットを渡した後、足早に教室を去った。
「すごいよねぇ、萩原さん」
生徒の一人が、改めて感心するように言った。
「一時はどうなる事かと思ったけど、無事にああして立ち直るんだから、強いよね」
「ところで、あの車って、何だろう――?」
別の生徒が、教室の窓の外を指差しながら、恐る恐る言った。
「あ、あの黒塗りの――」
「い、いかにもヤクザ―――あっ!」
窓から見える黒塗りの車から、黒服の男が一人、傘を指して出てきた。
ちょうど、校舎から外へ出ようとする雪歩に向かって、黒服が歩いていくのが見える。
「あ、危ない、雪歩ちゃん!!」
しかし、雪歩は黒服の男と少し立ち話をした後、頭を下げながら何事も無く去って行った。
黒服もまた、雪歩に向かって丁寧に頭を下げているように見えた。
生徒達には、あの黒服と雪歩がどういう関係なのか気になるあまり、卒業式の余韻など吹っ飛んでしまっていた。
196 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 03:58:56.00 ID:7LnCOhGJ0
若頭が車に戻り、運転席のシートベルトを締めた。
「お嬢は、ご自分で会場に向かわれるとのことです」
「そうか」
後部座席から、雪歩の父の低い声が聞こえてきた。
「あの子も、懸命に自立しようとしているのかも知れんな」
若頭は、バックミラー越しに見える雪歩の父を見た。
窓の外を眺める男の顔は、少し寂しそうに見えた。
「――お屋敷に戻ります」
若頭は、車のエンジンをかけた。
「いや、いい」
雪歩の父は、若頭を制した。
「会場に向かってくれ」
「あの子が目指したものが何であったのか―――親として、見届けたくなった」
雪歩の父の言葉に、若頭は短く返事をした。
車は日光街道をひたすら南下し、日比谷へと向かった。
197 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:01:43.71 ID:7LnCOhGJ0
フェスの会場は、悪天候のせいもあって客足はまばらだった。
黒井の言う通り、765と961が出るステージ以外は、機材の不調等を理由に演目の中止、繰り上げが相次いだ。
昼過ぎになっても、状況は変わる様子が無い。
「自分達の番が来たら、お客さん増えるかなぁ」
ステージのそばに設けられたテントの中で、響は心配そうに言った。
「隣にジュピターさんも来るのだから、多少は増えるんじゃないかしら~」
「ボクらがジュピターの集客効果を期待するのも、どうかと思いますけど」
のん気な声を上げるあずさに対し、真が突っ込みを入れる。
「雪歩、あともう少しでこっちに着きそうだって」
美希が、携帯を確認しながら皆に伝えた。
プロデューサーが、腕組みをしながら頷く。
「泣いても笑っても、本番は一度きりだよ、皆!
今まで頑張ってきた分、悔いだけは残らないように、私達の歌、会場に届けよう!」
千早の横で、皆のまとめ役である春香が声を張り上げた。
皆がそれに同意し、改めて気合を入れ直す。
「あなた達が泣くことなんてないわ」
律子が鼻息を荒くして言った。
皆が一斉に彼女の方へと振り向く。
「皆がこれだけの努力を重ねてきた上に、私とプロデューサーで最強のセットリストを組んだんだもの。
成功しないはずが無いじゃない」
198 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:04:18.31 ID:7LnCOhGJ0
「さっすが律っちゃん! 良い事言うねー!」
亜美と真美が、同時に律子に抱きつく。
いつの間にか、自分の身長をとっくに追い越していた二人の力に、律子は圧倒されてしまった。
その時、突然テントの入口が開いた。
「ほう、なかなか生意気な事を言ってくれるじゃねぇか」
テントに入ってきたのは、ジュピターのリーダー、冬馬だった。
ぶっきらぼうに扉を閉め、不遜な態度で765プロの面々を見下している。
「そっちこそ、レディーの部屋にノックもしないで入るなんて、失礼だって思わないの?」
「うっ―――わ、悪かったな」
伊織の鋭い切り返しに、冬馬は少したじろいだ。
「本番前に挨拶に来てくれたのか? 律儀な奴だな」
今しがた伊織に怒られた時といい、なかなか素直なところもあるものだと、プロデューサーは内心思った。
「挨拶だと? 違うな、宣戦布告だぜ」
冬馬は鼻で笑った。
「所詮、仲良しこよしの765プロなんぞ、俺達には敵わねぇ。
しっぽを巻いて逃げるなら今のうちだって、教えてやろうと思ってな」
「生憎ですが、私達は貴方方との対決を楽しみに来たのではありません」
貴音の静かな声に、冬馬は首を傾げた。
「私達は、仲間の復帰を果たすために、最高のステージを作り上げに行くのです。
それに、勝ち負けが決まっている対決など、どのみち楽しむ事はできないでしょう」
