1 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:09:58.21 ID:RN7L+xaq0
3 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:12:07.25 ID:RN7L+xaq0
ある日の事です。
妾は、チイちゃんという女の子と一緒にいました。
このチイちゃんというのは、その名前の通り小さく可愛らしい子でして、
背丈は五尺チョットも無いくらいでしょうか。
目は真ん丸で子猫のように愛らしく、女の妾でも思わず、ホウとため息が出るくらい整った顔立ちをしているのです。
4 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:14:56.74 ID:RN7L+xaq0
そんなチイちゃんと妾は、ただボンヤリと軒先に座って道行く人々を眺めていました。
忙しそうに職場か何処かへと向かう青年や、乳飲み児を抱いてゆっくりと歩く女性ナンゾを……。
ただただ、意味も無く眺めていました。
そのうちに太陽が傾き、景色が橙色に染まっていきます。
妾は底冷えするような寒さを覚えました。
その時妾は、薄いブラウス一枚しか着ていなかったものですから……。
5 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:18:24.89 ID:RN7L+xaq0
「ヤァイ、でっかいのヤァイ……」
何処か遠くから、声が聞こえた気がしました。
その声は、チイちゃんの口から発せられているのです。
まるで仄暗い洞窟の奥底から聞こえるような声でした。
その可愛らしい見た目に似合わず、彼女の声は笑ってしまうくらい重々しく、低いのです。
6 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:22:49.76 ID:RN7L+xaq0
「ヤァイ、でっかいのヤァイ」
今度はハッキリと、低い声が響きました。
でっかいの、というのは妾の事なのでしょう。
妾は幼少の頃から背丈が大きく、手足なども気持ちの悪いくらいに長かったものですから。
普通の人ならば、「でっかいの」と呼ばれた事を怒るのかもしれません。
しかし妾はチットモ気を悪くしませんでした。
それどころか、可愛らしいチイちゃんに話しかけられて、嬉しいとすら思ったのです。
思えば妾はチイちゃんと、お話をした事すら無かったのです。
7 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:25:12.15 ID:RN7L+xaq0
「ナア、君。小腹が空いたとは思わないかい」
チイちゃんの言葉遣いはなんとも奇妙で、
まるで何処か遠く街中の、綺羅びやかな歌劇団の男役がそこにいるかのようでした。
小さく可愛らしい彼女でしたが、その凛々しい顔立ちと語り口調は怪しい色気を放っていて……。
妾は思わずクラクラとしました。
強い洋酒の香りに当てられたかのように、目眩を覚えたのです。
「ええ、ええ……。空きました。妾はモウ、お腹がペコペコで……」
妾は荒い息をしいしい、途切れ途切れにそう応えました。
するとチイちゃんはニッコリと、頬を吊り上げて笑うのです。
8 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:27:20.25 ID:RN7L+xaq0
「私はね、チットモ世間の事なんて知りもしないのだが、世界がアンマリにもまあるいのと、腹が空くとドンナニ辛いのかは、よおく分かっているんだよ」
建物が瑠璃色に変わっていきます。
辺りはスッカリと暗くなり、まるでこの世界には、妾とチイちゃんしかいないようでした。
アンマリにもまあるい世界の上で、チイちゃんは妾に話しかけてくるのです……。
9 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:29:59.64 ID:RN7L+xaq0
「どうだい、君。鼈甲飴……なんて物は、お好きかい?」
「エッ……飴、ですって……?」
「そうだ。私は甘い物に目がなくてね……特に、祭りで売られているヨウな、可愛らしい形の鼈甲飴が大好きなんだ」
妾は舌の上で蕩ける、甘ったるい鼈甲飴の味を思い出しました。
ネットリとした重たい甘露が、胃袋に流れ込んでくる感覚を思い返しました。
すると、どうでしょう。ドウにも鼈甲飴が食べたくて食べたくて、仕方がないと思い始めたのです。
10 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:32:19.78 ID:RN7L+xaq0
「良いです……それは、トッテモ……妾、食べたいですわ。甘くて美味しい、鼈甲飴が……」
「そうかい。じゃあ、行こうか」
「行く?……行くって、一体、何処へ?」
「決まっているだろう。鼈甲飴の屋台だよ」
「屋台?」
ハテ、こんな時分にお祭りだなんて、やっているのか知らん……。
と、妾は首を傾げました。
11 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:34:47.40 ID:RN7L+xaq0
「アハハハ……アハアハアハ……そう困った顔をするんじゃないよ。ナニ、祭りなどが無くとも、屋台の一つや二つはあるもんさね」
「ハア……そのようなものなのですか」
「そうさ。気の無い返事をしないでおくれよ。でっかいのはよほど、お遊びには疎いカタブツと見える」
「ええ、エエ。そうですネエ……。何分妾は、田舎者の生娘でして……このような事は、なあんにも」
「ハハア、だったら教えてあげよう。教える事ナンゾ数少ないし、私は何にも知らないけれど。それでも私は、腹がスッカリ空いた時、その辛さを優しく受け止めてくれる所を、ゴマンと知っているんだよ」
チイちゃんはそう言って、サッと立ち上がったかと思うと、妾の手を引いて歩き始めました。
その力の強いこと強いこと……。
妾は少し恐ろしく感じましたが、逃げる事ナンゾ到底出来ません。
引かれるままにチイちゃんの後ろを歩きます。
ぐねぐねと曲がりくねった道を、建物の間の狭い路地を、引かれるままにズンズンと、恐ろしい速度で進んだのです。
12 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:36:45.01 ID:RN7L+xaq0
そのうちにチイちゃんは、ある一つの店の前で止まりました。
くたびれた暖簾が掛かった屋台です。
黄色く色が変わった暖簾なのですが、ボンヤリと灯った提灯の明かりを受けて、なんとも幻想的な雰囲気を醸し出しております。
まるで此の場所、此の空間が、此の世のモノでは無いかのようでした。
暖簾には、ナニヤラ字が書いているようなのですが、妾にはチットモ読めません。
「ここですか?」
妾は問います。
「そうだい、ここだよ」
チイちゃんはニッコリと笑います。
その愛くるしい顔を見て、妾は安堵の胸を撫で下ろしました。
ドンナニ不安な事があっても、彼女の笑顔を見るとスッカリ安心してしまうのです。
13 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:39:23.29 ID:RN7L+xaq0
暖簾の隙間から屋台を覗くと、色とりどりの鼈甲飴が見えました。
青、赤、緑、黄色にピンク……。
形だって様々で、動物の形を模した物や乗り物の形をした物、ハート、星形、ナニヤラ分からない形の物まで……。
驚くくらい様々な鼈甲飴が並んでいるのです。
妾は黄色い声をあげました。
そんな妾を、チイちゃんはニコニコと見つめております。
14 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:41:44.44 ID:RN7L+xaq0
「妾、あたし……このような店は、何分初めての事ですので……」
「ああ」
「ここなのですね」
「そうだい、ここだ」
妾たちは顔を見合わせ、大きな声で笑いました。
そうしてお金を出し合って、とびきり大きな鼈甲飴を、丁度二つ、買ったのです。
15 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:43:31.69 ID:RN7L+xaq0
チンドン、チンドン、チンドンドン……。
遠くでちんどん屋の鳴り物が聞こえます。
妾たちは早速、屋台の前で鼈甲飴を食べる事にしました。
茶色い新聞紙に包まれていたそれは、取り出すと提灯の明かりを受けて、きらきらと輝いて見えました。
妾の買ったものは夕焼けのような色をしていて、兎のような形に見えました。
チイちゃんの買ったものはよく分かりません。
スウと鼻から息を吸うと、焦げた砂糖の野暮ったい匂いと共に、爽やかな檸檬の香りがしました。
16 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:46:51.25 ID:RN7L+xaq0
妾は恐る恐る、舌先で飴を舐めあげました。
すると、どうでしょう。複雑な甘さと濃厚な香りが、口イッパイに広がったのです。
その味の凄まじさ……甘さ……美味しさとイッタラ……。
思い切って頬張ると、複雑な味が紐解かれるように、一つ一つの形となって、舌の上を滑ります。
砂糖の甘さ、檸檬の酸っぱさ、焦げた匂い、新聞紙に染み付いていたであろう石油の香り等々が……。
口の中でスルスルと踊り、妾を楽しませるのです。
コンナにも美味しい鼈甲飴があるなんて、妾は思いもしませんでした。
17 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:49:02.42 ID:RN7L+xaq0
妾はモウ夢中になって、鼈甲飴を頬張りました。
飴はすぐに甘い露となり、胃袋へ溶け去り、後に残ったのは残り香だけです。
妾は卑しくも飴が包まれていた新聞紙を舐めあげました。
そして、先の行動がドウにも淑女が行うべきものでは無い事に気付き、顔を赤らめました。
チイちゃんは、まだ飴を頬張っている所です。
「美味いなァ。アア、美味い美味い」
そう言いながら鼈甲飴を楽しむ彼女を、妾はニコニコして見守っておりました。