「―――言ってくれるじゃねぇか」
貴音の言葉に、冬馬は穏やかならぬ表情を見せる。
199 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:06:13.63 ID:7LnCOhGJ0
「み、皆お待たせー!」
テントの扉が、再び勢いよく開いた。
入ってきたのは、雪歩だ。
「ゆ、ゆきぴょんどったの!? すっごいびしょ濡れ!」
雪歩の姿を見て、真美が驚いた。
電車の最寄駅から歩いてきたら、雨風ですっかり濡れてしまったらしい。
すかさず、やよいがタオルを持ってきて雪歩の髪を拭いた。
「ほう、あんたも出るのか」
雪歩の姿を見て、冬馬の表情が少し変わった。
「しばらくブランクがあるだろうが、遠慮はしねぇ。
正々堂々、真っ向から叩き潰してやる」
「あっ、と、冬馬さん! あの―――!」
入口の扉に手を伸ばした冬馬の後ろ姿に向かって、雪歩がタオルを握りしめながら声をかけた。
「――この前は私、ダメダメだったけど――今日こそは、少しだけマシなステージを見せられると思います。
あの、よ――よろしくお願いしますぅ!!」
雪歩は、そう言って頭を下げた。
冬馬は、何も言わずにテントを出て行った。
200 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:09:03.15 ID:7LnCOhGJ0
「良く言ったぞ、雪歩」
プロデューサーが、雪歩の頭に手を乗せた。
美希が彼の隣で嬉しそうにはしゃぎながら、それに続く。
「マシなステージどころか、ギャフンと言わせられるステージにするの!
ジュピターなんて、ケチョンケチョンのパーにしようね!」
雪歩は、自分の頭に乗せられたプロデューサーの手に自分の手を添えた。
彼の指が、細かく震えている。
「プロデューサー―――絶対、頑張ります。
これまでの私の集大成と、これからの私の第一歩、プロデューサーも見てて下さいね」
雪歩の言葉に、プロデューサーはにこやかに頷いた。
「雪歩―――いよいよだね」
美希が、雪歩の着替えを手伝いながら、溌剌と語った。
「ミキ達なら、きっと楽勝なの。
心配しないで、雪歩もミキ達のステージを見ててほしいって思うな」
「言いたい事、いっぱいあるけど―――」
ステージ衣装に身を包み、少しの間鏡を見つめた後、雪歩は美希に向き直った。
「――今まで、本当にありがとう、美希ちゃん。
このフェス終わってからも、また一緒に頑張ろうね」
「うん! よろしくなの!」
201 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:13:48.78 ID:7LnCOhGJ0
フェスも終わりに差し掛かると、それまでの寂しさが嘘のように、大勢の観客が会場に集まった。
悪天候ではあるが、トリを務めるアイドルのステージだけは見たいという客が相当数いたのだろう。
ステージに集まっている客数と観客の持つグッズから、ジュピターのファンが多いようだ。
しかし、765アイドルのファンも決して少なくない。
「あっちはどういうセットリストで来るか分からない。
だが、気にするな。お前達はお前達のステージを作っていくんだ、いいな」
プロデューサーが、改めて皆に対し声をかけた。
少し、声が上ずっている。
「一番緊張しているのは、ハニーの方じゃないの?」
「す、すまん―――っておい、ハニーって呼ぶのは止めろって何度言わせる気だ!」
「もう皆知ってるさー。諦めなって」
「違う! 俺と美希は別にそんなんじゃないからな!」
「あー! ハニーひどいの!!」
本番直前とは思えない、和やかなテントの雰囲気を見て、高木と小鳥も笑った。
気負いなど微塵も無いようだ。
「それじゃ、いつも通り―――いいわね?」
伊織が、あずさ、亜美と手を繋ぎ、大きく深呼吸する。
大丈夫よ、と、あずさが小さい声で言うのが聞こえた。
亜美が落ち着かない様子でニヤニヤと笑っている。
202 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:15:49.06 ID:7LnCOhGJ0
961側のステージに、ジュピターの三人が登場した。
一気に会場のボルテージが上がる。
ジュピター側の1曲目は、『Alice or Guilty』だ。
一方で、765側のステージは急に照明がフッと落ち、真っ暗になった。
会場がどよめきに包まれた次の瞬間、ローヤルブルーの光がステージを照らす。
会場に立っていたのは、伊織・あずさ・亜美の三人だ。
いよいよ765プロのステージが始まった。
軽妙なメロディに乗せ、スクリーンに三人を映した映像とテロップが表示される。
知らぬが 仏ほっとけない
くちびるポーカーフェイス
Yo 灯台 もと暗し Do you know!?
噂のFunky girl
『 竜 宮 小 町 』
『 S M O K Y T H R I L L 』
203 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:18:49.42 ID:7LnCOhGJ0
伊織は、あずさと亜美に誰よりも感謝していた。
ユニットのリーダーとして、皆に対して強がってみせるものの、内心は不安で仕方がなかった。
美希がいなくなったあの日、あれだけ事務所を荒らした自分に、リーダーなど務まるのだろうかと。
そんな伊織に対し、亜美は余計な事など考えさせないと言わんばかりに悪戯を仕掛けるムードメーカーとなった。
あずさもまた、その二人を支え見守る保護者のような役割を担ったのだ。
伊織は、口には出さないものの、自分の素直な思いを今日のステージにぶつけようと決めていた。
開始当初は、さすがに765側よりも961側の方がボルテージは上回っていた。
ジュピターがアピールをするたび、ますますそれは増していく。
しかし、765側にもこれまで築き上げてきた、決して負けない武器を持っている。
要所要所でアピールを重ねることで、765側のボルテージもだんだんと上がってきた。
あずさの艶やかな流し目、亜美のあどけない仕草。
自分こそがスーパーアイドルであると豪語する伊織の飛び切りの笑顔。
961側では、翔太がアクロバティックな動きで会場を沸かす。
負けじと、大サビの前に竜宮小町は二度目のバーストアピールを放った。
1曲目から、双方のステージはお互いに異様な盛り上がりを見せていた。
204 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 04:19:17.42 ID:rBQP5l7uO
木星嫌いなのもあるけど、やっぱり女のアイドルと男のアイドルがフェスで対決って可笑しいわ
205 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:20:33.22 ID:7LnCOhGJ0
冬馬は、妙な違和感を覚えた。
これまで、765の連中とオーディションで顔を合わせた事は何度もあった。
だが、その度に叩き潰してきた。
苦戦こそすれど、負けを覚悟するほど追いつめられた事は一度も無い。
だが、今日のフェスは違う。
苦戦どころか、このままでは下手をすると負けてもおかしくはない。
あいつら、一体いつ、これほどのステージパフォーマンスが出来るようになったのだ。
一曲目が終わり、冬馬は北斗と翔太に目配せをした。
二人は小さく頷くと、観客に向かって手を振りながらステージを降りて行く。
「次からは、俺達のソロを聞いていってくれ!!