18 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:52:19.32 ID:RN7L+xaq0
その時です。
なんとも可笑しな事が起こったのは……。
19 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:53:28.06 ID:RN7L+xaq0
鼈甲飴を舐めるチイちゃんの、可愛らしい頬に、ツウと朱い線が走ったのです。
アレ、と思う間もありません。
線はドンドン深くなり、桃色の肉が中から見えました。
まるで鋭利な刃物で切り裂かれてしまったかのようです。
タラリ、と真っ赤な液体が流れました。
「アラ、チイちゃん。頬が切れておりますよ」
妾の驚いた声も、チイちゃんには聞こえていないようでした。
チイちゃんは尚も、飴を頬張っているのです。
20 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:55:29.87 ID:RN7L+xaq0
「美味いなァ。アア、美味い美味い」
傷はドンドン深くなり、口の端まで達しました。
しかし、チイちゃんは何処吹く風といった顔で、飴を舐めるのをやめません。
「チイちゃん、オオ、チイちゃん。ソレは……?」
溝はドンドン深くなり、耳の所まで達しました。
ポタリ、と真っ赤な何かが垂れました。
血かと思ったソレは、よくよく見ますと、血が混ざった涎でした。
21 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 01:57:59.51 ID:RN7L+xaq0
チンドン、チンドン、チンドンドン……。
ちんどん屋の鳴り物が、耳鳴りのように響きます。
妾はモウ、恐ろしいやら可笑しいやら……。
パックリと頬が割れたというのに、知らん顔で飴を楽しむチイちゃんを見て、泣けばいいのか笑えばいいのか分かりません。
ただただ、恐ろしかった事だけは記憶しております。
何故か笑い声をあげそうになった事だけは記憶しております。
私はきっとすでにモウ、可怪しくなっていたのでしょう。
22 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:00:00.13 ID:RN7L+xaq0
「美味いなァ。アア、美味い美味い」
チイちゃんの口が、傷にそって裂けました。
桃色の肉の中に、ナニヤラ白い物が見えました。
見間違うハズもありません……歯です……。
傷口からビッシリと、犬の牙のヨウな歯が……エエ、ビッシリと生えているのです……。
23 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:02:32.73 ID:RN7L+xaq0
がちがちという音が聞こえました。
妾の歯の根が合わずに、耳障りな音を出しているのです。
もう、チイちゃんはチイちゃんではありませんでした。
ちんどん屋は何処か遠くへ行ったようです。
物音一つ聞こえない、シンと静まり返った中、妾はチイちゃんと二人きりでした。
24 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:05:25.62 ID:RN7L+xaq0
よくよく見ますと、チイちゃんのくわえている飴は、ドス黒い血のような色をしておりました。
もしかしたら本当に、人の血を寄せ集めて固めたものだったのかもしれません。
チイちゃんはその血の塊のようなモノを、スッカリ胃袋へ収めてしまいました。
25 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:11:48.94 ID:RN7L+xaq0
「アア、美味かったァ」
だらりと涎が落ちました。血のような赤い液体も落ちました。
ニッコリと笑うチイちゃんを、妾はモウ、直視する事が出来ません。
なんともおぞましく、恐ろしく、怖かったからです。
「エエ……本当に、トッテモ……美味しい鼈甲飴でしたねェ……」
震える声でそう告げる事しか出来ませんでした。
一刻も早く此処から立ち去りたいという気持ちを、必死に抑えて声を絞り出しました。
26 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:15:17.86 ID:RN7L+xaq0
「アア。本当に美味しい飴だったなァ」
「エエ……エエ、トッテモ……」
「しかし、まァ、ナニ……飴の一つや二つでは、この空腹は満たせないと思わないかね」
カチカチという音が響きました。
妾の歯の根の音ではありません。チイちゃんの刃物のような牙が、互いに触れ合って音を出しているのです。
つばを飲み込みました。
舌がドウニモ上手く動きません。
チイちゃんの言いたい事が、妾には良く分かりませんでした。
27 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:18:37.42 ID:RN7L+xaq0
「そうですか。妾は……モウ、お腹はイッパイで……」
「そう思うかい?」
「エッ……エエ、ハァ……」
「私は生憎そうでは無くてね。食べたいんだよ。もっと……大きなモノがいい」
「ハア……それでしたら……」
妾は先の屋台の方を見ました。
提灯はまだ明るく、店は開いているように見えます。
28 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:21:46.27 ID:RN7L+xaq0
「……食べれば良いかと、思いますが……もっと、大きなモノを……」
29 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:23:10.80 ID:RN7L+xaq0
振り返ると、目の前に歯がありました。
生暖かい息が、顔に当たりました。
30 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:24:10.53 ID:RN7L+xaq0
叫び声があがりました。
妾は尻もちをつき、その拍子に歯から逃げる事が出来ました。
がちんと鼻先で口が閉じます。
その時になってヤット、叫び声が自分の口から出ている事に気付きました。
31 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:25:46.65 ID:RN7L+xaq0
妾はモウ無我夢中で、暗い路地を走り出しました。
チイちゃんの細く長い指が、妾の髪を絡め取ります。
しかし妾は頭を振ると、髪の毛を根本から千切ってしまいました。
32 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:27:37.45 ID:RN7L+xaq0
チイちゃんは指に絡みついた妾の髪の毛を、
舌でねぶり取り、味わうように噛み締めました。
プチン、プチンという音が聞こえます。
しばらくそうしていたかと思うと、ゴクリと喉を鳴らすのです。
「美味いなァ。アア、美味い美味い」
33 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:30:01.86 ID:RN7L+xaq0
妾はモウ必死でした。
チイちゃんの耳まで裂けた大きな口から逃れようと、一足飛びに逃げのきました。
死に物狂いで曲がりくねった道を駆け抜けました。
自分でもモウ、何処をドウ走ったか覚えておりません。
ただ、後ろからいつまでも、いつまでも……チイちゃんの笑い声と歯の鳴る音が追いかけてきた事だけは記憶しております。
34 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:32:50.54 ID:RN7L+xaq0
チンドン、チンドン、チンドンドン……。
荒い息をしいしい、妾が立ち止まった所です。
ちんどん屋の鳴り物が、すぐ近くで聞こえました。
35 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:34:12.27 ID:RN7L+xaq0
妾は訳も分からぬマンマに、途方も無い距離を走っていたようでした。
もうチイちゃんの姿は見えません。
ホウ、と一息ついたのと同時に、妾は友達を一人失った事に気付きました。
36 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:36:14.81 ID:RN7L+xaq0
温かい涙が流れ出ます。
チイちゃんはもう、人では無かったのです。
優しくて、可愛らしく、クラクラとするような色気を放つ、魅力溢れる彼女は……。
モウ、人では無いナニカに堕ちてしまったのです。
37 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:37:46.33 ID:RN7L+xaq0
エエ、エエ……ダッテ、よりにもよって、妾を……。
鼈甲飴のヨウに、胃袋へ収めようとするのですもの……。
人であるはずがありません。
人であってはいけないのです。
涙がドウニモ止まりません。
妾は永遠に、一人の友達を失ってしまったのです……。
38 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:39:13.54 ID:RN7L+xaq0
どうか、ドウカ……願わくば……。
人では無いモノとなった彼女の、御霊だけでも、せめて人らしく在りますヨウに……。
妾は手を合わせました。
ちんどん屋の鳴り物はもう聞こえません。
まあるい月がポッカリと、さもしい路地裏を照らします。
妾はその月に向かって、いつまでも、いつまでも祈り続けました……。
39 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/06(火) 02:40:23.08 ID:RN7L+xaq0
祈りを終えて、涙を拭います。
その時になって、やっと、初めて、
妾には『チイちゃん』という友達ナンテ、居ないという事に気付きました。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/01/06(火) 10:35:10.97 ID:mUiU1XcAO
乙。
続くの?