まずは、俺の『BANG×BANG』! 皆、しっかりついて来いよ!!」
冬馬が観客に向かって飛ばした檄に対し、観客も大歓声で答えた。
冬馬もまた、そう言って自分自身を奮い立たせていたのを、北斗と翔太は肌で感じていた。
206 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:23:29.65 ID:7LnCOhGJ0
「皆ありがとうー!!」
竜宮小町の三人が手を振ると、会場は再び歓声に沸いた。
「次の曲は、なんと、新曲になりますよ~!」
「亜美達みたいに、めちゃエロかっこいい曲だから、ぜひ聞いていってね→!!」
新曲披露というサプライズに、観客がさらに沸き立つ。
その後、またもステージが暗転し、静けさが会場を包む。
やがて、スクリーンに妖艶なテロップが映し出される。
『 ~どこにKissしてほしい?~ 』
静かなエレクトロに、サックスの小気味良いメロディが流れる。
ステージ上が、段々とダークレッドの光で照らし出されていく。
その光の中で、美希・響・貴音が妖しく踊る。
『 P r o j e c t F a i r y 』
『 K i s S 』
207 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:27:10.91 ID:7LnCOhGJ0
美希が一番きつく当たったのは、貴音だった。
貴音はオールマイティである分、響や美希と比べ、ダンスに特別秀でている訳ではない。
そのため、この曲の振り付けを考えるに当たっては、貴音にレベルを合わせることになった。
だが、妥協は許されない。
本番の直前まで、ダンスの完成度を上げるだけでなく、できれば高度な振り付けも取り入れたい。
美希の真剣な気持ちは、貴音も良く理解していた。
だから、いくら響が止めようと、貴音は美希のダメ出しに対し反論の一つも言わず、黙って自主練に励んだ。
美希や響もまた、そんな貴音に負けないよう、千早に教えを乞い、ボーカルレッスンにも熱心に打ち込んだのだ。
その辛く苦しい思い出があるからこそ、今日は最高のパフォーマンスを披露できる。
今こそ、その成果を見せる時だった。
ステージに立つ三人のアピールは、自身に満ち溢れていた。
961側の冬馬は、明るいメロディに乗せ、爽やかな歌声と溌剌としたダンスで会場を沸かせている。
プロジェクト・フェアリーもまた、大サビに入る前のメロディで、ダメ押しのバーストアピールを放った。
208 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:30:15.12 ID:7LnCOhGJ0
「ありがとう!!
次は翔太、頼んだぜ!!」
冬馬が翔太の名をコールしてステージを降りる。
そして、翔太が入れ替わりでステージに立つと、会場から黄色い歓声が飛んだ。
「どうだった」
冬馬は、北斗にお互いのステージの状況を聞いた。
「――あの子達、恐ろしいほどの仕上がりだな。
今のステージも、客観的に見ると、冬馬が勝ったようには思えない」
北斗は、腰に両手を当てて俯いた。
そういえば、こちら側の観客の人数も、開始当初と比べると少し少なくなってきている気がする。
「何だってんだよ―――そんな訳があるかっ!」
冬馬は、ステージの脇から翔太を見守った。
表面上は持ち歌『On Sunday』を元気いっぱいに歌っているが、彼の幼い横顔には焦りの色が現れているのが良く分かった。
北斗は、もう覚悟を決めているように見える。
冬馬には、目の前の状況が信じられなかった。
209 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:32:15.52 ID:7LnCOhGJ0
プロジェクト・フェアリーがクールなナンバーを歌い切り、静かに暗転した会場は、先ほどよりも大きな歓声に包まれた。
余韻に浸る間もなく、すぐに次の曲のメロディが流れてくる。
明るく元気になれる、ワクワクするようなイントロ。
カナリヤイエローの光がパッと付き、春香・千早・やよい・真・真美の五人が跳ねるように舞う。
ずっと前から、いつも皆で練習してきた曲だ。
空見上げ 手をつなごう
この空は輝いている
世界中の手をとり
The world is all one !!
Unity mind.
『 P e r f e c t S U N 』
『 The world is all one !! 』
210 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:37:20.13 ID:7LnCOhGJ0
ダンス面でリーダー的役割を担った真は、皆に対しあえてスパルタに接した。
振りを覚えてこなかったり、一度教えた事を思い出せない時は、容赦なく怒った。
真美の悪戯も許さなかった。
千早もまた、ボーカル面で厳しい練習をメンバーに要求してきた。
逆に、皆が上達すれば、皆で喜びを分かち合った。
特に、やよいが真に負けないほどキレのあるダンスができるようになった時は、まるで皆が自分の事のように喜んだ。
皆に厳しく当たってきた真や千早の辛さを皆が理解していたから、今日まで頑張ってこれたのだ。
文字通り、皆で団結して今日まで思い出を作り上げてきた。
それは、ジュピターに決して負けない最大の武器である。
日は暮れ、サイリウムの光がステージの前で揺れている。
それを見比べるだけでも、765と961との観客数の差は、誰の目にも明らかであるほど開いていた。
211 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:40:10.71 ID:7LnCOhGJ0
黒井が堪りかねて、961側のステージ裏にやってきた。
「どうなっているのだ!? 貴様ら、何をやっている!!」
黒井は、冬馬と北斗に怒鳴った。
ここから巻き返すのは、ほとんど不可能に近い。
「見ての通りです。
真っ向から実力勝負をした結果がこれでは、言い訳のしようがありません」
北斗は淡々と語った。
黒井にとっては、とても納得できる回答ではなかった。
「言ったはずだな。
もし今日のフェスで結果を残せないのなら、私は貴様らを許しはしないと」
黒井の言葉に、冬馬が反応した。
北斗が冬馬の肩を掴む。
「―――なるほど、そういう約束をしていたのか。初耳だぜ」
「悪かった、冬馬」
「いや、いいさ―――このおっさんが、こんな悪党だとは思わなかったしな」
事情を聞いた冬馬が、呆れるように溜息を吐いた。
「悪党だと? 貴様ら、拾ってやった恩を忘れて何を――!」
「喜べよ。あんたにとって商品価値の無くなった俺達は、今日限りで961を抜ける」
冬馬の思わぬ一言に、黒井は言葉を失った。
「だが、最後は決めさせてもらうぜ。
こんな状況でも、俺達を応援してくれるファンがまだいるんだからな」
「その通りだ。さて、行ってくるぜ冬馬」
「あぁ」
北斗が、持ち歌『結晶~Crystal Dust~』を歌いにステージに上がる。
客はステージのすぐそばにしかいなくなったが、北斗にとってはその観客の存在が何よりありがたかった。
212 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:42:09.76 ID:7LnCOhGJ0
『The world is all one !!』を歌い終えた五人が、会場に手を振る。
会場のボルテージは最高潮となり、観客もいつの間にか目の前の広場を埋め尽くすほど多くなっていた。
「さぁ! 次は今日のステージ一番のサプライズですよ、サプライズ!!」
春香の言葉に、会場が期待のこもったどよめきに包まれた。
「春香――やる前にバラしたら、それはサプライズではなくなるんじゃないかしら」
「あっ! そ、それは確かに、そうかも――えへへ」
「もー、はるるんはおっちょこちょいだね→!」
パーフェクトサンの明るいトークに、会場に大きな笑いが起こった。
「というわけで、ボク達の出番は一旦終わりです。
後は、この子に登場してもらいましょう。せぇーの!」
「 ゆ ー き ほ ー ! ! ! 」
悲鳴にも似た歓声が沸き起こる中、雪歩がステージに上がる。
「じゃあ、後はよろしくね、雪歩!」
「うん!」
パーフェクトサンの5人は、手を振りながらステージを降りて行く。
舞台は整った。
213 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:48:10.99 ID:7LnCOhGJ0
雪歩は、ゆっくりと会場を見渡した。
公園から溢れんばかりの観客。
色とりどりのサイリウム。
遠くの方には、961のステージの光が見える。
ふと、雪歩はステージの正面でお揃いのはっぴを着て、横断幕を掲げている一団に目を留めた。
やたらとでかいその横断幕には、『おかえりなさい 萩原雪歩嬢』と大きく書かれているのが見える。行書体で。
良く見ると、あれは萩原組の若衆だ。
いつの間にあんなものを用意したのか。
雪歩は恥ずかしさで顔が赤くなったが、どうにか気持ちを切り替えることができた。
「皆さん――今日は、お天気が悪い中、これだけたくさんの人に集まっていただき、本当にありがとうございますぅ」
雪歩がお辞儀をすると、観客から「おかえり―!!」という声が一斉に飛んできた。
それだけで、雪歩の目が熱くなる。
214 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:49:46.24 ID:7LnCOhGJ0