42 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:34:40.36 ID:uP2qnu460
2
……オホホホホホホホ……。
どういう事なのか、サッパリ分からないでしょうね。
エエ、妾もそうなのですから当然でしょう。
妾には友達がいたというのに、それが人では無いナニかであったト……。
そして、そのナニかは存在しなかったト……そういう訳なのですから……。
マルでお話の辻褄が合っていないでは無いですか……オホホホホホホホ……。
43 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:36:15.70 ID:uP2qnu460
しかし、事実なのですから仕方がありません。
妾は永遠に友達を失い、そして……それは最初から居ないモノだったのです。
もう、彼女の御霊が人なのか人では無いのか、そもそも此の世に彼女の御霊はあるのか……御霊というモノ自体存在するのか……。
妾には何もわからなくなってしまいました。
妾は小奇麗な繁華街にいました。
刻は昼のようです。赤い太陽がアンマリにも眩しかったものですから。
先の寒さは何処へやら、ジットリとした暑さを肌で感じました。
いつの間にやら夜は明けたようで……ええ、本当にいつ明けたのでしょう。
サッパリ存じ上げませんが、妾はそれどころではありませんでした。
妾の頭のナカは、チイちゃんでイッパイだったのです。
44 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:38:05.57 ID:uP2qnu460
目の前には、小さな腰掛けが二つ、乱雑に置かれています。
チョット前まで、妾とチイちゃんが座っていたものでした。
戻ってきたのです。昼間、ボンヤリと座っていた軒先に……。
腰掛けの上にチョコンと置かれた、パッチワーク・キルト地のクッションは、まだチイちゃんの温かさを残しているヨウでした。
妾はしばらくの間、チイちゃんの存在を確かめるかのように、そのクッションを撫でておりました。
ふいに、視線を感じて顔をあげます。
平屋の中から、老婆が妾を凝然(じっ)と見つめておりました。
45 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:39:41.38 ID:uP2qnu460
老婆の目は色を失いくすんでいて、何も見えていない様子でした。
その盲いた二つの目の球で、いつまでも妾を見つめているのです。
妾は背筋に冷たいモノを感じ、足早にその場を立ち去りました。
老婆にチイちゃんの事を訪ねようか、一寸(すこし)迷いましたが……。
結局、何も言わないマンマに立ち退きました。
今思うと、聞いた方が良かったのかもしれません。
46 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:41:22.02 ID:uP2qnu460
本当に……彼女は、チイちゃんは……。
一体何者だったのでしょう……。
記憶を辿ってみても、そういえば、彼女の姿ナンゾ何処にも見当たらないのです。
齢三つの頃、母の手に引かれて歩いた時も……。
六つの頃、学舎でお歌を唄った時も……。
十五の頃、色恋沙汰で頬を紅く染めた時も……。
彼女の姿ナンテ、何処にも無かった訳なのです。
妾が笑い、泣き、怒り、懸命に過ごしたその日々に……。
彼女の姿は影も形もなかったのです。
47 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:47:10.84 ID:uP2qnu460
もしかしたら、妾は、忘れてしまったのでしょうか。
チイちゃんという大切な存在を……覚えていたハズなのに、スッポリと記憶から抜け落ちるように、忘却の彼方へと飛ばしてしまったのでしょうか。
人で無いモノへと成った彼女を見て、全て脳髄から消し去ってしまったのでしょうか。
とっさに自分の名前と、住まいと、友人の名前と……思いつく限りの全ての情報を、妾の知ってる全ての事を、改めて思い返しました。
指折り数えて、何度も何度も知ってる名前を口に出して、
それでもヤッパリ、チイちゃんの名前は出てきませんでした。
48 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:49:09.91 ID:uP2qnu460
町は落ち着いていて、それでいて活気があり、人々の笑顔で溢れておりました。
しかし妾の心は正反対に、ズブズブと深い沼に沈んでいくようでした。
全ての景色が灰色に見えます。
道行く人々の笑顔一つですら、妾を馬鹿にする顔に見えました。
店先で談笑する婦人の笑い声が、妾を嘲笑する声に聞こえました。
気が狂いそうです。
チイちゃんの事を考えるタンビに、妾は心臓を握られたかのような息苦しさを感じました。
チイちゃんの事を考えるタンビに、この町が嫌いになっていきました。
49 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:50:56.11 ID:uP2qnu460
そもそも……。
イッタイ此処は……。
……何処なのでしょうか……。
50 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:52:36.89 ID:uP2qnu460
……妾はチイちゃんと二人、此の場に居た訳なのですが。
いつ此処に来たのか、何故此処にいるのか、サッパリわかりません。
まるで此の場所、此の空間が、此の世のモノでは無いかのようで……。
一体どういう訳なのでしょう。妾は自分の居る場所すらわからないのです。
一体どういう事なのでしょう。妾は本当に、可怪しくなってしまったのでしょうか。
妾はドウシテ、何も覚えていないのでしょう……。
51 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:54:25.73 ID:uP2qnu460
「覚えていないっていう事はネ、知っていてもドウって事無いって事さね」
男の声が聞こえました。
温かい、優しい声でした。
52 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:56:24.52 ID:uP2qnu460
「……ドウって事、無い?」
「そうさ。要らないから忘れるのさ」
「……要らない事は、無いでしょう」
「ウウム、それがそうでも無くてネ……人間の脳味噌というのは案外チッポケな物で、いつまでも要らないモノまで抱え込んでいたら破裂しちまうっテンデ、綺麗サッパリ要らないモノを消し去ってしまうヨウになっているのサ」
「ハハア、難しいお話ですが……そういうモノなのですか」
「さよう。イヤこれが、ドウニモ良く出来ていてネ……」
53 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 00:59:01.52 ID:uP2qnu460
「……つまり……チイちゃんの事も、この場所の事も……知っていてもドウって事無い……要らないからスッカリ忘れてしまった、ト……?」
「イヤ確かに。でっかいのは脳味噌もでっかいと見えるネ。良く出来たモノを持っている……」
「ハア……それは、ドウモ……」
ハッとして振り返りました。
其処に居るのは、まだ話を続ける二人の婦人だけです。
今、確かに、男の声を聞いたようでした。
妾は誰かと話をしました。しかし、それが誰だったのか……サッパリわかりません。
またわからない事が一つ増えてしまいました。
54 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:01:26.40 ID:uP2qnu460
「何処を見ている? 此処だよ、おうい」
見渡しても、婦人が二人居るだけです。
男の声は聞こえますが、男の姿が見えません。
婦人の一人は酷い痘痕(あばた)面で、痒そうに頬を指先で引っ搔いておりました。
「ナニヤラ蝿の声が煩くありませんかねエ……」
「そうですか。私には、サッパリ……」
……婦人達の取り留めのない会話は、妾の耳に入っては来ませんでした。
55 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:03:25.84 ID:uP2qnu460
目の前で、またも可笑しな事が起こってしまったのですから。
56 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:05:51.22 ID:uP2qnu460
痘痕面の婦人の痘痕が、モゾモゾと動き始めたのです。
痘痕の一つが奥に引っ込んだかと思うと、ポッカリ穴が空きまして、そこからギョロリと目玉が現れました。
痘痕がポツリと二つ空きますと、そこから鼻息が聞こえました。
グンと横一文字に動きまして、引き裂かれるヨウに溝が出来ますと、舌がデロリとはみ出しました。
「此処だよ、此処だ。おうい、此処だよウ……」
そう言ってニコリと笑うのです。
痘痕面の痘痕が……一つの面となって、妾に笑いかけてくるのです……。
57 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:07:39.44 ID:uP2qnu460
……アハハハハハハハハハハハハハ……。
妾は笑いが止まりませんでした……。
痘痕も笑窪(えくぼ)という言葉が御座いますが、まさか痘痕に笑窪があるナンテ……。
思いもしなかったものですから。妾はモウ可笑しくてオカシクテ……。
妾は笑い転げました。
婦人達はそんな妾を、気にも留めていないようでした。
58 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:09:19.15 ID:uP2qnu460
「人の面を見て笑い転げるナンテ、存外失礼な娘だね。俺を見て泣く奴は山と居たが、笑われるのは初めてだよ」
「人? 人の面って、貴方……痘痕がナニヤラ言っておりますよ……」
妾はまた腹を抱えましたが、次第に慣れてきまして、チットモ笑わなくなりました。
何故あんなにも可笑しかったのか、今ではサッパリわかりません。
とにかく妾が息を整えておりますと、痘痕は黄色い歯をむき出しにして話しかけてきました。
59 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:11:13.72 ID:uP2qnu460
「ようやく落ち着いたかい。でっかいのは陽気な事だねエ」
「エエ、どうも失礼致しました。それで、貴方は……?」
「俺の事ナンゾ、ドウだって良い事さね。ソンナ事を覚えていたって、脳髄にとっちゃア迷惑な話さ」
それもそうだと合点しました。
町中でオシャベリをした人の名前を、一から十まで覚えたって、脳にとっては必要のない情報を押し込んでいるだけにすぎないのですから。
「そうですね。脳が破裂しては敵いませんモノ……」
「そうさ、そうさ。よくわかってるねエ……俺は頭の良い子が好きなんだ」
痘痕は顔こそ怖いものの、なんだか良い人のように感じました。
もっとオシャベリしてみたい……ソンナ風な事を感じさせる人なのです。
60 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:13:39.82 ID:uP2qnu460
「つまりネ、君。忘れちまったモノを思い返そうとするナンテ、馬鹿のやる事なのだよ」
「ハハア、そういうものですか」
「さよう……スッカリ忘れちまったのだろう?」
「エエ……覚えているのは、ほんの少しだけでして」
「ホウ。……であらば、俺の名前は?」
「エッ……」
妾はチョット考えました。
そして正直に、
「イエ……聞いておりませんもの。答えようがありませんわ……」
「さよう、さよう……良い子だねエ。本当に……」
痘痕は満足気でした。
その笑顔は、私をスッカリ安心させてくれるのです。
61 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:16:01.86 ID:uP2qnu460
「サテ、俺の言いたい事がわかるかい?」
「エッ? ……イ、イエ……全く……」
「フウム、少し難しいかい」
「エエ、それは、トッテモ……」
「つまりだ。先も述べたヨウに、脳味噌というのは小さいモノで……でっかいのの脳味噌は大きいかもしれんが、それでも小さいモノで……何しろ畳一畳をグシャグシャに丸めたモノより小さなモノで、自分の世界全てを閉じ込めているんだからネ……」
「エエ、エエ……」
「それがパンと割れちゃアいけないモンだから、人は忘れちまうのサ。だから、忘れちまったモンをモウ一度脳味噌から呼び起こすなんて、決してしちゃあいけないのさ」
「フーム、成る程……そういう訳なのですねエ……」
妾はスッカリ感心しきっておりました。
婦人はまだペチャクチャと無駄な話をしているヨウでした。
「蝿が……蝿が煩くありませんかねエ……」
「そうですか。私には、サッパリ……」
62 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:17:34.50 ID:uP2qnu460
「だからネ、忘れるからには、キッカリと忘れちまわないといけないよ」
「ハア……」
「でっかいのは言ったね。覚えているのは、ほんの少しだと」
「エエ……エエ、言いましたねエ……」
「そいつは、顔と、名前と、チョットした記憶かい?」
「その通りで……愛らしい顔と、チイちゃんという名前と、この町での出来事を記憶しております……」
「消さないといけないよ」
「ハア……その通りですねエ……」
63 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:19:22.81 ID:uP2qnu460
「スッカリキッカリ消しちまわないといけないんだ。小さな脳味噌を守るために、でっかいのは戦わないといけないんだよオ……」
「そうです……そうですねエ……」
「消さないと」
「消すのですか」
「残っているのだろう?」
「そうですね。残っておりますわ……」
64 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:20:57.80 ID:uP2qnu460
「であらば、綺麗に消さないとねエ……」
「ハア……」
「愛らしい顔が残っているなら、愛らしくない顔にしないと。チイちゃんという名前が残っているなら、チイさくない姿にしないと。この町での出来事が残っているなら、この町での出来事を過去にしないと……」
妾はふと、右手に重いものを持っている事に気付きました。
それは綺麗に研がれた、出刃包丁でした。
65 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:22:16.40 ID:uP2qnu460
「消さないと」
男の声が響きます。
「消さないといけないんだよ」
「消さないと……いけないのですか」
「俺が教えてあげるよオ……だからでっかいのは、ハハハ。そう小さく縮こまらなくて良いんだよ。俺の言う通りにすれば、チッポケな脳味噌を守る事が出来るんだ」
妾はモウ、ガタガタと震えておりました。
温かい声が耳を通るタンビに、妾は底知れぬ恐怖を感じました。
66 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:24:06.14 ID:uP2qnu460
「マズね、包丁を振り回す……コレはいけない。包丁ってのは、引かなきゃあ切れないモンなんだ。だからスウッと筆を引き下ろすヨウに動かさないといけない」
「……ナッ……ナンの話を……」
「マズね、鼻を落とすんだ。お顔の真ん中にあるモンだからネエ。ソレが無くなっちまえば、ホオラ。愛らしくない顔に見えるウ……」
妾は耳を塞ぎました。
しかし男の声は、シッカリとハッキリと聞こえてくるのです。
67 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:26:50.97 ID:uP2qnu460
「目蓋を切り取るのもいいかもしれないネ。けどそいつは可愛いお目目がさらにクリクリになっちまいそうだから、やめておいたホウが良いだろう。代わりにお目目に包丁を突き立てるんだ。そしたら愛らしくないだろう? けれども、それだとやかましく騒ぎ立てるかもしれないからネ……舌をサッサと切っちまったホウが良いかもしれない……」
妾は頭が痛くなりました。
脳を守るタメだというのに、この男は妾の脳を壊そうとするのです。
妾は気が狂いそうでした。
エエ、もう可怪しくなってしまったのかもしれません……。
ダッテ、痘痕の男がコウシテ、妾に恐ろしい事を囁くのですから……。
ですが、妾は決して、キチガイなどではありません。
エエ……痘痕の言葉が恐ろしいという事がわかるくらいには、正気を保っておりました。
68 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:30:27.71 ID:uP2qnu460