「――これから、私が皆さんにお送りする曲ですが――」
雪歩の一言一言に、会場は静かに聞き入っていた。
「私達のプロデューサーに、ぜひ歌わせて下さいって、頼んだ曲なんです。
私の新しい第一歩を、今日来てくれる皆さん、それに、765プロの皆にも、見てほしくて――」
「私にとって、かえがえのない人がいて――
その子がいたから、頑張れた―――そんな気持ちを込めて、今日、歌いたいと思います」
「『First Step』っていう曲です。
前に発表している『First Stage』っていう曲と、タイトルが紛らわしくて、ごめんなさい。
どうか、お聞き下さい」
会場を、静かな歓声が包んだ。
ステージ上の照明が、カナリヤイエローからホワイトリリーに移り変わっていく。
優しいピアノのイントロが鳴り響く。
『 萩 原 雪 歩 』
『 F i r s t S t e p 』
215 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:53:54.60 ID:7LnCOhGJ0
『First Step』という曲を雪歩から律子に提案されたのは、本番まで2ヶ月を切った頃だった。
雪歩自身が作った歌詞を律子に見せ、この作曲をお願いできないかと、雪歩は律子に懇願したのだ。
通常であれば、本番前のこの時期に一から作曲する事はしないものだった。
しかし、歌詞を読んだ律子は雪歩の想いを真摯に汲み取り、スケジュールの合間を縫って知り合いの作曲家を駆けずり回った。
やがて、雪歩の昔からのファンだという著名な作曲家に、曲を作ってもらうことができたのだった。
歌詞を見た途端にインスピレーションが沸いたとのことであり、一週間もしないうちにサンプルが届いてきた。
雪歩は、今日まで律子とプロデューサーにしか、この曲のことを打ち明けなかった。
美希にすら―――いや、美希にこそ、秘密にしておきたかった。
なぜなら、今日のこのステージで雪歩が一番この曲を聞いて欲しかった相手は、美希だからだ。
もし 孤独な暗闇に 立ちすくんでしまっても
最初の一歩 進むのは あなたがいてくれた……今
「あの子は、本当にあなたの事が好きなのね」
律子が、美希の背中に優しく手を添えた。
美希は、嗚咽を漏らしながら号泣していた。
216 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:57:05.69 ID:7LnCOhGJ0
遠くから765側のステージを眺めていた冬馬は、自分達の敗因を理解した。
道理でこちらのボルテージが上がりきらないものだと思った。
彼女達は、今まで培ってきた仲間との思い出を、このフェスに込めている。
それが観客には伝わるのだ。
もちろん、具体的な思い出の内容は分からない。
だが、華やかなステージの裏にある、アイドルを支えている分厚いバックボーンの存在を、観客はアイドルのアピールから感じ取るものなのだ。
「培ってきた、思い出―――か」
ジュピターにも、思い出や絆が無い訳ではない。
だが、結果が全てと思っていた彼らにとって、それらがステージに現れるなどとは考えもしなかった。
彼女達には、とても敵わないと悟った。
「あの忌々しい、ひんそーでちんちくりんな小娘が!
おい、あのステージの照明を落と――!」
「止めろっ!!」
なおも悪あがきを続けようとする黒井に、冬馬は激昂した。
「俺達の負けだ―――最後の曲だけ、ちょっとあいつらのマネをしてくるぜ」
冬馬は、翔太と、ステージから戻った北斗を呼んで、円陣を組んだ。
「冬馬君らしくないんじゃない?」
翔太がニヤニヤしながら冬馬をからかう。
「うるせぇ。確かに俺達は、別にそれほど仲良しって訳じゃねぇ」
「だがよ―――なんだ。これからも、よろしくな」
「何をいまさら―――まさかお前、次の曲に引っ掛けて、俺達と恋をはじめようとか――」
「黙ってろ! ほら、行くぞっ!!」
ジュピターは、これまでの活動の集大成を、最後の曲『恋をはじめよう』に込めた。
217 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 04:59:32.28 ID:7LnCOhGJ0
765側のステージには、765アイドルが勢揃いしていた。
「最後の曲は、なんとなんと、また新曲なのー!!」
「皆で作った曲なんだぞ!」
「うっうー! 明るい未来へだーいびーんぐしましょー、って曲ですー!!」
「それじゃあ、聞いてくださいっ!!」
色とりどりのレーザーがステージ上を走り、観客席を貫いていく。
数多のサイリウムの光が、広場に激しく乱れ飛ぶ。
『 765 P R O A L L S T A R S 』
『 自 分 R E S T @ R T 』
萩原組若衆が、この日のために練習したというコールをこれでもかと全力で行う。
周りの観客もそれに乗せられ、合いの手が会場全体に響き渡った。
いつの間にか、雨はすっかり上がっていた。
218 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 05:01:30.16 ID:7LnCOhGJ0
黒井は、会場の外に止めた車へ向かった。
「チッ―――何だというのだ、まったく!