「サア、これでわかっただろう? 脳味噌の守り方が」
「エ……エエ、エエ。そうですねエ……」
妾はかろうじて震える舌でそう告げました。
ガタガタと歯の根が合わない口でそう告げました。
「……本当にわかったのかい?」
「わかりました……わかりましたとも……」
「本当に……嘘じゃあないだろうネ……」
「エエ……嘘ではありません……」
「俺の名前は?」
「エッ……知りません。存じ上げません……」
「さようさよう……よくわかってるねエ……」
69 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:31:56.82 ID:uP2qnu460
「ならば、俺についてくると良い。……そうしたらネ、キット今に、君は彼女に会えるのだから……」
「エッ……エッ。それは、ドウイウ……」
「だからネ……俺の行く先には君の想う人がいて……そして君は、自分のちっぽけな脳味噌を守る事が出来るんだよ……アハハ……アハアハアハ……」
足がガクガクと震えました。
ひょっとして、今包丁を突きつけるべき相手は、この痘痕なのでは無いかと……妾は思いました。
70 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:32:58.45 ID:uP2qnu460
包丁を握る手は白く、血の気を失っております。
妾はキット、鬼のヨウな形相をしていたのでしょう。
「サア……ついておいで。俺の後ろをシッカリ、ヒョッコリ……ついてくると良い」
妾は意を決しました。
その手に持った包丁を振り上げて、真直ぐに突き立てようとしたのです。
71 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/01/18(日) 01:34:40.27 ID:uP2qnu460
その時です。
ピシャリという軽い音と共に、痘痕は潰されてしまいました。
恐ろしい叫び声が響き渡ります。
「アレ、煩い蝿だねエ」
婦人の呑気な声が、叫び声を覆い隠してしまいます。
婦人がその右の手のひらを退けますと、そこに在ったのは、
汚らしい黄色い汁だけでした。
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/01/18(日) 06:06:14.49 ID:DsU91kcqo
なんとも面妖な話だねぇ
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/01/18(日) 07:07:56.56 ID:wcNFlaFT0
怖いな……
うん
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/01/20(火) 07:16:52.58 ID:g4rRPRjZ0
夢野久作っぽい
76 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:14:14.21 ID:EyJ2ILMk0
3
……お気分を悪くされましたら、どうか遠慮なさらず仰って下さい。
妾ナンゾは……あの、耳を劈くような声を思い出すだけで……胸が苦しくて、苦しくて……。
77 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:17:44.63 ID:EyJ2ILMk0
エエ、エエ……申し訳ございません、ドウモ……。
本当に……恐ろしいものでした。なんとも信じがたい……エエ……。
それと同時に、ナンとも突拍子の無い……可笑しな話じゃないですか。
痘痕がギョロリと目をヒン剥いて、一人前の男として語りかけてくるなんて……。
あの出来事が、本当に起こった事なのか……妾にはわかりません。
ただ、ベッタリと汁が垂れるのと、男の叫び声が上がったのは事実なのです。
妾は気が狂いそうになりましたわ。当然でしょう。ホホホホホホ……。
しかし、妾はまだまだチャンとした頭を残しておりまして、
けれども少しの間だけ、意識を無くしてしまいました。
次に気がついた時には、妾は薄汚い路地におりました。
78 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:20:25.62 ID:EyJ2ILMk0
痛む頭をおさえおさえ、今の状況を把握しようとしました。
どうやってこんな、臭く汚らしい汚物だらけの場所に来たのか、全くわからないのです。
胸元に手をやりますと、身につけておりますブラウスがシットリと汗で濡れているのが確認出来ました。
ハハア、男の叫び声がアンマリにも恐ろしいものでしたから……気が動転した妾は、訳もわからぬマンマ走りに走って、コンナ場所にまで来てしまったのですね……。
一人合点がいきますと、随分と気持ちが楽になりました。
未だに此処が何処なのかはわからないマンマでしたが……それでも幾分は気持ちが楽でした。
79 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:22:43.76 ID:EyJ2ILMk0
それにしても、汚らしい所です。
何だかわからない生き物の死体やら、吐瀉物ナンゾと混じって、乞食がそこかしこに座り込んでいます。
その誰もが、窪んだ瞳で女の妾を見つめているのです。
乳母(ばあや)から、都会に出ても、決して黄昏時から脇道へ入ってはいけないよ、と……口を酸っぱくして言われていた事を思い出しました。
急に、薄いブラウス一枚だけを身につけている格好が、ナンとも極(きま)りの悪いヨウに感じました。
80 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:25:12.19 ID:EyJ2ILMk0
妾は頑として乞食と目を合わさぬようにしながら、足早に進みました。
元来た道を戻りまして、せめて先の繁華街まで戻れれば、と……思ったのですが。
サッパリ道を覚えていない妾には、ドダイ無理な話であったようでして。
クタクタになった足を投げ出し、荒い息を整えながら、額を流るる汗を拭いました時には、トックにお天道様は見えなくなりまして、青白い三日月がぎらぎらと光を放っておりました。
81 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:28:02.09 ID:EyJ2ILMk0
提灯一つ無い路地は、日が沈みますと恐ろしいほど暗く、一寸先も見えないほどです。
衣擦れの音や、何かを踏みしめる音など、人の気配は感じるのですが、肝心の人の姿は見えません。
まるで、あやかしか何かが目蓋の裏を這っているかのようで……気分が悪くなりました。
早くこの場を離れなければ……気持ちは急くのですが、どうにもなりません。
せめて、せめて何かこの暗闇を進むための、標でもあれば……と思った時です。
遠くで明かりが、ぽっと灯りました。
心の奥底に、温かいものが広がります。
これ幸いとばかりに、妾は明かりの元へと向かったのです。
82 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:30:26.49 ID:EyJ2ILMk0
明かりは古い提灯から漏れ出ておりまして、どうやら誰かがそれを点けたようでした。
そして、その継ぎ接ぎだらけの提灯の元には……乞食爺が立っていたのです。
妾はギョッとしましたが、爺は妾の事ナンゾ、知らぬフリです。
歯の抜けた口を歪ませて、楽しそうに……明かりの元でアヤツリ人形を踊らせているのです。
83 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:33:13.67 ID:EyJ2ILMk0
「……かこイつウけてエ――。あアいに――来たンやら。ソオレ、みンなみンなァ――。……ヘヘヘ、オてェ――にィ――……いれまするウ……やンややンや……」
「ヘ――イ。このタンビは私めの踊りのおセキにイ――。お立ちいただきイ……イタク感謝を……ヘッヘッヘ……嫁エ――をオ……狐にばやりましテ……チッチッチッチ……」
振り袖の人形が爺の外題に合わせて踊り狂うのですが、その見事な事……。
お爺さんのチョボはなんとも怪しいものでしたが、それを感じさせぬほど、綺麗に舞うのです。
84 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:35:45.62 ID:EyJ2ILMk0
思わず見入ってしまいますと、お爺さんも汗を拭き拭きシャ嗄れた声を絞りました。
話も佳境です。人形はまるで生きてるかのように、自在に踊りを見せました。
妾は固唾を呑んで見守っておりました。
すると、その時です。
一陣の風が吹きすさびまして、提灯の明かりを消してしまいました。
それと同時に、アヤツリ人形の糸が、ブツリと千切れてしまったのです。
人形はガクリと倒れこみ……死んでしまいました。
85 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:37:57.03 ID:EyJ2ILMk0
チットモ動かなくなったので、妾は心配になり、お爺さんに話しかけようとしました。
しかし……それは叶いませんでした。
お爺さんは、血走った目をイッパイに開いて、人形を見つめていたからです。
その形相の怖かった事……。
自身の息子がおっ死んだとしても、あのような顔はキット、出来やしないでしょう……。
86 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:40:10.53 ID:EyJ2ILMk0
妾は背筋に冷たいモノを感じ、爺から離れました。
暗闇に目を凝らして、またも訳もわからぬ道を探りさぐり進む事にしました。
爺がどうなったのかは、それっきり知りません。
上手に糸を繋ぎ直して、薄明かりの中踊り続けているのか……。
87 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/07(土) 00:41:47.97 ID:EyJ2ILMk0
いいえ、きっと……。
……死んでしまったのでしょうね。
……ホホホホホホホホ……。
88 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/02/10(火) 18:00:16.60 ID:nDqLrQzx0
乙
89 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/02/10(火) 18:56:59.92 ID:74w7GzbXo
毎回これで終わってもいいような続いてもいいような感じ
90 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/26(木) 23:30:47.77 ID:MBaWhPHO0
4
それにしても、腹が空きました。
妾は少しばかり田舎の出で、俗世には疎い身ではあります。
しかしながら、父母様が妾をお叱りになる内容を今一度振り返ってみますと、淑女としての教育はシッカリなされていたように思います。
ですので妾は、決して腹の虫が鳴き出しましても、自身まで泣き出すという事はありません。
ただ、ふらつく足を誤魔化し誤魔化し前へ進むだけでした。
何時ぞやに食した飴は遠に、胃袋から溶け流れてしまったようでして、妾はあの飴の美味しさを思い返して、口の端しを拭いました。
91 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/26(木) 23:37:16.02 ID:MBaWhPHO0
ふと、なにやら良い匂いがする事に気が付きます。
肉が煮える匂いです。
骨から出汁が流れ出て、それが肉へと染み込み、じゅおっと旨みが溢れ出る……そんな匂いです。
誰かが鍋で肉を煮ているのです。
今の妾にとってそれは、何ともタマラナイ匂いで……。
妾は淑女にあるまじき形相で、鼻をひくつかせ犬のようにその匂いをたどりました。
92 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/26(木) 23:40:52.99 ID:MBaWhPHO0
……今思えば、恥ずかしい行為ですこと……。
アンマリにも腹が空いたからって、ここ掘れ応々、だなんて……ホホホ……。
しかしながら、空腹とは人を獣にするようでして。エエ……。
ズンズンと進みますと、匂いは濃くなり、空気は水気を帯び重たくなります。
明かりが見えました。焚き火の明かりです。
空腹の妾にとっては、観音様の後光の如く、素晴らしく温かみのある明かりでした。
そして、一人の男がその明かりの中に突っ立って、大きな鍋をかき回しておるのです。
93 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/26(木) 23:44:44.14 ID:MBaWhPHO0
白いものが交じった髭だらけの、汚らしい襤褸(ぼろ)を羽織った男です。
普段の妾でしたなら、きっと近付きもしなかったでしょう。
ですが、今の妾には男の姿すら見えておりませんでした。
ただ、美味そうな匂いを漂わせる鍋が、気になって気になって仕方がありませんでした。
男は妾を見て、鍋を見て、また妾を見ました。
黒目ばかりがやけに大きい目で、妾を見つめました。
94 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/26(木) 23:48:00.53 ID:MBaWhPHO0
「ナンダ……食いたいっていうのかい。エエッ……」
嗄れた声で呟く男は、妾では無く何処か別の人に語りかけているかのようでした。
しかしそこには妾しかおりませんでしたので、キット男は妾に話しかけているつもりなのでしょう。
妾は何も言わず、唖のようにただ凝然(じっ)と指を咥えて鍋を見つめておりました。
95 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/26(木) 23:53:57.45 ID:MBaWhPHO0
「……腹が減っておるのかい」
男はナニヤラ迷っているようでした。
自分の折角の食事を、赤の他人である妾にくれてやるのを躊躇っているような素振りです。
男の目がギョロリギョロリと、妾と鍋を行き来します。
そしてついに、
「腹が減ってるんなら……そうだね、食わせてやろうかね」
と、鍋の中身をもう一度かき回しました。
「何せ、おれは気分がいい……トッテオキの肉を手に入れたんだからね」
96 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/26(木) 23:56:49.33 ID:MBaWhPHO0
妾はもう我慢なりません。
今にも男から鍋を奪い取らんとする勢いです。
「食わせてくれるのですか」
「食わせてやろうかね」
「それは……ドッ、ドッ……ドウモ……感謝の言葉も、エエ……」
「おれは気分がいいんでね」
男は得意げに、低い鼻を鳴らします。
欠けた小鼻の一部が血がニジンだように生々しく充血しておりました、
「お前にこの肉を食わせてやるのを、誇らしげに思うておるよ。サア、近く寄ってば見、どの肉塊を食らうかね」
妾は高まる胸を抑えながら、男がかき回す鍋に近寄りました。
飛び切り大きな肉を皿に入れようと、恥ずかしながらも強く思いながら、鍋を覗いたのです。
97 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/26(木) 23:58:15.90 ID:MBaWhPHO0
ですが、ちらと見たトタンに、妾の食欲やら胸の高まりやらは、
一気に萎んでしまいました。
98 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:00:14.99 ID:jdn1l7cc0
鍋の中身と、目が合ったのです。
99 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:02:45.59 ID:jdn1l7cc0
妾は腰を抜かして、冷い地面に尻もちをつきました。
男は何処吹く風といった顔で、尚も鍋をかき回しております。
その何気ない行動が、今の妾にはトテモトテモ恐ろしいモノに感じました。
間違いありません。ダッテ、シッカリと目が合ったんですもの……。
誰かいるのです。具材は、誰かなのです。
100 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:06:58.70 ID:jdn1l7cc0
喉の奥から悲鳴が飛び出そうになるのをヤットの思いで閉じ込めますと、
妾は震える足で立ち上がりました。
怖気づきますと自分まで食われてしまう、と……そう強く思ったものですから。
妾の心臓はイヨイヨ痛いくらいに早く打っておりましたが、それをオクビにも出さず、妾は男に尋ねました。
「これは……一体、何の……鍋なので?」