だから私は真っ向勝負など下らんとあれほど―――!!」
黒井は、持っていた傘を地面に叩きつけた。
「もういい、全員クビだ!
ジュピターも、会場設営業者も、グッズの販売員も警備員も誰も彼も、関係者全員に圧力をかけてこの業界から消してやる!!」
「随分と穏やかでない事を言うものだな」
低く落ち着いた声に、黒井は振り向いた。
そこに立っていたのは、高木だった。
「―――こんな事で、勝ったと思うなよ高木ィ。
いいか、私の手にかかれば手駒となるアイドル候補生などいくらでも用意できる」
黒井は笑った。
明らかに苦し紛れの笑いだった。
「絆――そんな不確かなもので、この業界の頂点になど上り詰められるものか。
私は、私の信じた道を諦めん」
「――アンコールがあるのだが、もう少しだけ聞いて行ってもらえないか」
「うるさいっ!!」
黒井は振り返ると、靴音を鳴らして高木の元を去った。
高木は、黒井の捨てた傘を拾った。
961プロのロゴが、傘の柄に虚しく輝いている。
高木は、傘を持って765のステージへと戻った。
219 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 05:02:33.80 ID:7LnCOhGJ0
961側にいた観客も765側のステージに合流し、会場全体がアンコールの大合唱に包まれた。
「おいおい、アンコールだなんて―――音源何も用意してきてないぞ」
プロデューサーは、予想外の出来事に取り乱していた。
「ふふふ―――甘いですね、プロデューサー殿?」
律子の眼鏡が怪しく光った。
「せっかくですから、プロデューサーも観客席に行ってきて下さい。
ここから先は、私の単独プロデュースで行きます」
アイドルの皆が、自分の方を見てニヤニヤ笑っている。
プロデューサーには、何の事だかサッパリ分からない。
「ほらっ、早くするの!」
美希に背中を押され、プロデューサーは渋々観客の最前列に入っていった。
「いよーし、それじゃあ最後の曲だよ!!」
春香の号令で、皆が円陣を組んだ。
「765プロー!!」
「ファイト―!!!」
220 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 05:03:25.70 ID:7LnCOhGJ0
『 765 P R O A L L S T A R S 』
『 A r e 』
『 Y o u 』
『 R E A D Y ! ! 』
221 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 05:07:34.07 ID:7LnCOhGJ0
【終】
あのフェスは、今でも夢に見ることがあります。
それくらい、私にとっては本当に夢のような出来事でした。
美希ちゃんと出会ったのは、ちょうど今から一年前の春でした。
初めて見た時から、美希ちゃんは本当にキラキラ眩しくて、私なんかよりずっと輝いていました。
ダンスも歌もとっても上手で、お話も明るく面白くて、太陽のような子だなって思いました。
でも、ちょっとだけ、皆と喧嘩しちゃって―――。
だから、私が代わりに、美希ちゃんみたいに皆のために頑張ろうって。
それが、結局、上手くいかないどころか、プロデューサーや皆にも、本当にたくさん迷惑をかけちゃったんです。
あの時は、本当に穴掘って埋まりたいのを通り越して―――死にたいって、思ってたんだと思います。
でもでも、それをまた美希ちゃん達が救ってくれて、だから――。
皆もそうだけど、美希ちゃんがいてくれたから、今の私がいるんだって、思うんです。
私を照らす、太陽――その感謝の思いを、フェスの歌にも込めました。
フェスが終わった後の打ち上げで、その時美希ちゃんや皆が泣いていたのを知って、すごく謝りました。
泣かせたくて歌った訳じゃないのに。
プロデューサーも、震える手で私の頭を撫でてくれました。
感動したから震えてるんだ、ってプロデューサーは言っていたけれど、まだ病気が治らないみたいです。
私が辛そうな顔をすると、プロデューサーを困らせてしまうので、もう謝るのは止めます。
その代わり、これからもっとキラキラに輝いて多くの人に元気を与えることで、償っていきたいと思うんです。
222 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 05:16:40.19 ID:7LnCOhGJ0
あれからは、皆も私の家にあるレッスンルームに度々通うようになりました。
美希ちゃんは、私の家に来る度に、若さんの頭を撫でています。
実は、あのフェス、あまりに盛り上がったので、テレビのニュースでも取り上げられたんです。
そしたら、ジュピターの冬馬さんと肩を組んでコールを叫んでる若さんがバッチリ映っちゃって――。
それで、お父さんの怒りに触れてしまい、頭をツルツルにされてしまいました。
萩原組の品格を落とすような真似をしやがって、だそうです。
元々物静かで強面の若さんが、つんつるりんになると余計に怖いですぅ――。
でも、お父さんも私の出てる雑誌を密かに切り抜いてニコニコしてるって、お母さんが言ってました。
自分の事を棚に上げるのは良くないよ、お父さん。
そろそろ、家を出なきゃいけない時間です。
あれからは、皆もいっぱい仕事が増えて、私も今度、ミュージカルに出させてもらう事が決まりました。
もうすぐ、4月の中旬からは、765プロの皆によるお昼の生放送がブーブーエステレビで始まります。
元々、ジュピターさんが司会を務める予定だったんですが、961プロからの電撃脱退により急遽私達になったみたいです。
響ちゃんの言葉を借りれば、なんくるないさー! ――ですよね?