101 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:10:09.54 ID:jdn1l7cc0
今思いますと、ナントモ間抜けな質問であったかかと……。
しかし、その時の妾は大真面目です。ですので、始末に終えません。
もしかしたら、鍋の中身と目が合ったのは気のせいで……いや、魚か何かの頭であったかもしれない、と……。
そう一摘みの希望を胸中に抱きまして、尋ねたのです。
男はチョット考えますと、何食わぬ顔で告げます。
「サアネ……チットモ分からんよ」
102 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:12:37.45 ID:jdn1l7cc0
「分からないので?……自分の作った鍋なのに?」
「ああ、おれには興味が無くてね……殺したトタンに、今までの恨み辛みも一切合切全部、シッチャカメッチャカになっちまったんでね」
妾の足が震えます。
殺した、という言葉が耳鳴りのように響きました。
「殺したのですか」
「殺したね。そうしたら、今までズウッと、寝ても覚めても腹わたが煮えくり返って、脳味噌が沸騰しそうだったってエのに、グチャグチャに潰れちまったもんでね……一緒クタに鍋にブチ込んで、煮込んで食おうとしているのさ」
103 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:14:55.09 ID:jdn1l7cc0
「こいつはおれを馬鹿にしたんだよ」
男が言います。
妾にでは無く虚空に向かって喋っているようです。
「道端を床にし、襤褸を身にまとい、芥(ごみ)を漁って生きるおれを、馬鹿にしたんだよ。……ドンナ理由があろうとネ、人の生き方を馬鹿にしてはいけないんだよ。人っていうのは、生まれながらにして平等だってエんだからネエ……」
鍋がぼこりと音をたてます。
妾には、それが叫び声のように聞こえました。
104 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:17:21.27 ID:jdn1l7cc0
「本当に……意地の悪い奴だったのさ。こんな悪童、おれは生まれてこの方見たこと無いね」
「ソ、ソレは……ソウなのですか」
「人の悪い所を押し固めて煮凝りにしたヨウな男さ。見目麗しい容姿をしていたかもしれないがね、内面は黒い泥沼が広がっているヨウな男だったのサ。つまりコレは、ソイツにとっての地獄なのサ……アハハ……アハアハアハアハ……」
男の恐ろしい笑い声を聞きながら、妾はチイちゃんを思い返しました。
チイちゃんのような素晴らしい、魅力溢れる人もいれば、此のように人から恨みを買う人も世の中にはいるのですから……。
成る程人の世は存外、上手くはいかないものなのだと、妾は知った風な顔で頷きました。
105 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:20:07.66 ID:jdn1l7cc0
「これを胃袋に収めた所でね、コイツの地獄はおれの腹の中で完成するのさ」
男は大きな椀を取りい出すと、鍋の中身をドンドン入れました。
「所で……腹が減っているんだろう?」
寒気がしました。
妾はもう汗びっしょりで、今すぐにでも逃げ出したい気持ちでイッパイです。
106 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:23:54.16 ID:jdn1l7cc0
「いいえ……イイエ……妾はモウ、空いておりませんので……」
「遠慮する事は無いさ。何せおれは今、気分がいいんでね」
「お願いします、どうか、ドウカ……妾はキット、誰にも告げや致しませんので……」
「腹一杯食うと良い」
男が椀を突き出します。
怖いくらいに美味そうな匂いが漂う椀です。
107 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:26:11.35 ID:jdn1l7cc0
「お前の腹の中にもネ……飛び切りの地獄を作ってやると良い」
妾は椀を押し付けられて、
今度こそ、叫び声を上げました。
108 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/02/27(金) 00:27:36.27 ID:jdn1l7cc0
椀の中にあったのは……チイちゃんの生首だったのです。
それが、妾をシッカリと見つめ、ニタリ……と笑うものですから……。
とうとう妾は、可怪しくなってしまいました。
110 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/03/05(木) 22:41:35.91 ID:akahhZ6+o
おおぅ
111 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 21:41:53.87 ID:YCokVBHJ0
5
意識を手放した妾は、暗いくらい闇の中へ、ドコドコと堕ちていきました。
頭の中では、チイちゃんの可愛らしい顔が……悪魔のような笑顔が……グルグルと渦巻いておりました。
妾の世界はトックの昔に、胃袋に在った鼈甲飴のように、溶け去ってしまっていたのでしょう。
グルグルグルグル……ドコドコドコドコ……。
太陽が昇り、沈み、月が昇り、沈み……。
世界が百遍移り変わった所でしょうか。それでも妾の脳髄には、チイちゃんがベッタリと張り付いておりました。
112 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 21:44:23.60 ID:YCokVBHJ0
チイちゃん、オオ、チイちゃん。チイちゃん……。
ばけもののヨウに図体ばかりがでかい妾ナンゾと違って、小さくて可愛らしく、それでいて艷やかで、優しく、美しい……。
そんな彼女が、どうして……鍋で煮込まれ、美味そうな匂いを漂わせ、胃袋の地獄へと送られなければならないのでしょう。
彼女は妾とは違うはずです。人から恨みを買うなんて、そんな……そんな大それた事をしでかす女性では決して無いのです。
恐ろしい……どうして、彼女は殺されなければならなかったのでしょう。
アア……彼女の肉の美味しかった事……。
それがまた恐ろしいのです……。
113 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 21:48:36.21 ID:YCokVBHJ0
……エッ。妾の語る事がドウニモ、理解出来ないト……。
ハハア、仰有る事はよくわかります。
つまりは、チイちゃんが何時殺され、煮込まれたのか……という事でしょう。
それについては語るも恐ろしい難解で複雑なミステリイが……。
エッ、そうでは無い……。
……妾はチイちゃんの事ナンゾ、何一つ知りはしないはずなのに、何故そうまでも信じられるのか……との事ですか。
それに、その襤褸を着た男の話だと……チイちゃんというのは意地の悪い男で、妾の言います事と何一つ咬み合わない、と……そう仰有る訳ですね。
ハイ。貴方様の言い分も勿論理解出来ます。
つまりは、チイちゃんというのは、稀代の天才ペテン師であったのです。
114 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 21:53:05.02 ID:YCokVBHJ0
彼女は男で在りながら、可愛らしい少女の格好をして、妾を騙し続けたのです。
その色香と人懐こい笑顔で、妾の心へスウウと入っていき、様々なものを奪っていったのです。
妾だけではありません。襤褸を着た男も、アヤツリ人形を手繰る爺も、痘痕の男も、みんなミインナ……。
チイちゃんに騙されていたのです。
エエ、そうです。笑い話ではありませんよ。
皆チイちゃんが悪いのです。彼女の天才的詐欺師の才能が、妾の世界をグチャグチャに押し潰してしまったのです。
そうして様々な人から恨みを買った彼女は、アベコベにグチャグチャに押し潰されて、煮込まれて、妾の胃袋に地獄を作った、ト……そういう訳なので御座います。
……ドウです、お解かりいただけましたデショウか……。
115 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 21:55:28.86 ID:YCokVBHJ0
……エッ。だとしたら、妾は一体チイちゃんに、何を奪われたのかって……。
ええっと……。オヤッ、おかしいですね……妾はツイ今サッキまでハッキリと記憶(おぼ)えていたのですが……。
アレやコレやと様々なものを、彼女に奪われたのですが……エッ何ですって。
……妾の話がトンチンカンだと言うのですか。
トッ……トンでも無い……。妾はチャンとお話しているつもりですが。
ダッ誰が……トンチンカンですと……。
116 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:01:34.29 ID:YCokVBHJ0
彼女は麗しき美少女チイちゃんでした。
彼は小悪な醜男チイちゃんでした。
この二つが受け入れられないバッカリに、妾は長い間闇の中へ吸い込まれていきましたが……。
今はスッカリとまともな頭を用意して、こうして順序立ててお話しているのです。
エエ、可怪しく……なっていたのかも、しれません。
そう、アレは……あの闇の中は、あの妾が居た世界は、あやかしの地獄であったのです。
117 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:04:06.99 ID:YCokVBHJ0
様々な可笑しな事が起こりました。
ダッテ、チイちゃんが人で亡くなって、痘痕がオシャベリ。
アヤツリ糸が切れたら死んだ老人に、可愛らしいチイちゃんを悪童と罵り美味そうに煮込む男……。
ドレもコレも全部が全部、この世のものとは思えません。
妾は化かされたかのようでした。……イエ、今は違います。違いますが……。
意識を手放し、ボンヤリと闇を漂う妾は、未だにあやかしから逃げられていないマンマでした。
118 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:09:49.00 ID:YCokVBHJ0
目を閉じても、あやかしは目蓋の裏っかわで笑います。
そいつはチイちゃんの顔をして、ニンマリ笑うのです。
耳元でズウッと囁き声が聞こえました。妾を馬鹿にする声です。
それがまたアンマリにも八釜(やかま)しいものですから、妾は耳を抑えてへたり込みました。
すると、どうでしょう。その声は目から聞こえてくる事が理解ったのです。
119 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:17:04.63 ID:YCokVBHJ0
常識ナンテ通用しません。
此処はあやかしの地獄なのですから。
胃袋に地獄を作った妾は、チイちゃんによって平穏な世界を奪われました。
チイちゃんに全てを奪われたのです。
そう、全てチイちゃんが悪いのです。
チイちゃんが妾を可怪しくしたのです。
120 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:19:53.78 ID:YCokVBHJ0
妾はあやかしの地獄の中で、引き出しを開けました。
真っ暗闇の中でしたが、自分の家にいるかのヨウに、妾はスッカリ間取りを理解しておりました。
もしかすると、妾は自分の家にいたのかもしれませんね。
しばらく引き出しの中をひっくり返し、目蓋の裏を這うあやかしを退かして、囁き声を一頻り聞き流しました所で、ようやっとお目当てのものを見つけました。
きんぴかに輝くさじです。
顔が映り込むくらいに、綺麗に磨かれたさじです。
121 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:22:14.91 ID:YCokVBHJ0
妾はそれを、右目のあやかしに向けて突き刺しました。
122 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:25:55.66 ID:YCokVBHJ0
ぐちゅり、と音がして、あやかしが散り散りに逃げていきます。
それが面白いものですから、妾はしばらくさじをグリグリとねじ込みました。
ブツリ、ブツリと音がします。しかし、囁き声は聞こえなくなりました。
不思議と痛みはありませんでした。ただ、最後にチイちゃんの泣き顔を見た気がします。
グイとさじを引っ張りますと、右目の中にいたあやかしはスッカリ消えさってしまい、後は左目だけになりました。
123 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:27:17.30 ID:YCokVBHJ0
気持ちの悪い音がしました。
排水口が詰まるヨウな、ゴボッ、という音です。
ブチュリ、という音もしました。
右目が孔から落ちる音です。
そいつは床にコロリと転がりまして、妾の左目と目が合いました。
それがアンマリにも気持ちが悪かったものですから……。
妾はまた叫び声を上げまして、今度は左目にさじを突っ込みました。
124 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:29:43.89 ID:YCokVBHJ0
温かい血が顎を伝わり、地面に流れます。
さじを引っこ抜き、左目を素足で踏みつけ潰しますと、あやかしの姿は綺麗に見えなくなりました。
もうチイちゃんの可愛らしい顔は見えません。
胸に清々しいものを感じました。
妾はようやっと、あやかしの地獄から開放されたのです。
…………。
125 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:31:54.20 ID:YCokVBHJ0
6
そうです……こうして妾は、あやかしの地獄から開放された訳なのですから。
妾はモウ全く全然、可怪しな頭ナンゾ持ちあわせておらず、只の一人の女なのだという事を……。
……理解された事で御座いましょう……。
126 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:33:18.29 ID:YCokVBHJ0
……ですから、先生。聞いて下さい。
妾はこのヨウな場所に居るべき女なのでは、決して無いのです。
127 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:35:38.51 ID:YCokVBHJ0
たとい、自宅で不意にさじを握りまして、両目をえぐり取った女が居たとしても、それはキチガイと成ったからでは御座いません。
よしんばキチガイであったとしても、今の妾はトックの昔に、あやかしの地獄から命からがら逃げ出した訳でありますから。
妾はキチガイ等ではありません。
只の……一人の、女なのです。
128 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:37:21.26 ID:YCokVBHJ0
こうして……窓に格子が嵌められた、牢獄のヨウな……精神病棟ナンゾに。
妾は閉じ込められる謂れナンゾ、全く全然無いのです。
あやかしの地獄から抜けだしたというのに……。
これではまだ、地獄のマンマでは無いですか……。
129 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:39:08.60 ID:YCokVBHJ0
どうか……ドウカ、願わくば……。
妾の身の潔白が証明され、キチガイという烙印が消され、この地獄から開放されます事を……。
妾は永遠に、この地獄で願い続けます……。
……オホホホホホホホホホホホ……。
130 :
◆eUwxvhsdPM [saga]:2015/03/21(土) 22:40:10.36 ID:YCokVBHJ0
―――――――――――――――――――――――――
底本:「夢野久作全集20」ちくな文庫、筑磨書房
1992(平成4)年2月29日第1刷発行
2002(平成14)年9月31日第4刷発行
初出:「あやかしの地獄」松白館書店
1938(昭和13)年4月31日発行
131 :
◆eUwxvhsdPM [saga sage]:2015/03/21(土) 22:40:44.38 ID:YCokVBHJ0
終わりです。ありがとうございました。
132 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/03/21(土) 23:26:04.50 ID:uMsuXjtdO
乙、色々引き込まれた
しかし……日付といい発行といい
いったい何を底本にしたというんだ……
転載元
あやかしの地獄
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1420474197/ 夢野 久作
筑摩書房
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