春一番は、フェスの日にもう吹いたようで、すっかり春らしい陽気になってきました。
もうマフラーはいらないかな。
「レディー―――!」
私は、家の門をくぐり、靴ひもを結びながらこっそり呟くと、最寄駅までの道のりを、春の太陽が青空を上る、その何倍も速く走りました。
~おしまい~
223 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 05:18:56.53 ID:Uqny0lzSo
雪歩SSは定期的に物凄いのが来るな乙
224 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 05:20:16.33 ID:7LnCOhGJ0
百田尚樹の『ボックス!』や『永遠の0』を読みながら書きました。
途中、同作品の表現をそのまま引用したところもあります。
爽やかな青春ものをテーマに書けば、爽やかな文章が書けるのではないか、
って思って書いたらこの始末です。すみません。
ただ、上記の二作品はすごく良い小説なので、ぜひ何かの機会に手に取って
お読みいただけると幸いです。
駄文長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
226 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/03/24(日) 05:24:44.54 ID:7LnCOhGJ0
>>87 これの一つ前は、P「あずささんにヘイストをかけてしまった……」っていう短編ギャグをVIPで書きました。
今回と似たような作品だと、響「ハム蔵に花束を」っていう少し暗いSSを速報で一年前に書いています。
それでは、失礼致します。
227 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 10:08:53.50 ID:t/9l9TgEo
乙!
素晴らしかった
地の文のSSって敬遠してたんだけど考え改めるわ
上でも誰か言ってたけどSS他にも書いてるのかな?
差し支えなければ紹介して欲しい
231 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 12:14:12.26 ID:TVMUygNDO
乙!ヘイスト書いてた人だったのか
意外だったわ、また何かしら書いたら読んでみたい。
232 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 12:46:07.36 ID:t/9l9TgEo
他のやつも読んできた
ギャグもシリアスもいけるこの書き手…何者?
233 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 12:47:51.64 ID:U2jxuGs40
内Pの人だったか、今回も良かったです
ていうか、前作とのテンションの違いがすげぇなw
234 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 12:56:28.34 ID:PVXc7B1v0
読み終わった。面白かったよー乙!
たまにはこういうシリアスなアイマスSSも悪くない
236 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 13:41:37.13 ID:InQ9xYvSO
乙
雪歩可愛い!
237 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 17:47:36.97 ID:uGvB60L40
すごくいいSSでした。
お疲れ様でした。
238 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 18:55:58.09 ID:g0YgETq5o
読ませる文章だった
ただ若干アイドルの描写というかイジメが酷かったように思う
あとは、社長の呼称くらいかな
239 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/24(日) 21:00:33.21 ID:8ODXMblDo
おつん!
240 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/03/25(月) 02:30:44.69 ID:b7Lsd2yAO
乙Summer!
文章に引き込まれる、良いSSでした。
読後は、最高の気分になれました。
また書いてください。
転載元
美希・雪歩「レディー!」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1364039080/
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嫉妬云々はともかく、真面目に練習に参加する姿勢を見せなかった美希にも問題はあるよな